大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

登高

2021-10-21 07:02:00 | ひとりごと

「天高く馬肥ゆる秋」という言葉もあるように、秋の空は高く感じます。実はこれ、気のせいではなく本当に高く見えるらしいです。積雲がなくなり、空が澄み渡り雲は鰯雲や鯖雲、羊雲いった雲にかわり、雲の高低差がなくなるからとも言われています。


天高く馬肥ゆる秋とは、昔中国で収穫を狙った騎馬民族が襲撃していたことから、「敵襲に警戒せよ」と注意を促す意味合いがあったようですね。


食べ物を収穫した時に奪われるおそれは飽食の時代には考えられないですね。


秋のこの季節、「登高(とうこう)」というお話があります。

登高とは、重陽に茶菓や酒肴を持って高いところに登り、野宴をする風習のことで、小高い丘や小山に登ったようですが、後に寺塔や高い楼閣などに登るようになったそうです。


桜の宴会はイメージできますが、秋のこの時期にそんな風習があったのですね。この風習はもとは中国の風習で、こんな故事があるようです。


後漢の道士、費長房が弟子の桓景に「九月九日に災難があるから、家人とともに茱臾(シュユ)の実を入れた袋を肘に吊るして山に登り、菊酒を飲めば災厄から免れるだろう」と告げます。

桓景が急いで故郷に帰ってその通りにし、翌日戻ってみると家畜が皆死んでおり、それで家族は災厄を免れることができました。

この災厄とは疫病だったともいわれています。


家畜が全滅とは、大難にみえますが、家族の命は助かったわけですから小難に変えたともいえます。難と一瞬思われることが降りかかると、夫はこれくらいで済んだと思いなおすみたいです。私もその考え真似してみよう。笑



コロナ感染の数が減りつつあります。先人たちも数々の災厄を通り抜けて生き抜いたのだと思いながらこの話を読みました。


高い所に登り、秋の澄んだ高い空の中、紅葉を眺めるイメージをするだけでも素敵です。高さがあればある程、紅葉は色とりどりの絨毯のようです。

今目の前にあることを離れて見つめる視点は、いつか壮大な景色を魅せてくれるかもです。


時間も空間も離れて見れば見るほど、濃淡の醸し出す美しい織物のように景色はなります。毎日毎日を織りながら生きる誰しもが織り子。



季節が冬に向かう中、焼き芋でも食べながら、近視眼ではなく少し遠くから今年の出来事を見つめ、ふんふんふんふん、色々あったなぁと思いながらも、全て肯定して心は温かく冬を迎えたい気分です。






菊の節供

2021-10-20 06:15:00 | ひとりごと

重陽の節供は旧暦の99日。奇数(陽の数)の重なる日。その中でも最大数9。陽の気が行き着くと、陰へ向かうとして、この日に邪気を祓ったりすることもあるようです。菊(キク、クク)の響き。旧暦の99日は、今でいう1026日辺りであり、菊のお祭りがあります。


お酒に菊の花びらを浸してのんだりもしますし、菊水という名前のお酒もありますね。


菊は、昔は、観賞より実用の植物であり、中国最古の漢方書といわれる『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』(後漢〜三国時代に成立)には、めまいや眼病、耐老延年の薬として載っているようです。そういえば、神農という中国の神様は関西の方では、少彦名神と共に祀られている所があり、少彦名神は医学、酒造、色々なことに長けた神様でした。


また、中国の神仙の世界では、菊は霊薬とされ、『抱朴子(ほうぼくし)』の中には、菊を使った不老不死の薬の処方が次のように書かれています。


白菊の汁、こうぞの汁、ヌルデの汁で丹(※水銀の鉱石鉱物のこと)を和え、これを30日間蒸したものを薬研(やげん)ですり混ぜ1年間これを服用すると500年生きられるとか言われています。丹は不老長寿に関係があり、秦の始皇帝は日本にまで探しに遣いをやったとか。


老人が服用すれば若返り、少年が服めば歳を取らないとか。ホンマかいな。そんなあほな。。。

歳をとったっていいじゃないって思いますけど。笑


菊花の露を染み込ませた真綿で身体を拭えば若返るとかも言われているみたいですし、また、福島県の二本松の菊人形のお祭りなんかは人形が菊の「服」を着たり、菊で色んなものを飾ります。色々言われるってことは、菊を服すには意味ありそうですね。。






福島県二本松菊祭り


重陽の節句は、9が重なる。9/9、苦苦の響きもあるけれど菊の響きもあり、括るの響きもあります。旧暦では9月ですが、丁度今くらい。夏の陽が極まり、そして秋の陽光で実りをたわわにつけた稲穂を刈り取り収穫する時期です。収穫した稲の束を藁で結ぶことを「結束」というようで、そうして天日に干して乾燥させたりすることもあるようです。冬への覚悟をこの稲作業にも感じます。



福島県南相馬の風景


花には花の咲く季節があり、丁度今の時期(旧暦の99日)に花弁が沢山ある菊(キク)を愛でるのも意味がありそうです。


厳しい冬を耐え春が来ます。重い雪の下でもゆっくりと春の草花は時を待ち芽吹きます。


季節は巡り花は咲く。


冬にも冬の花が咲く。









我が家は沢山シクラメンを植えました













【画像は菊酒、菊人形二本松、稲の結束検索画像より】




丁度よい

2021-10-19 06:55:00 | 神仏について

お前はお前で丁度よい

顔も身体も名前も姓も


お前にそれは丁度よい

貧も富も 親も子も

息子の嫁も その孫も


それはお前に丁度よい

幸も不幸も喜びも


悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は

悪くもなければ 良くもない


お前にとっては丁度よい

うぬぼれる要もなく

卑下する要もない

上も無ければ下も無い


死ぬ日さえも丁度よい

仏様と2人連れの人生

丁度良くないはずがない



友達が泣けてきたと写メをFBにあげていました。



仏様のお言葉です。


もっともっとと無いものを欲しがり、

他人と比較したり、

足りない事に目を向けて貪るより、

今あるものに感謝する

「足を知る」心を持ちたいです。


努力により変えられるものへは、

心を込め変化を楽しみながらも、

常に心には神仏が死ぬまで離れずに居てくださるという思いが、絶対安心へ自分を導いてくれるように思います。


善悪正邪を自分の視点でいうと色々思いますけれど、神仏の視点はあなたはあなたで丁度よいと微笑んでいる様に思います。


私は私で丁度よい。



感謝。


けもの道

2021-10-18 05:55:00 | ひとりごと
昔学生の時に住んでいたアパートの裏手にけもの道がありました。舗装されてない道ですが、アパートへの近道です。竹藪にあり、夜は街灯も勿論ありませんから歩かないけれど、時間がない朝なんかは通りました。狸が出たりする道です。今はその場所は新興住宅街ですっかり無くなりました。


歩き慣れた舗装道を歩く時は、街灯もあり安心しますが、けもの道は同じ場所にたどり着くのだけれど、蛇がでたら怖いなとか、雨の日は靴がドロドロになるからやめようとか思いながら歩きました。しかし、舗装道を行くより三分の一で同じ場所に辿りつきました。


このけもの道を最初に見つけた時は、こんな時間短縮の道があるんだ!と宝道を見つけた感じでした。


歩き慣れた舗装道を歩くのは発見は少ないけれど、わからない道を歩くのはまるで「けもの道」を歩くような感じです。何処に行くかはじめはわからない。


子供達は持って生まれた気質が本当に違います。子供がけもの道を歩んでいるなぁと感じる時、けもの道の捉え方を私なりに肯定します。


遠回りに見えるような選択や、何が出てくるかわからない道に迷い込んだ時、そこを通ることは実は、なりたい自分、苦しくない自分へのゴールに続く道のことだと信じます。宝道なんだと。


けもの道を歩きながらも、その新しい道を踏み固めて自分の道にすると、街灯があって明るい道では鍛えられない自分をキチンと見つけて生きていける。


辿り着く着地点は、舗装道、けもの道どちらを通っても、一つの「元の道」「変わらぬ道」「自分探しの道」へと辿り着けば良いです。


日月神事では、「元の道」は「初めの道」「神のなれる道」「光の真ん中」「身魂磨き、身魂掃除すればわかる道」のようです。


けもの道を歩く子供を見守るのはハラハラもしますけれど、それでも迷い込んだのもやはりそこを踏み固めなさいというメッセージだと思っています。


子育て中の回り道や違う道を、自分が若い頃歩いて発見した「けもの道」と思います。長い目でみたら、宝道。肯定して生きる道。


グルグルのけもの道を歩きながらも、道の選択に「正解」や「決まり」はないです。現実的か、常識に偏りがないかという自分のその感覚さえも子供とは違うとき、結局は、子供自身が自分を楽に緩めて感じられる道を自分で立ってきちんと歩んで踏み固め、宝道にいつか出来ると良いなぁと思います。






【画像はけもの道検索画像より】



ふんふんふんふん

2021-10-17 05:40:00 | ひとりごと

志村けんさんのひとみ婆さんが好きで、たまに動画をみます。


ひとみ婆さんはたまにふんふんふんふん言います。笑。




可愛いくて面白いです。腹が立つ事があったら、プンプンしがちです。または、フン!と膨れがちです。


フン!と言うくらいなら、ひとみ婆さんを思い出して、ふんふんふんふんと鼻から息を抜いて言ってみましょう。笑えませんか?



ひとみ婆さんとは全く関係無いのですが、瞑想中、雑念がわいてきたり雑念に惑わされたりしないように、ふんふんふんと軽く音を感じる手法があるようです。本で紹介されてました。真面目な本です。


ふんふん、はうなずく音のようです。肯定する音で、うん、うんにも通じるみたいです。自己肯定と、他者肯定大切です。


ひとみ婆さんのように声には出さないけれど、良い事なら問題ないですが、あー頭にまた色んな雑念や心配事が浮かんできたぁと自己嫌悪になるくらいなら、ふんふんふんふんとリズムをとろうと思います。聞こえないようにふんふんふんふん。プンプンする情けない自分もまずは肯定。


聞こえない事がポイントですよ





ひとみ婆さんを思い浮かべて。ひとみ婆さんみたいに声をだすと笑われてしまいますから。笑われても良いかな。笑。


腹が立つこと嫌なこと心配な事があると、引きずらず考えないように出来る方はよいですが、無理にそうしようとすると、自分を否定しそうです。


そんな時は、プンプンプンプンから、


〇(マル)を自分に還して上げて⇧


ふんふんふんふんへと切り替え⇔


笑いに変えていきます。



ふんふんふんふん



エヘヘへ






笑うといいですね。









気温が下がるようです。あたたかくしてお過ごしください。



【画像はひとみ婆さん検索画像より】