25黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+2(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

ガングリオン

2014年04月30日 | 日記
「滑液のう腫」別名「ガングリオン」という肉腫が、どうやら私の左手平右下の丘内部に出来ている。

以前よりかなり小さくなっているが、コリコリとした感じが残っており、これを強く押すと痛く、神経を圧迫するようで、左小指の先から、左肘や肩まで、つまり、左腕一本分、微妙な痛みに襲われる。

まあ、どうしようもなくなった時は、注射でどろりとした液体を吸い上げるらしいが、それでも、また出来るらしい。何回か、抜いて出来なくなれば完治するし、ダメな場合はできる組織を一括して除去する手術をするのだが、この場合、神経が近くを通っているし、指の筋肉が交錯した難しい場所なので、下手な執刀医にかかると、失敗するから、当分、そのまま放置して、様子を見たほうがよろしかろうぞよ、というのが、我友人の名医のお言葉であった。

ふむふむ。それじゃ、例の皮膚の「シミ」、つまり癌だが、「ガン宣告」の診断書は出るのか(保険金目当て)?

「まだ、ガンじゃない!そのシミがガンになる確率は、0.1%だな!」

ひえええ、貧乏人はいつまでたっても金運には見放されるのだ!

というような、小話が、午前中は多忙にも関わらず、福井市内の某所で行われていた。

福井市内は、時折激しい雨が降りつける。地元予報は見事に当たっている。で、どうやら、ありがたいことに平穏にかつ貧乏のまま、4月が通り過ぎていくようだ。

南無阿弥陀仏。

雨上がり

2014年04月30日 | 日記
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ヤフーは余程福井が南国と思っているのか、最高気温予測が高いけれど、許す。

午前7時半、今は雨が上がって屋根も乾いてきたが、予報では日中ずっと雨マーク。まあ、早い話が、5分5分と云う。

さあ、4月も最後だ。平成14年4月30日、金沢地方裁判所に第1次の訴状を持ち込んだ初提訴の日だ。125名の最初に名前を書かれていたのは、むろん、私だった。それから、続々と準備が整い次第、追加提訴して、第5次まで進んだ。

初提訴は、セレモニーだった。マスコミへの記者会見を行い、髪もまだあったのだ!ほほほ

懐かしくもある古い話になったが、初公判の日に弁護団や私と一緒に、我がもの顔で裁判所に入って行く、今は相当惚けたオヤジが記録映像に残っている。続編では彼が問題提起の主人公となるのだから、人生は先に何が起きるか分からない。

さあ、頑張って出かけるとしよう。朝から忙しくなりそうだ。



真夜中の珈琲

2014年04月30日 | 日記
基本的に私の人生は、街角のタバコ屋の横に立っている自動販売機のように「年中無休、24時間営業」だから、眠いときに寝るし、起きたいときに起きるのだ。

というわけで、夕食後流しに立って、家人の食器の洗い物のあと、ついでに歯磨きもしてしまったので(こうすれば、もう、何も口に出来ない)安心して「さんま御殿」を見ていたら、寝てしまった。

で、窓を開け放しても室温20度では、暑くて飛び起きたのが、午前2時。外は本降りの雨。雨音が気持ちいい。明け方には止むらしいが、真夜中の雨も悪くない。ただし、四国や東海から関東に至るまで、太平洋側では大雨に注意する必要があるとか。能天気なことを書くと、腹を立てる人も出て来る。

まあ、もっとも、そんな事(誰かが腹を立てる事)は、私の知った事ではないけどね。腹を立てる人間の内心を覗いてみればいいのだ。見ず知らずの世間の人間から、「被害にあわれて大変でございましょうね」などという同情の声を期待しているから、冷たい目で見られたら、逆恨みして「腹を立てる」というわけだ。

被害とはあくまで当事者に起きたプライベートな「不運」なのだ。雷に打たれてことを思えばいい。集団で被害にあっても、同様にプライベートなことで、自分で乗り越える以外に道は無い。行政が悪い、政府が管理不十分だ、などというのは、あくまで「補償交渉」の一環であって、国が頭を下げた所で、子供の命が戻って来るわけではない。

この辺りの国民感情というのは、韓国人も日本人も極めて良く似ている。おそらく、一国が分断されている以外に、世界でこれほど似ている国民性を持つ別国家も珍しい。共通するのは被害者の甘えだ。助けてくれて当たり前、という心が芽生える。長い歴史の中で、大勢が集団で生きて行く為にDNAに染み付いた「共存意識」が背景にあるのだ。

アジア人やポリネシアンに見られる人類の英知のひとつといってもいい、集団が公平に生き抜く為の知恵なのだが、その「美」の裏側に、醜い「甘え」(依頼心)がへばりついている、というわけだ。近代社会は欧米の個人を大事にする民主国家に生まれ変わり、個人は自由を謳歌して好き勝手にふるまいながらも、何か事が起きると「国が悪い」の大合唱になる。その国家は自分たちが作っている。

つい最近、誰だったか閣僚の一人だが、「個人の自由が尊重される代わりに、個人に求められる義務も忘れてはいけないわけでして」などと言っていたが、まさにその通りなのだ。「御上」が絶対時代より、はるかに個人が自由な時代になったが、逆に、生きて行くには「自己責任」「自己判断」をしっかり下さないと、生き難い時代でもある。

甘えるな、たくましく生きよ。世間や他人や私が何を言おうと、腹を立てるなどと心を乱されるんじゃない!
というわけだな、ははは。