24 黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+1(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

ナバナを茹でる

2016年04月19日 | 日記
送信from Y.Yoshizmi:豆狸のオヤジが、厨房の奥で大量に収穫してきた「なばな」を水洗いして、処理に勤しんでいる。声が聞こえたので、ちょいとママチャリを止めて顔を出すと、スーパーの買い物袋いっぱいの「なばな」を呉れた。

で、貰ってもどうするか、分からない。煮え立ったお湯で、6分茹でる、などと聞いたので、3回に小分けして、ゆで上げ、5センチほどの一口サイズに切って、漬物容器に並べ、適当に塩を振っておく。こうして、冷蔵庫に入れておけば、利用できる?

なまえは?

2016年04月19日 | 日記
送信from Y.Yoshizmi:これが「はな海棠(かいどう)」のひとつかな? 違うかな?色合いが違うようだ。では、何だろう?

ツツジの花にも似ている。

朝の徘徊

2016年04月19日 | 日記
カメラ片手に、久しぶりに河原の散歩。ホンと、久しぶりだ。バタバタしていて、ついこの間、満開の桜を眺めて歩いたのが嘘のようだ。あっという間に、1週間や2週間が過ぎる。半月も過ぎてしまうと、桜の景色は様変わりする。

古(いにしえ)の人々でなくても、この移り変わりの素早さには、特に毎日が日曜日の定年退職以後の我々年代には、心を動かされることだろう。つまり、「また、来年だなあ。」というわけだけど、その来年がどうなるか、とふっと考え込んでしまうのだ。

途中で、西の空から雲が広がって来たので、なるべく早めに散歩を切り上げ、事務所に戻って、仕事の連絡ごとの文章に没頭する。今週は、木金と忙しい。土曜日は、恒例の焼き鳥例会だ。これは、楽しみだけ。日曜日は、親戚の49日の法事、その後は月末に入って、ゴールデンウイーク。

例年、ゴールデンウイークは「出かけない」という、私の生き方のルールがある。私は長年自営業だから、別にゴールデンウイークなどという、世の中の休みを利用した計画を立てる必要はないからだが、子供たちは、学校が休みだという理由があった。だが、そんなの関係ない、と、小島よしお風に切り捨ててきたのが私の意地だ。

どこかに子供たちを連れて行きたければ、学校を休ませればいい。日本の文科省や日教組が積み上げてきた義務教育など、最早「死に体」なんだから、そんなところに、律儀に通わせる意味など、大してないのだ。目くじら立てる父兄もPTAも、尻の青い先生方も、子供の教育の前に、自分たちの教育が必要かもしれない、自己主張ばかり、自己都合ばかりの「立派な方々」ばかり。

そんな崩壊した教育現場に、毎日子供を送り出していることこそ「冒険」なんだから、たまには自己都合で休んだって、人生の大きな違いは生まれないだろう。

観光地は人出で混み合い、交通費も宿泊費も通常の割り増し料金という不合理さには、どうしても我慢が出来ないのだ。混み合い、サービスがおろそかになり、それでも、高い料金を請求するという、ゴルフ場をはじめ、鉄道や旅行会社やホテルや観光地などのバカバカしさには、納得も我慢もできるわけがない。割引するなら、分かる。値上げする理由が分からない。

そんな不合理さを受け入れながら、子供たちを育てるって、そりゃあ、あなた。さぞかし、そんな不合理な中で育つ子供たちの未来は、今の親のように、きっと明るいに違いないや!




貧困と教育

2016年04月19日 | ニュース
By Yahoo:[ 8c/17c/30% 60p69k ] 晴れ

午前6時の福井は、明るく雲一つない青空が広がっている。放射冷却で、10度を切ったから今朝は幾分ひんやり。それでも室温は15度ほどあるから、平年並みだろう、多分。朝陽が昇って来た。

昨夜も、かなり強い揺れが、阿蘇の被災地にあったようだ。常識外れの強い余震が、いつまでも続くし、死者の数が少しづつ増えるのも、腹立たしい。それでも、熊本空港が受け入れを開始したようだ。手荷物検査の機械が使えないから、出発便は運航できないらしいが、受け入れはするようだ。

信じがたいのは、九州新幹線だ。脱線した回送車両をどうすることも出来ないようだ。ゴールデンウイークを前に、九州の観光は、全体的に壊滅だろうなあ。

そんな中で、住宅兼店が潰れた散髪屋さんがいたけれど、火事にはならなかったから、使い慣れた道具を運び出せた。手に技術があれば、避難所のお年寄りの髪を切るなど、臨時の床屋を開設出来るだろう。

かつて、1980年頃だが、日本は「1億総中流」と言われ、世界の良識ある人々から、その富の公平な社会を羨ましがられたが、規制をする行政の弊害を強調され、自由な競争社会こそ、より豊かな理想社会だと洗脳されて、規制緩和に突っ走った。それから、30年。今でも、その方向性に漂っている。

夢の自由社会では、中流は消えるように少なくなり、富裕層はより豊かになって、逆に底辺の貧困層は無限に大きく広がっている。日々、貧困は拡大し、富裕層は豊かになる。統計を比較すれば分かるのだ。

そして、日本は? 日本がどうなるか私は知らないけれど、断言できるのは、今年より来年、来年より再来年、私は貧困の坂を下っている。まあ、いいけどさ。