カメラ片手に、久しぶりに河原の散歩。ホンと、久しぶりだ。バタバタしていて、ついこの間、満開の桜を眺めて歩いたのが嘘のようだ。あっという間に、1週間や2週間が過ぎる。半月も過ぎてしまうと、桜の景色は様変わりする。
古(いにしえ)の人々でなくても、この移り変わりの素早さには、特に毎日が日曜日の定年退職以後の我々年代には、心を動かされることだろう。つまり、「また、来年だなあ。」というわけだけど、その来年がどうなるか、とふっと考え込んでしまうのだ。
途中で、西の空から雲が広がって来たので、なるべく早めに散歩を切り上げ、事務所に戻って、仕事の連絡ごとの文章に没頭する。今週は、木金と忙しい。土曜日は、恒例の焼き鳥例会だ。これは、楽しみだけ。日曜日は、親戚の49日の法事、その後は月末に入って、ゴールデンウイーク。
例年、ゴールデンウイークは「出かけない」という、私の生き方のルールがある。私は長年自営業だから、別にゴールデンウイークなどという、世の中の休みを利用した計画を立てる必要はないからだが、子供たちは、学校が休みだという理由があった。だが、そんなの関係ない、と、小島よしお風に切り捨ててきたのが私の意地だ。
どこかに子供たちを連れて行きたければ、学校を休ませればいい。日本の文科省や日教組が積み上げてきた義務教育など、最早「死に体」なんだから、そんなところに、律儀に通わせる意味など、大してないのだ。目くじら立てる父兄もPTAも、尻の青い先生方も、子供の教育の前に、自分たちの教育が必要かもしれない、自己主張ばかり、自己都合ばかりの「立派な方々」ばかり。
そんな崩壊した教育現場に、毎日子供を送り出していることこそ「冒険」なんだから、たまには自己都合で休んだって、人生の大きな違いは生まれないだろう。
観光地は人出で混み合い、交通費も宿泊費も通常の割り増し料金という不合理さには、どうしても我慢が出来ないのだ。混み合い、サービスがおろそかになり、それでも、高い料金を請求するという、ゴルフ場をはじめ、鉄道や旅行会社やホテルや観光地などのバカバカしさには、納得も我慢もできるわけがない。割引するなら、分かる。値上げする理由が分からない。
そんな不合理さを受け入れながら、子供たちを育てるって、そりゃあ、あなた。さぞかし、そんな不合理な中で育つ子供たちの未来は、今の親のように、きっと明るいに違いないや!