24 黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+1(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

藤の花満開

2016年04月23日 | 日記
ママチャリで地主宅、幼稚園の園長宅、ベーグル屋さんで珈琲を飲んで、和ダイニングでパスタ(!)を食べ、お寺に寄って護寺費を納め、やっと事務所に戻って、忘れ物をしたことに気づいて、今度は車でひとっ走り。

デスクワークをして、ひと眠り(2時間ほど)して、頭を洗うと同時に剃刀で剃って、いや、無駄な贅肉と人生の垢をそぎ落とし、着替え(といっても、変わり映えはしない、ラフな格好だが)、いつでも時間が来たら(5時だが)事務所を閉めて、飛び出せるように準備完了。

今夜は焼き鳥例会だ。ママチャリで出かけようと思ったが、お昼前後と違って、空は一面どんより曇って来た。どっちみち、酒は飲まない(飲めない)のだから、ま、車で出かけた方がいいかもしれない。店の周りには、コインパーキングが沢山ある。たっぷり時間を経過しても、せいぜい300円。

明日は、越前市で親戚の法事。来週もまた、細かな雑用があれこれ。何といってもGW前の月末の週だし、ね。

色々、忙しくて、年なんか取っていられないね。

環境が人を育てる

2016年04月23日 | 日記
送信from Y.Yoshizmi:21日以降、最高視聴率を稼いでいるNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」だが、今日は、あの銀髪母親の申し出をキッパリ断った常子の母親である娘とともに、材木問屋から出てしまう、という、何ともドラマティックな展開となった。

考えてみよう。中東の、あるいは、例えばパキスタンとかインドとかの郊外の宝石採掘現場で、とてつもなく大きなダイヤモンドの原石が採掘されたとする。すると、山主が、それをそのまま地元の豪族か王族に見せて直接売却し、数千万円とか1億円ほどの大金を手に入れた。

その豪族か王族は、何代にもわたって家宝として原石のまま受け継いでいくから、世間にも歴史にも出てこない。

ところが、もし、それがヨーロッパに流通し、パリの加工場で形を整えて磨き上げられ、金の縁飾りや他の石と組み合わされて、ルイ王朝か、何かの豪華な王冠になるとか、ネックレスになるとかすれば、歴史に登場し、現代に至れば、ザザビーのオークションにでも出たら、世界の大富豪が、1000億円の値をつけるような代物になったとする。

つまり、何が言いたいかといえば、才覚のある常子が、清の嫁として、銀髪おばあちゃんに仕込まれて、材木問屋の跡取りの道を歩めば、「暮らしの手帳」社などという小さな出版社の創業者ではなく、もっともっと桁違いの企業を作り上げるか、発展させていたかも知れない、ということだ。

常子の母親は、少なくとも、銀髪ばーちゃんの申し出を受けて、常子本人に気持ちを確かめるべきだった。即答して断ったのは、まさに、自分がたどった「母親の言いなりにはならない!」という人生選択の道を、自分の娘の常子に押し付けたわけだ。全く、自分の母親である銀髪ばーちゃんと同じことをしていることに、気が付かない。

人の人生は、その育つ環境で大きく変わる。どんないいタネだって、土壌が良ければ大きく育つし、劣悪な痩せた土壌では芽を出すだけでも大変な労力がいるのだ。

そうは思わない? まあ、お蔭で様々な下積み苦労を重ねて、様々な人々との交流やドラマがあって、物語として成り立っていくのだけど、ある意味で、才能を大きく育てるチャンスを捨てた、捨てさせられた、二番煎じ人生かも知れないと、わたしゃ、思うわけ。神のみぞ知るだけど、さ。

一年で1番

2016年04月23日 | ニュース
送信from Y.Yoshizmi By Yahoo:[ 11c/21c/20% 89p69k ] 快晴 L449

最低気温11度、室温17度(窓全開のまま)なのに、外に出てみると、外に停めておいた車にはびっしり朝露が降りていた。雑草も濡れて輝いている。

考えてみると、1年で一番いい季節なのだ。しかも、来週末にはゴールデンウイークが始まるという期待感があるし、今日のような爽やかなお天気の週末は、これまた、最高なのだ。阿蘇・熊本地震のニュース報道に多くの日本人は心を痛めていて、季節が最高であることを、ついうっかり忘れていたけれど、ようやく、地震も収束に向かいつつあるし、不幸や不運はあくまで当事者たちが、自分で乗り越えなきゃいけない課題であって、胡散臭い同情を金にするしたたかな商業資本主義や、売名行為に振り回されることは、当事者たちにとって、一番の要注意だ。

国や行政や他人に過剰な依頼心を育ててしまうことに、注意する必要がある。どんな被害や災害も、「自力救済」を基本とするし、それが弱者だろうと病人だろうと子供だろうと老人だろうと、怖いことに区別がない。それが神の意思だからね。そうすると、大勢のために頑張ってくれている人と、そうでない見せかけとの違いを、判断できる。