「日本人良くやったね。彼女はとってもきれいだったよ。おめでとう。」と言われました。幸い出かけ際にニュースを見たので、それがミス・ユニバースのことだとすぐに分かりました。「私は彼女の映像を観ていないのだけど、日本人が優勝したのは48年ぶりだそうです。」と言うとビックリして「それは本当におめでとう。」と言われました。「おめでとう。」か…。
その後も何人もの人に彼女の優勝のことを言われ、その度に「おめでとう。」と祝福していただきました。そして私はその度に「おめでとう。」という言葉に反応していました。
日本人として日本人が優勝したことに誇りをもっていても、私に「おめでとう。」と言われるのはなんとなく不思議な感じでした。もしもブラジル人が優勝していたら、私はブラジル人の友達に「ブラジルの人が優勝したね。美しさに魅了されて彼女が絶対に優勝すると思ったわ。」などとは言っても、きっと「おめでとう。」という言葉を言う感覚はなかっただろうと思ったのです。これがサッカーや野球などのチームスポーツの優勝だとしたら間違いなく「おめでとう。」と言ったことでしょう。それだけ私の中には自分の国、あなたの国という意識が薄いと思ったのです。
「おめでとう。」と言われる度に、自分が同じ日本人であることを誇りに思い、自分が何をしたわけでもないのに、幸せな気持ちになりました。人に幸せを運ぶこと、またひとつ学びました。
その後も何人もの人に彼女の優勝のことを言われ、その度に「おめでとう。」と祝福していただきました。そして私はその度に「おめでとう。」という言葉に反応していました。
日本人として日本人が優勝したことに誇りをもっていても、私に「おめでとう。」と言われるのはなんとなく不思議な感じでした。もしもブラジル人が優勝していたら、私はブラジル人の友達に「ブラジルの人が優勝したね。美しさに魅了されて彼女が絶対に優勝すると思ったわ。」などとは言っても、きっと「おめでとう。」という言葉を言う感覚はなかっただろうと思ったのです。これがサッカーや野球などのチームスポーツの優勝だとしたら間違いなく「おめでとう。」と言ったことでしょう。それだけ私の中には自分の国、あなたの国という意識が薄いと思ったのです。
「おめでとう。」と言われる度に、自分が同じ日本人であることを誇りに思い、自分が何をしたわけでもないのに、幸せな気持ちになりました。人に幸せを運ぶこと、またひとつ学びました。