実験好き 2007-07-21 | 日記 いくら努力してみても、いくら対策を練って実行してみても、うまくいかないこともあります。でもそれはやってみたから分かることであって、やる前から「どうせ…。」と思ってやらないのは、やはり自分らしくない気がします。 意識しての試みは、成功しても、失敗しても、成果が得られる、そう思います。
笑い方 2007-07-20 | KA 2回目のショーの影絵の反応がとても良く、笑い声がたくさん聞こえました。笑い声を聞きながら、ふと、「すぐ後ろにいるのは、日本人の方かな。」思いました。いつもは、「あ、うさぎだ。」とか「猫。」とか、日本語が聞こえて日本人のお客様がいらしているのを確認します。今日はいろいろな笑い方が聞こえる中で、すぐ後ろから聞こえてきた笑い方が、日本語の話の中での笑い方のようだったのです。本当にそれが日本語であるか、単語のひとつさえも聞こえませんでしたが、なんとなくそんな感じでした。 昨日、シルバーのバトンでしか練習をしませんでした。すると今日はフルートを持つといつもと違う感覚。少し怖くなりました。“キャバレー”の前に一日シルバーのバトンで練習出来る日があるので、明日のショーに備えて、今日はショーが終わってからの“キャバレー”の練習をフルートでしました。
輝きのマジック 2007-07-19 | 日記 昨日私が出たので、今日は代役の日となりました。私はショーの間中シルバーのレギュラーバトンを回して、キャバレーのための練習をしていました。 先日、ドレスリハーサルをしたときに、早く回そうとしすぎて、バトンがうまく扱えなかったので、今日は、曲にはまる範囲で落ち着いて回そうと心掛け、練習していました。 シルバーのバトンは、回しやすいようにできているのだと思います。私は今使っているフルートに慣れてしまって、バランスポイントの微妙な違いが扱いにくさを感じるようになっていますが、フルートよりも力を加えずにシルバーのバトンは回るようです。だから、回りやすい上に早く回そうとすると、さらに力が加わって回転が速くなりすぎてしまうようです。 何度か通して練習していると、クレベーフが来て「一回観ていいかな。」と正面に座りました。運営役員関係者以外で初めての観客です。そして、本番前に緊張できるのはいいことです。 終えると、とても喜んでくれました。鳥肌が立ったとも。それはちょっと言いすぎです。そして、「いつものバトンよりも速く回しているよね。」と。私はきちんとやりたかったので、落ち着かせて、ゆっくり回すように、そこには細心の注意を払って回しました。それでも速く見えるとは、輝きのマジックであるかもしれません。クレベーフの言葉を聞いて、安心して、自分の中ではゆっくりとバトンを回そうと思いました。
代役の日 2007-07-18 | KA 今日は代役の日でした。それでも練習が一番の1時に入っていたので、早出でした。時間も30分しかないので、練習はショーの間にしようと、この時間は新しいフルートと手袋を慣らす時間に使いました。 そのあと時間があるので旅日記を書き終え、頂いたメールのお返事を書こうと、コンピュータを持って行きました。少しやることを済ませてから、旅日記を書き始めると、3時前に呼び出されました。 「今日、ショーに出てください。」 中国人のアーティストの数が足りないようです。そのため、私の代役は本来の役をしなければならず、私の役は出来ないと。そうか、今度はこういうこともあるわけか…。これから代役の日は、意外と落ち着けない日になりそうです。
オレゴンから愛 2007-07-16 | 日記 早起き出来たら朝日を観に行こう、と思っていましたが、起きませんでした。もっとも、目覚ましは9時にかけました。 9時よりは早く起きたので、朝食、今日もまた手持ちの食料をいただき、9時出発。今日は天気が良く、気持ちの良い朝です。 クレーターレイクは、もう一周してしまったことですし、行かなくていいかなとも思いました。でも“青”は見ていないかもしれません。ここから30分ですし、“青”を見に来たわけですから、行くことにしました。 今日もひたすらに真っ直ぐの138号線を走ります。天気のいい朝、昨日とは同じ道でも見る景色が違って見えます。思わず止まって写真を撮るほどでした。 そして、クレーターレイクは青かった。昨日とは全く違う青さでした。湖岸近くはエメラルドグリーン、そして、碧く、青く。戻ってきた甲斐がありました。 ここでボートに乗ったり、トレッキングをしたりする選択もありましたが、昨日のことを考えるとポートランド近くまで帰れるのか不安があり、何ヶ所かのビューポイントで“青”眺めてから、ここはあとにすることにしました。 地図を広げて、帰り道を考えて、まずはダイヤモンドレイクを目指し、そこでお昼をとることにしました。ここへ向かう道、ローグ-アンプクア・シーニック・バイウェイも高い木々の中を走る道でとても気持ちのいい道です。気持ちは良く走っていましたが、思ったより進みません。仕方なく、ダイヤモンドレイクは行かず、右へ曲がってまた138号線、そして97号線をを走ることになりました。 しばらくは、もと来た道を戻り、そこからカスケードレイクス・シーニックバイウェイを通ることにしました。少し遠回りでも北上できます。 この森の木々はマウントフッド近くの高くて深い緑の木とは違って、緑の少し薄い木でした。種類が違うのでしょうが、若いという印象でした。道の入り口付近は山火事があったようで葉の焼け落ちた真っ黒い木々の森にはゾクッとしました。 途中、蝶か蛾が飛んできて、フロントガラスにぶつかります。ぶつかってつぶれるのが分かりました。フロントガラスが汚くて、ワイパーをかけても落ちないのは虫達がつぶれていたのだと、このとき分かりました。 道に沿って小川が流れていました。車を止めて、小川の中の岩に座って、スナックを食べながら一休み。水に触れたかったので、とても嬉しく、水の流れを見つめながらゆっくりしました。 この道の名前からすると、湖が道のすぐ脇にいくつもあって、それを見ながら進めると思っていたのですがそうでもなく、湖へ行くには道を少し入らないといけないようでした。ところが、エルクレイクというところは、その標識を見るとすぐ湖が見え、水辺がキャンプ場になっていました。ここなら、と思い、行ってみることに。 ここはクレーターレイクのように上から見る湖ではなく、水際でも遊べる、もっと身近な感じの湖です。向こうに見える山も素敵で、子供の時に毎年行っていた山中湖の平野を思い出しました。大人になってから訪ねてみたら“観光地”になっていてビックリしましたが、昔はこんな感じ、もちろんここよりは“町”でしたが、素朴な感じでした。 エルクレイクはこの道も終わりに近いところにあります。そこからベンドという町に出ました。ここは行きに97号線を走っている時に通ったはずですが、印象がありません。シーニックバイウェイから入るベンドの町はとてもかわいらしい町で、下の道を走るとこんなにも印象が違うものかと思いました。しばし車をとめて町を歩こうと思いましたが、とめられる所がなく、走っているうちに97号線にのりました。 さあ、このペースで走っていると、行きに寄れなかった『オレゴンから愛』のロケ地に行けそうです。今回は注意深く地図で距離を測り、車のメーターを確認しました。あ、いつの間にか地図を片手に運転できるようになっている…。 景色は“大地”へと変わり、牛さん達に出迎えられ、細い道を走りながら、無事にコーヴ・パリサデス州立公園に着きました。まずはビューポイントまで行くことに。ところが広場になっているビューポイントに着くと柵が閉まっています。「火曜日と水曜日はお休みです。」そうか…残念。えっ、今日は月曜日だよね。でも閉まっているのです。 また地図を広げました。本当は、今だそのまま残るという、“明”の住んでいた家に行きたかったのです。あの家は普通に生活しているお宅をお借りして撮影をしたので、今もそのままあるというのを何かで読みました。ここへ来れば何か手掛りがあるかと思いましたが、掴めませんでした。 ここまで来ていれば、明日の飛行機に乗り遅れることもありません。なるべくなら同じ道を通りたくないので97号線から197号線に入ってコロンビア川に向かってみることにしました。 州立公園の出口に向かうと、ビューポイントとなっていた方角に曲がれる砂利道がありました。なんとなく曲がってみました。すると、そこには予想していなかった景色が広がっていました。大地が水で削られたのでしょうか、断崖絶壁となっていて、下を覗くと湖がありました。その断崖絶壁は横にも縦にもスパッと切ったような潔さ。自分が立っている向こうにはまた大地が続いているのです。オレゴンには本当にいろいろな表情があるものだと思いました。 そして、そこにはなんと『オレゴンから愛』のプレートがありました。先程の広場に行っていたらここには来なかったでしょうから、あそこが閉まっていてよかったのかもしれません。景色で納得するだけでなく、本当にそのロケ地に来たのだな、と、子供の頃からの夢がひとつ叶ったのだなと実感しました。 公園を出たところに小さなガソリンスタンドとお店がありました。そこの方に伺えば、“明の家”が分かるかもしれないと立ち寄りました。でも、だめでした。ライムのアイスキャンディーを買って、しゃぶりながら、牧草地を眺めました。 ところどころにある家のどこかが“明の家”なのでしょう。しばらく、黄金色と緑色が広がる大地の中を“明の家”を当てもなく探しながら走りました。走っているうちに、戻る97号線の方向が分からなくなりました。感覚ではこちらなのだけど、と思ってもどうも違うらしいのです。少し車の通りの多いほうに行ってみました。感覚では左折、でも太陽の方向から考えると右折。するとマドラスの方向は右と出ていました。そしてその道は97号線だと分かりました。どうやらいつの間にか97号線を越えていたのです。 無事に97号線に戻り、マドラスの町を越えるとスーパーを見つけました。今晩こそはおいしいものを頂こうと思っていましたが、昨日のこともありますし、野菜不足でもありましたので、少し食料を買うことにしました。トマトと赤ピーマンとオレンジ。そしておいしそうなベーグル2つ。これで充分かな。 ところがレジに向かう途中、SUSHI売り場でご飯粒を目にした途端、大好きなご飯がどうしても食べたくなりました。6時。今食べたら夕食食べられないかもよ、いや大丈夫でしょ。心も身体も行ったり来たりしながら、SUSHIを眺めていました。 よし、買う!スパイシィサーモンロール。公園など見つけられそうもありません。スーパーのテーブルでそれをいただきました。この旅で、一番食事らしい食事。おいしかったです。 197号線はあまり楽しい道ではありませんでした。そして、ガソリンも心配になってきました。地図に出ているような町でも本当に小さな町で、ガソリンスタンドがないのです。それから、マウントフッドをもう一度見たいという思いもありました。 地図をもう一度眺め、まだ216号線を越えていなかったら、曲がってマウントフッドに向かうことに決めました。そこから26号線に出ればガソリンスタンドはあることでしょう。 そして、216号線が出てきたので、方向変更。216号線も何もない道、この機会に、とまた交通違反をして、100マイル、160キロを記録。 スピードを出すとガソリンが減るのは早いのでしょうか。それとも距離が同じなら変わらないのでしょうか。とにかく行きたい距離とガソリンの関係が微妙でしたので、下り道はなるべくアクセルを踏まないようにして、26号線に向かいました。 ようやく緑の濃い高い木々の中を走る26号線に出ると、思っていたよりも何もない道で、本当にガソリンのことが心配になりました。35号線の入り口までにガソリンスタンドが見つからなかったら、そのまま26号線を走らないといけません。そうすぐに変わらないとわかっていても何度もガソリンのメーターを見ながら運転を続けました。 「あった!!!」山の中のガソリンスタンドは値段も高いです。でも仕方ありません。そして、これでマウントフッドの反対側に向かえます。 35号線はマウントフッドの東側を走る道で、所々から山が見えました。マウントフッドは本当に美しい山。この山を観に戻って来て良かった…。行きには撮れなかった写真も撮れました。夕焼けに染まりゆく山の姿も、眺められました。あとは滝が見たいな。トレッキングも出来たら最高なのだけど…。 35号線もコロンビア川近くなると、果樹園が道沿いに集まっていて、フルーツ街道と呼ばれる道になります。果樹園ではイチゴやさくらんぼなどを自分で摘むことができるようになっていたのですが、時間が遅く、出来ませんでした。 そしてコロンビア川にでました。「そろそろ今日の宿を探さないと…。」コロンビア川を渡ると向こうはワシントン州です。道が複雑に分かれていたので、車をとめて方向を良く確認しました。そして、出た町はフッドリバー。コロンビア川を見下ろせるようにある小さな町はとてもかわいく、ここで泊まりたいと思いました。 少しおしゃれなホテルを見つけ、車をとめました。出てくる人に値段を訊くと思ったよりも高くないので訪ねてみました。「今日はあとひとつだけ空いています。一番いい部屋、スイートルームです。」昨日だったら泊まっていたかも。見付けたもう一件は満室。チェーン店であるもう一軒のホテルもジャグジーつきというスイートルームしか残っていませんでした。 もう少しポートランドに近づくことにしました。ハイウェイ84号線に入るところにもホテルがありました。でも満室。月曜の夜だから、と思っていましたが予想外に混んでいました。 ハイウェイなのに暗い道をポートランドに向かって走らせていると、“H”の標識が見えました。いくつもの宿泊所があるようなので、そこで降りることにしました。なんとなく車を走らせて、一番初めに見付けたモーテルに行ってみました。 空きを訊くとやはりいい部屋だけ残っていました。75ドル。それならいいかな、と考えていると、「とりあえず部屋を見せますね。」と案内してくれました。その部屋はなんと一戸建てでキッチンも付いていました。ただ寝るだけにはもったいないような気がしましたが、ここに泊まることにしました。手続きをしていると「滝に行った?」と訊かれました。ビックリして聞き返すと、このすぐ近くに滝があって、それが有名でみなこの町に来るとのこと。行き方も丁寧に教えてくださいました。ここに立ち寄った意味があったようです。 9:00。ちょうど12時間で2泊目の宿にたどり着きました。長時間の運転も全く飽きずに楽しめました。昨日からの走行距離824.3マイル。そういえば、35号線を走っている時にふとメーターを見ると777.5マイルでした。これは7並びを見ないと、と、気にして、777.7マイルを見ました。そこでスロットマシーンの絵が…。ラスベガスに侵されています。 少し休んでから、レストランがすぐ近くにあるというので行ってみました。ところが今日も素敵な夕食を頂くことは出来ませんでした。小さなスーパーが唯一空いているようなので車をとめると、今閉めるところ。それでも気持ちのいい店員の方は入れてくれました。水とヨーグルトを購入。6時にお寿司を食べておいてよかったです。
誕生日旅行 2007-07-15 | 日記 一週間前に飛行機を予約して、2日前にレンタカーを予約して、ようやく一日目の宿泊の予約を昨日して…。そんな感じで荷物の支度は全く出来なかったので、睡眠は2時間半。寝る時間があっただけよかったかな。さて、誕生日のプレゼント旅行、憧れのオレゴンに向けて出発です。 オレゴンは『オレゴンから愛』を観てからの憧れの地。一度行きたいと思っていた場所です。 飛行機ではぐっすりと寝て、目が覚めた時にはもうポートランドの町の上。大きな河、たくさんの緑、横浜のベイブリッジのような橋も見えました。曇っている天気が緑をより深く、しっとりとみせ、ラスベガスとは違う町に来たことをより印象付けます。 まずはレンタカー。借りるのは初めてではありませんが、ドキドキします。一番小さな車をお願いしていましたが、担当の方がその車を見つけられず、ひとつ上のクラスの車を借りることができました。そして、出発。初めての長距離ドライブです。 走り始めてすぐに気付きました。乗って初めにすること、各部分の調節をしないで出発してしまい、特に鏡は全てがとんでもない方向を向いていて、止めるところもなく、少しの間、危険な状態で運転することになってしまいました。鏡はこんなに重要だったとは。教訓その一。 いきなりハイウェイにのらなくてならず、緊張しました。そこからすぐ26号線へ。26号線もハイウェイかと思っていたら普通の道路で、それよりか、車線も一車線か、二車線しかなく、ラスベガスよりものんびりと走れる道路でした。 スーパーを見つけたので、水を購入。その他に、もしもの時のために、少しだけ食糧を買いました。車に戻り、ドアを開けようとすると電話が鳴りました。ジュリとジャニンから誕生日のお祝いの電話。嬉しく話しているところに、怪しげな女の人がやってきました。話している横にずっといて、終わるのを待っています。 電話を切ると、その人は予想通り話し掛けてきました。ようするに「お金が欲しい。」と。仕方なく出したお金、パラパラっと出てきてしまった3ドルを取られてしまいました。そのスーパーで費やしたお金と同じだけ取られてしまったことが少しショック。小銭をポケットに入れておくべき。教訓その二。 車は快適でした。SUZUKIのForenza。普段乗っている車とは全く違うタイプで、視界が違います。アクセルの踏み具合もだいぶ違いますが、問題なく走れました。 26号線は“普通”の町中を走ります。そこに突然、山が現れました。マウントフッド。その山はあまりにも美しく、そこに続いているこの道を走り続けるのが楽しみでした。写真を撮りたいと思っても、なかなかその機会も出来ず、走り続けました。 そのうちにその道は山の中へ入って行き、あっという間に高い木々の中を走る道へと変わりました。こんなに高い木の中を走れるとは、なんと嬉しいこと。そして空気のなんと気持ちいいこと。 第一目標の地、マドラスまでは二時間半ほど、と何かで読みましたが、全くたどり着きませんでした。そのうちにお腹も空いてきて、レストランがあったら入ろうと思いながら、いいところが見つからず、走り続けることに。 そして、景色はまた突然のように変わり、草原の中を走ることになりました。『オレゴンから愛』の景色はこれです。ロケ地のマドラスが近づいてきたことが分かります。お腹は空き、その上に眠気も襲ってきました。『オレゴンから愛』の主題歌を歌ったりしながら何とか目を覚ましていました。牛を見ながらふと作詞作曲。♪牛さん、牛さん、たくさんいるなら、アイスクリーム作って売って下さい。牛さん、牛さん、たくさんいるなら、アイスクリーム作って売って下さい。♪日本だったら絶対にアイスクリーム屋さんがあるだろうな…。 「次に見つけたレストランに入る!」と決め、走っていました。そしてようやく見つけたレストランに入ると…。ここなら、積んでいるパンをかじったほうがいいかと思って出ました。 そして、そうこうしているうちにマドラスの町に着きました。3時間半。ここで休憩をしないと危険と思い、レストランに入りました。描いていたレストランとは違う、普通のファミリーレストラン。オレゴンらしいメニューも見つけられず、サンドウイッチを注文。 地図を広げて、わずかな観光案内を頼りに、『オレゴンから愛』のロケ地を確認。カルバーから入るということは、ここから、20分ってところかな。 ところが“カルバー”という標識が本当に小さくて、走り過ごしてしまいました。行くのやめよう、いや、でもロケ地に行くのはひとつの目的だから、と思ってUターンをしました。そしてまた行き過ぎてまたUターン。ようやくその道を曲がりましたが、その先どう行くのかがすぐに分からなくなりました。草原の中の細い道、この先行っても標識などありそうもなく、今日中に最終目的地までたどり着きたいこともあり、諦めることにしました。 戻って、マドラスから入った97号線を、今度はひたすら南に。途中どうしても眠くなって、国定公園に入って一休み。もう一度地図を広げて、宿泊先の町まで半分の距離のリトルリバーという町まで頑張っていくことにして、そこで休むことに決めました。 道はほぼ真っ直ぐで、車も少なく、かなりのスピードを出して走っていました。交通違反をして、初体験のスピード、150キロも記録。 そんなことをしていたら、休むはずの町は通り過ぎていて、宿泊場所の町、チェムルトにいつの間にか到着していました。5時15分。これならもう少し先に行けたかな。でも、寝られるからいいかな。 チェックインをして、日没を聞くと7時半ごろというので、ここで少し寝てから、最終目的地のクレーターレイクの夕日を見に行くことにしました。 97号線から138号線に入ると、クレーターレイク入り口まで約25キロは、本当に真っ直ぐの道。起伏のある真っ直ぐの道なので、はるか先にいる車が小さく小さく見えます。 さて、いよいよクレーターレイクに到着。世界で7番目に深い、最深592メートル、透明度37メートルというその湖の青さは、表現の仕様がない、見たものにしか味わえない青さだとか。イタリアの青の洞窟に行った時のあの感動、あの青を見たときの感動を思い出しながら、車を降り、湖を覗きに行きました。 「うーん、青ね…。」 確かに、青いです。でも時間が気候が悪かったのでしょうか、青さに感動するようなことは残念ながらありませんでした。まだ夕日というには早い太陽が、湖面をきらきらさせていて、その輝きと、木々の隙間を通ってくる光はとてもきれいで、しばらく見つめていました。 「ああ、着いた…。」 初の長距離ドライブ、無事に目的地まで来ることができました。 湖は一周できるようになっています。今日は途中で折り返すつもりが、夕日を待ちながら運転していたら、ほぼ一周となり、それなら、と公園内のロッジで夕食をとることにしました。 裾野を照らす夕日を山の上から見るのはとてもきれいでした。反対周りをしていたらこの夕日を湖の真東から見られたことでしょう。日没は9時を過ぎてでした。湖面の色がどんな変化をみせていたのか、見られず残念でした。 ロッジに着くと、お店は閉まっていたので、仕方なくそのまま進み、最後のビューポイントでもう一度湖を見て、クレーターレイクをあとにしました。 さあ、今日は誕生日、おいしい夕食を食べましょう、と宿泊所に戻りました。暗い道の中、宿泊所の看板を見つけ、それを通り過ぎてレストランを探しに。ところがいいレストランがないのです。ここは本当に小さな町。数もありません。お昼に食べたサンドウイッチを思い出しました。油がギトギトのサンドウイッチ。それならいっそうのこと部屋で食べよう。 明日に備えてガソリンを入れることにしました。オレゴンは自分でガソリンを入れられないようになっています。おじさんが出てきて入れてくれました。ガソリンスタンドはアゲハチョウぐらいの大きな太っちょの茶色い蛾がたくさんたくさん飛び交っていました。おじさん曰く、だいぶ減ってきたとか。「下を見てごらんよ。」と言われて見ると、たくさんたくさんつぶれていました。あと一週間もするといなくなるそうです。蛾が大嫌いな私としては、一番たくさんいる時期に来なくて良かったと思いました。車はお腹いっぱいにさせてあげられました。 ガソリンスタンドのお店に入ってみました。おいしそうなものはほとんどなく、何周してもいいものがなく、フルーツもしなびていました。吟味してココアだけ買ってそこを出ました。 さて、さっきの看板まで戻って、と運転してしていくと、それはただの広告の看板で、そこには「ここから5マイル先です。」と書いてありました。あらら…。そして5マイル戻ると、先程のガソリンスタンドの斜め前に明かりの点いていない看板のある宿泊所がありました。 それからもしもの時のために持ってきたインスタント食品、おかゆともずくスープをいただき、パンにココアを浸してデザートにして、私の今年の誕生日のディナーとなりました。
iPhone 2007-07-14 | KA あと10日後に迫った“キャバレー”、今日はフィナーレのリハーサル。わざわざ2時間も取るということは、ただお辞儀をするだけではないってことね、と思って出かけました。 こういうことをする時にはいつも思います、日本のバトンの人達だったらこれは30分で終わる。 2時にリハーサルが終わり、MGMにそのまま行って仮眠。それからグリーンルームでコンピュータをしていました。「ああ、お腹空いた。でももう少し。」と何度も言っていると、クレベーフがご飯を買ってきてくれて、一緒に食べました。 そこで彼が見せてくれたのはiPhone。あれ、彼は電話を換えたばかりだったはずだけど…。「そう、クレージーなのはわかっているけど…。」と、彼。 私はiPhoneの記事を読んだばかりだったので、とても興味深く見させてもらいました。 これは凄いです。 まず、全てが画面をタッチしての操作です。普通は縦長に使いますが、iPhoneを横にすると、画面が横長になります。もちろん写真を摂れますし、保存した写真を見るときは画面に触って選択して、その写真を大きく伸ばすように指で触ると写真が大きくなります。友達の写真を撮って、その人の電話番号に一緒に登録しておくと、その人から掛かった電話で待ち受け画面がその顔に変わります。交通情報は航空写真の地図が示してくれます。そしてこれも写真と同じように拡大できます。だから空からの自分の家を見ることもできるのです。そして、もちろん音楽も聴けます。 「これ持っていたら飽きないでしょ?」彼は笑っていました。 おいしいお昼を頂いて、元気にショーが始まりました。 アーチャーズデンのところは、真っ暗な中、いつも目を瞑ってキューを待っています。まずはステージテクニシャンが舞台の準備が整ったという合図をステージマネージメントにして、私達は彼らからキューをもらって舞台に出て行きます。ステージテクニシャンの合図で目を開けて、ステージマネージメントの懐中電灯の灯りがつくのをみて舞台に走って行く、というのがいつもの私の行動なのですが、今日は目を瞑っている時に「ゴー!!!」と叫ぶようなジュリの大きな声がしました。私はジュリの懐中電灯のフラッシュを見損なったと思って、「しまった。ごめんなさいジュリ。」と思いながら出て行きました。そして、きっと今日はボーっとしているのだから注意しなさいということかもしれない、とも思いました。 お蔭で無事にフルートも回り、安心しているところでジュリに会いました。「ごめんなさい、ジュリ。私、アーチャーズデンのところでキューを逃していたでしょ。」すると彼女はしばらくキョトンとしてから、「ああ、『ゴー!!!』と大きな声で言ったのは懐中電灯の電池がなかったからなのよ。あなたがキューを逃すことはありえないでしょ。それに、もしもあったとしたらわざと大きな声を出して言うことはないわよ。」と。安心しました。これで安心して3日間の休みを迎えられます。
二つの涙 2007-07-13 | KA 気持ちの落ちている日。珍しく頭痛もある。MGM行くと、涙が滲んでくる。今日はお客さまを迎える日。何とかしないと。時間はある。ゆっくりと。 今日の一回目の代役のフルートは、昨日とは比べ物にならないほど良く回っていました。一回目にこれぐらいの演技をさせてあげたかったです。 一回目のショーの間中、私はフルートと遊んでいました。身体を動かしていると、フルートを回していると、自然と活き活きしてきました。 衣装に着替えカツラをつけて、ウォーミングアップをしにトレーニングルームに向かう足取りも軽く、階段も自然と駆け上がっています。うきうきとしているのを感じました。やらなかったショーはたった二回なのに、なんだかとても久しぶりな気がして、ショーに出る喜びで幸せいっぱいになりました。 今日は日本からのお客様のことを考えて踊ることになるだろうと思いました。モントリオールからジュリも遊びに来ていますが、彼女はまた観るだろうから、きっと彼らのことを考えるだろうなと思っていました。 舞台に立つと、やはり日本からのお客様の顔が浮かびました。でも、やっぱりジュリも出てきて、ニコッと。するとそのあと、いろいろな人の顔が浮かんできて、みんなに見守られている気がして、幸せでいっぱいになりました。舞台が下がりながら涙さえ出ました。 朝、落ちていた気持ちはうそのように晴れやかに舞台に立ち、幸せいっぱいに舞台を終えました。「まずは自分が心から幸せでないと…。」そう思うと、ふと代役の彼女のことが思い出されました。 きっと彼女はあの舞台に立ってとても幸せだったことでしょう。いつもの役ではなく、憧れの役が出来て満足だったことでしょう。だとしたら、私のように冷静にあの一回を観ていた人でなければ、彼女の満ち満ちた幸せから、伝わるものもあったはず。だからそれはそれで良かったのかな。 そして、この二回があったお蔭で、私も幸せに満ちることが出来たのできたのですから。
大事な一回目 2007-07-12 | KA 今日はストレスフルな一日になると分かっていたからでしょうか、早く目が覚めました。目が覚めただけでなく、そこからもう一度寝ることはできそうにないので、起きることに。そして出勤途中で買おうと思っていた花束を先に買いに行くことにしました。 今日の一番のストレスは、一回目のショーで代役が影となってついてくること。これは彼女にとって必要なことだとは充分にわかっていますが、私の緊張はショーが始まるとすぐに始まりますので、そこに人がついてくること、自分がいつものリズムでショーに集中したいところに、待つ位置やキューの合図、小道具のことなど説明しなくてはいけないのは、少し厄介なことでした。 でもこれをいつまでもストレスと思っていると、当りもきつくなることでしょうし、それは自分の心までも刺々しくすることでしょうし、もっとも自分が幸せを感じない状態で舞台には立ちたくなかったので、気持ちを改めながら舞台に立ちました。 なんとなく習慣にしていることが全くできず、リズムがいつも通りではありませんでしたが、偶然か、もしくは神様に感謝すべきことなのか、何か助けらたと感じることが何度もあり、無事一回目の舞台を終えることができました。 そして今日の本番は終了。二回目は代役のデビューの回でした。 今度は私が彼女の影になってついていく番。彼女が何か訊きたい時に遠すぎないぐらいの位置を取り、彼女のデビューを見守りました。彼女はどうしてこんなに自信と余裕があるのでしょう。いつものことながら私にも分けてもらいたいと何度も思いました。 そしてソロの場面。私は客席には行けないので、見送った花道の横から観ていました。 彼女のコーチとして全く責任を果たせなかった…。 どんなに彼女が自信満々でも、どんなに彼女が言うことを聞かなくても、私はもっと強く出るべきだったのかもしれない。 アーティスティックディレクターがショーに出すことを決めた時に、私はもっと強く出るべきだったかもしれない。 私は諦めてしまって、今日の二回目のお客様に対して、コーチとして最後に出来た責任でさえしなかったと思いました。 誰にでもある大事な1回目、きれいに気持ちよく過ごせるように、それから少しずつ難しくしていけばいいと思っていた私の計画は、彼女の自信にかき消されました。結果として、ガクガクが見えるほどの緊張で彼女は舞台に立っていました。 トップのコーチに言われました。「出すことを決めたのはあなたではないのだから、あなたは責任を感じなくていい。」 彼女は、できなかった箇所について、いろいろな理由を話してくれました。私はうなずきながら、「それ、言ったよね。それ言ったよね。それも言ったよね。でもあなたは聞かなかったよね。」と思うしかありませんでした。そして、彼女はものすごく緊張しながらも、憧れの役をやり遂げたことで大満足のようでした。 私の大切な舞台が、ほぼ満員のお客様のいる本番の一回が、まるで場慣れするためだけのように使われてしまい、とても淋しくなりました。そして仲間の「彼女、良かったじゃない!」という言葉が、心からの言葉としたならば、いつも私はどういう仕事をしているのだろうと自信をなくします。 明日は契約更新決断の最終日。