ラジオは、広報がお断りをしていたそうです。私にも、日本の担当者宛のメールが届いていたようですが、まさかお断りをするとは思っていなかったので、その内容に注目をしていませんでした。その後、担当の方から連絡もなかったので、私はすっかり出演の予定と思っておりました。ラジオに耳を傾けていて下さった方々には本当に申し訳ないことをしました。
今日はショーに出ない日なので、少しゆっくりしていると、日本からの荷物を受け取ることが出来ました。いろいろなものが入っていて楽しいこと。気持ちを入れ替えて出勤することが出来ました。
仕事場でもいつもより時間があるので、ストレッチのクラスを受け、ピラーティスをして、新しい衣装を試して、振付をして、身体の手入れをして…いろいろなことが出来ました。休暇中、旅に出た時のホテル探しが少ししかできなかったので、帰宅してから続きをしましたが、まだ決めることが出来ません。でも、こうやって探している時も、楽しい時でありますので、ゆっくりと決めたいと思います。
ラジオで話す予定だったことは、先月の『スティルト・ウォーク』のことです。折角なので、その日の日記と重複しますが、ここにまとめてみました。放送後に番組のウェブサイトに掲載予定であった写真も、載せられる方法を見付けたので、貼り付けます。約一ヶ月間ご覧頂くことが出来ます。
…7月8日午前0時、33度のラスベガスよりお届け予定だった話…
6月16日、この日はシルクデュソレイユの25周年の記念日に当たりますが、ギネスブックの記録に挑戦するイベントが行われました。それが『スティルト・ウォーク』です。“スティルト”とは竹馬のことで、竹馬に乗って100メートルの距離をいかにたくさんの人数で一時に歩けるかということに挑戦をしました。
実はこの記録、初めはシルクデュソレイユが持っていました。5年前、20周年の記念としてみなで竹馬に乗り、544名が100メートルを歩き切り、ギネスブックに登録されました。しかしその後、2006年に日本人のみなさんが614人で記録を破り、さらに2008年にはオンタリオで挑戦した方々がいて、625名で新たな記録を作ったそうです。
そもそもなぜ竹馬なのか、ここにも理由がありました。1980年、今もシルクデュソレイユで御活躍されているジル・サンクロワさんが、竹馬のサーカス団を作る補助金をケベック州から得るために、竹馬で90キロ歩くパフォーマンスをしたそうです。これは、真剣な試みであることを示すためであり、彼は22時間掛けて歩き切りました。このことがきっかけでベ・サン・ポールで誕生したパフォーマンス集団が、後に20人の大道芸人集団クルブ・デ・タロン・オーとなり、1984年にシルクデュソレイユになりました。
それから25年、その記念に再び記録をとリ戻そうと、世界中のシルクデュソレイユに関わる人たちが参加をし、『スティルト・ウォーク』が行われました。イベントはラスベガスのほかに、オーランド、モントリオール、モスクワ、フォルタレザ、マカオ、リスボン、ニューヨーク、名古屋、東京の10都市で行われ、全都市で合計1300名以上が参加をしたと言われています。
ラスベガスの時間で6月16日の午後1時、ということは日本で参加をした方々は6月17日の朝5時になるのでしょうか、各都市で一斉にスタートをしました。
ラスベガスでは約250名が参加をし、174名が歩き切りました。日本の竹馬とは少々違う形の竹馬で、初めは戸惑いましたが、私も無事に歩き切ることが出来ました。
3週間たった今でも、各都市で100メートルを歩き切った合計人数と、ギネスブックへの記録が更新されたのかどうか、正式な発表がなされていません。今後のアナウンスを楽しみにしております。
25周年記念の日は、「Happy anniversary!」「Happy 25th anniversary!」と声を掛け合い、喜びを分ち合いました。ラスベガスには結婚何周年とか、付き合い始めて何周年などという記念として訪れて下さる方もたくさんいらっしゃいます。そういう方々が、KAにいらして下さることももちろんあり、大切な記念日をお祝いするお手伝いが出来ることは、とても嬉しいことです。「Happy anniversary!」は、そのような何周年記念というお祝いに掛ける言葉です。ラスベガスにいらして下さる時に覚えておくと役に立つ一言となるでしょう。
今日はショーに出ない日なので、少しゆっくりしていると、日本からの荷物を受け取ることが出来ました。いろいろなものが入っていて楽しいこと。気持ちを入れ替えて出勤することが出来ました。
仕事場でもいつもより時間があるので、ストレッチのクラスを受け、ピラーティスをして、新しい衣装を試して、振付をして、身体の手入れをして…いろいろなことが出来ました。休暇中、旅に出た時のホテル探しが少ししかできなかったので、帰宅してから続きをしましたが、まだ決めることが出来ません。でも、こうやって探している時も、楽しい時でありますので、ゆっくりと決めたいと思います。
ラジオで話す予定だったことは、先月の『スティルト・ウォーク』のことです。折角なので、その日の日記と重複しますが、ここにまとめてみました。放送後に番組のウェブサイトに掲載予定であった写真も、載せられる方法を見付けたので、貼り付けます。約一ヶ月間ご覧頂くことが出来ます。
…7月8日午前0時、33度のラスベガスよりお届け予定だった話…
6月16日、この日はシルクデュソレイユの25周年の記念日に当たりますが、ギネスブックの記録に挑戦するイベントが行われました。それが『スティルト・ウォーク』です。“スティルト”とは竹馬のことで、竹馬に乗って100メートルの距離をいかにたくさんの人数で一時に歩けるかということに挑戦をしました。
実はこの記録、初めはシルクデュソレイユが持っていました。5年前、20周年の記念としてみなで竹馬に乗り、544名が100メートルを歩き切り、ギネスブックに登録されました。しかしその後、2006年に日本人のみなさんが614人で記録を破り、さらに2008年にはオンタリオで挑戦した方々がいて、625名で新たな記録を作ったそうです。
そもそもなぜ竹馬なのか、ここにも理由がありました。1980年、今もシルクデュソレイユで御活躍されているジル・サンクロワさんが、竹馬のサーカス団を作る補助金をケベック州から得るために、竹馬で90キロ歩くパフォーマンスをしたそうです。これは、真剣な試みであることを示すためであり、彼は22時間掛けて歩き切りました。このことがきっかけでベ・サン・ポールで誕生したパフォーマンス集団が、後に20人の大道芸人集団クルブ・デ・タロン・オーとなり、1984年にシルクデュソレイユになりました。
それから25年、その記念に再び記録をとリ戻そうと、世界中のシルクデュソレイユに関わる人たちが参加をし、『スティルト・ウォーク』が行われました。イベントはラスベガスのほかに、オーランド、モントリオール、モスクワ、フォルタレザ、マカオ、リスボン、ニューヨーク、名古屋、東京の10都市で行われ、全都市で合計1300名以上が参加をしたと言われています。
ラスベガスの時間で6月16日の午後1時、ということは日本で参加をした方々は6月17日の朝5時になるのでしょうか、各都市で一斉にスタートをしました。
ラスベガスでは約250名が参加をし、174名が歩き切りました。日本の竹馬とは少々違う形の竹馬で、初めは戸惑いましたが、私も無事に歩き切ることが出来ました。
3週間たった今でも、各都市で100メートルを歩き切った合計人数と、ギネスブックへの記録が更新されたのかどうか、正式な発表がなされていません。今後のアナウンスを楽しみにしております。
25周年記念の日は、「Happy anniversary!」「Happy 25th anniversary!」と声を掛け合い、喜びを分ち合いました。ラスベガスには結婚何周年とか、付き合い始めて何周年などという記念として訪れて下さる方もたくさんいらっしゃいます。そういう方々が、KAにいらして下さることももちろんあり、大切な記念日をお祝いするお手伝いが出来ることは、とても嬉しいことです。「Happy anniversary!」は、そのような何周年記念というお祝いに掛ける言葉です。ラスベガスにいらして下さる時に覚えておくと役に立つ一言となるでしょう。