こんな おっさんになりたいと憧れていた
北村悟さんが亡くなった
岡山県で焼き締めのうつわを作っていたが「備前の土はつまらん」と、広島との県境の土を使っていました。
昭和42年に備前焼 金重素山に入門、昭和47年 中村六郎に学び、翌年 多治見の草の頭窯へ。
海外での土器調査は、メキシコ・グアテマラ・エルサルバドル・インドネシア・インド・南米エクアドル・ペルー・ボリビア。
窯を訪ねた時には「お前にだけは来て欲しくなかった」とか
「お前のつけで呑める居酒屋を3軒は用意しておけ」とか
憎まれ口ばかり言われた事をよく覚えている
作陶の事だけでなく、どんな話しも楽しくて いつまでも聞いていたかったけど、酒が進むと憎まれ口が増えていった
根は真面目なんだとわかるけど、どこか寂しさも抱えている感じがして、たまに電話して自分の名前を告げると「展示はやらんぞ」って、いつも言う。
樟楠の空間でも展示してほしかったよ北村さん。
最後に会ったのは10年前。
すでに、脳梗塞で倒れたあとだったが、昨晩の酒の匂いたっぷりに縁側で話したことは忘れませんからね。
今年の6月には、岡山県へ会いに行こうと思っていたのに、ちょっと早いですよ。
もう1度、憎まれ口を聞かせて欲しかったです。
今度、秋田に行ったら「あっけらかん」の親父さんにも伝えておきます。
ゆっくり休んでください。
あの世でも、酒と煙草と女ばっかりじゃダメですよ。
ギャラリー樟楠
阪健志