定年漂流西田 小夜子西多摩新聞社このアイテムの詳細を見る |
先に妹が読んでいた。
去年定年になった夫が一日中家に居る。
長い間働いて家庭を支えてくれたことに感謝し、ゆっくりのんびりも分かると言いつつイラついている。
居間のテレビがつきっ放しなのも、昼食に準備の毎度毎度の必要にもうんざりしている。
おない年くらいの友達も次々、定年亭主と向き合っている愚痴を聞かせる。
幸か不幸か定年前の仕事人間のまま夫だけ天に召されたから、私には無縁の世界の話。
西多摩新聞に連載された短編全十五話。
夫婦の息詰まりの料理法と言うか脱却法は全部違うのだけれど、どれもおなじパターンにも思える。
夫婦はそれぞれが自立して、生涯生きがいを持って暮らせば
おのずとお互いが邪魔な存在ではなくなる。めでたし、めでたし。
定年離婚も出てきた。別々の道を行くと言う意味では個々の自立の必要性を説いている所でい一緒。
どこの家にもありそうな事だけれど、全部美しい結末なのが小説としては面白みに欠ける。
なんだか一生懸命会社勤めをして、定年後も切磋琢磨、切磋琢磨で生きよと説教されている気分もする。
生きていれば夫は定年を迎えている。
世の奥さま族と同じく、家に居なかった人が日中に居るうっとうしさを嘆いていたに違いない。
私もまさかこの歳で仕事をフルタイムでしているとは夫存命中は思ってもみなかった。
ちょっと凹む出来事にぶつかると、夫もこんな思いをして働いていたのかと思う。
なんだかんだ言ったって死が分つことがあれば、自立するしかない。
支え合って寄りかかり合えなくて何が夫婦だろう?
そして、定年漂流で一旦流れ着いたところで落ち着いた先には介護が待っているのかな?
などと穿った見方をついついしてしまう。
夫が置いてけぼりにしたんで、介護業界で身を立てているとついついね