今日は朝からテレビが、何回かゴールデンウィークの初日と言う言葉を言っていました。
実家の母が元気で、子供たちが未だ学校へ行っていた頃は、ゴールデンウィークには必ず泊りがけで舞鶴の実家へ行っていました。それが我が家の楽しみでしたし、母も来るのを待っていてくれましたし、行けば喜んでくれました。
ゴールデンウィークに実家でお好み焼きを作って母と一緒に食べたとき、母が「綿入れみたいに分の厚いお好み焼きやなぁ」と言った言葉を思い出しました。
実家の近くにいる妹の家族が来ない日には、母と一緒に食べに出ました。よく母は刺身が好きで、刺身定食を食べました。まな板に刺身の盛り合わせが出てきて、それを見た母がビックリしていた様子が懐かしいです。
長男が社会人になってから一人で母の家に行った時、喫茶店へ母を連れて行ったら、注文を聞きに来られた時、母は「刺身定食」と言ったそうで、息子もお店の人もビックリ。
それで息子は喫茶店を出てから、母をスーパーに買い物に連れて行って、晩のおかずように刺身を買ったら、母がおいしそうに食べてくれたそうです。
いっぱいゴールデンウィークの思い出のある舞鶴の実家へ、この休み中に行きたいと言う思いと、5月18日に母の3回忌法要をするので、その時に行くからやめておこうかどうか、決めかねています。
ふるさとや母を思う石川啄木の句が頭の中を何度も駆け巡り、私自身のゴールデンウィークの母の思い出も頭の中で交差して、涙がにじむ時間帯もありました。
やはり車が混んでもいい、行きたい! 家族と相談して決めます。
実家の母が元気で、子供たちが未だ学校へ行っていた頃は、ゴールデンウィークには必ず泊りがけで舞鶴の実家へ行っていました。それが我が家の楽しみでしたし、母も来るのを待っていてくれましたし、行けば喜んでくれました。
ゴールデンウィークに実家でお好み焼きを作って母と一緒に食べたとき、母が「綿入れみたいに分の厚いお好み焼きやなぁ」と言った言葉を思い出しました。
実家の近くにいる妹の家族が来ない日には、母と一緒に食べに出ました。よく母は刺身が好きで、刺身定食を食べました。まな板に刺身の盛り合わせが出てきて、それを見た母がビックリしていた様子が懐かしいです。
長男が社会人になってから一人で母の家に行った時、喫茶店へ母を連れて行ったら、注文を聞きに来られた時、母は「刺身定食」と言ったそうで、息子もお店の人もビックリ。
それで息子は喫茶店を出てから、母をスーパーに買い物に連れて行って、晩のおかずように刺身を買ったら、母がおいしそうに食べてくれたそうです。
いっぱいゴールデンウィークの思い出のある舞鶴の実家へ、この休み中に行きたいと言う思いと、5月18日に母の3回忌法要をするので、その時に行くからやめておこうかどうか、決めかねています。
ふるさとや母を思う石川啄木の句が頭の中を何度も駆け巡り、私自身のゴールデンウィークの母の思い出も頭の中で交差して、涙がにじむ時間帯もありました。
やはり車が混んでもいい、行きたい! 家族と相談して決めます。
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまいや
一人都のゆふぐれに
ふるさとおもひ泪ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
室生犀星・・・・・叙情小曲集・・二
この詩のように
「ふるさと」は遠きにありて思うもの・・・・ではないでしょうか・・・・・・?
犀星の境遇は、金沢に生まれ、事情により生後1週間で養子に出され、実母の顔さえ知りませんでした。
継母、異母兄弟にいじめられ、散々な幼少時代を過ごし、上京ました。
それでもたった一つのふるさとを、ずっと思い続けていました。
後年、名声を得、ふるさとに帰りし時、犀星の思いとは裏腹に、ふるさとの人々は決して犀星を暖かく迎えてはくれませんでした・・。
この詩は、そうした傷心の犀星が、再び東京に戻ってから詠んだふるさとを思う詩です。
金沢市内を流れる「犀川」の文字のひとつを自分の名前にするほど、犀星は人一倍ふるさとを思う気持ちが強いようです。
若かりし頃、学校で学んだこれらの詩、今になってやっとその意味するものを少しだけ理解できるようになってきた気がします。
ふるさとは遠くでなつかしく思うものではあっても、あまり帰るところではないようですね・・・・。
先日のコメントにこの詩も載せるつもりでしたが、あまり長くなってしまいそうなので止めてしまいました・・・・・・・・・。
の事愛されていたのでしょう。故郷は心のよりどころ
となるのでしょう。と故郷が長年住み着いた
京都山科の私が思います。