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政界引退後、新作を次々発表…石原慎太郎さん

2015-08-08 08:14:50 | 日記

生ある限り感性を表現


2015年08月07日 05時25分 YOMIURI

 政界を昨年末に引退した石原慎太郎さん(82)が小説、回顧録などを精力的に書きまくっている。

 「このごろ小説の発想力が出てきて、いろんなものを書きたい」という石原さんにとっての最大の敵は「残された時間」のようだ。

 のっけから石原氏は意気軒高だった。「面白いでしょ。おれ、小説うまくなったと思う」

 昨年刊の短編集『やや暴力的に』(文芸春秋)に続き、今年になってからも文芸誌「文学界」に「ワイルドライフ」をはじめ短編を立て続けに発表。今月下旬には長編純愛小説『フォアビート・ノスタルジー』(同)を刊行する。

 2年前に軽い脳梗塞で倒れるなど体調は万全ではない。好きなヨットも近年は「クルーに迷惑かけるんで、あまりタフなレースには出られない」「肉体がどんどん凋落ちょうらくしているから、自分にイライライライラするんだな」と語る。「だけどさ」と続けた。

 「へんな話だけど、書斎にこもってものを書いているときが一番落ちついていられる。政治も文学も『口舌の徒』、言語の世界だからな。これは自分の業だな」

 近作「海の家族」では、遭難後に精神に変調をきたす男を描き、「ある失踪」では、認知症になった女性にとっての生命の輝きを描いた。『わが人生の時の時』(1990年刊)などに代表されるように、氏の文学は、死と隣り合わせにある生の輝かしい一瞬を鮮やかに切りとることに定評があるが、最近は、衰え、老いゆく人間の精神の弱さと、一方にある強靱きょうじんさを凝視し、新境地にある。

 「確かに年を取らなければ書かなかった小説。それが老いかもしれない。しかし、これは人生の老年にして初めて獲得できたフルーツ(果実)とは思わない」

 信長が好きだった小唄の一節〈死のふは一定〉を、石原氏もまた愛する。人間が死ぬのは当たり前。だからこそ、生ある限り、感性のきらめきを大切にし、それを表現していきたい。今は、元首相の田中角栄の一人称でつづる長編小説を構想している。

 「彼は先見の明があったし、女性が好きで、多情多恨だった。それを書くのはとても意味が深いし、面白いと思うね。ほかにももっと書きたいことがある」

 なぜ、そこまで未知の戦慄を求め、好奇心がやまないのか、と聞くと、「もうすぐ死ぬからじゃない」。ニヤリとし破顔した。

 「ぼくは芥川賞を受けて有名になったんじゃなくて、ぼくが芥川賞を取ったから芥川賞は有名になった」

 1955年、一橋大学在学中に「太陽の季節」で文壇に登場してから60年。同作で芥川賞を受賞したとき、選考委員の佐藤春夫に「石原慎太郎は『不慎太郎』」と言われ、腹に据えかねたが、それでも当時の作家の間にはもっと活発な議論があった、という。「今の選考会は、侃々諤々かんかんがくがくの議論がないんだよ」。情報が氾濫し「若い作家の想像力が奪われている」ことにも不満がある。政界を引退しても、石原節はなお現役だ。

 そして、戦後70年。日本人のアイデンティティーが失われ、小さな「我欲」ばかりはびこっていることに不安といらだちがある。政治に長い間かかわっていただけに、それは人ごとではない。新作の自叙伝『歴史の十字路に立って 戦後七十年の回顧』では〈真の独立国家としての再起を訴えてきたつもりだが結果として日本をどう支えも出来ず、どう救いも出来ずに立ち至ってしまったと慙愧ざんきの念に堪えない〉と冒頭に記した。

 「だって、今の日本のありよう、悔しいじゃない」

「今年、長くやっていればもらえる勲章(旭日大綬章)をもらったんだよ。賞に恵まれない作家にくれる平林たい子賞のときのほうがうれしかった」(東京都内の事務所で)

 ◇いしはら・しんたろう

 1932年、神戸市生まれ。55年に「太陽の季節」でデビュー。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。68年に参議院議員に当選。後、衆議院に移り、環境庁長官、運輸大臣などを歴任。99年から2012年まで都知事を務めた。ミリオンセラー『弟』など著書多数。盛田昭夫との共著に『「NO」と言える日本』。