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聖戦完遂と反戦平和 2015.8.7 05:04更新 【産経抄】

2015-08-09 05:46:35 | 日記

 桜井俊(しゅん)氏の総務次官就任は、テレビのワイドショーでも取り上げられた。アイドルグループ「嵐」のメンバー、翔(しょう)さんの父親だったからだ。94歳の大往生を遂げた作家の阿川弘之(ひろゆき)さんも晩年は、テレビで活躍する長女の佐和子さんの父親と、紹介されることが多かった。

 ▼「新人」時代の佐和子さんが、東京の「台東区」を「ダイトウク」と発音すると、すかさずテレビ局に電話した。男性アナウンサーは、「お父さんから訂正がありました」と紹介したそうだ。言葉にうるさい阿川さんらしい、親バカぶりである。

 ▼戦時中は、海軍士官として通信諜報作業に従事し、敗戦を中国の漢口(現・武漢)で迎えた。なぜ、無謀ないくさを防ぎ得なかったか。わずか3年半にすぎない海軍生活が、一生のテーマとなった。

 ▼実在の特攻隊員をモデルにした『雲の墓標』や『山本五十六(いそろく)』『米内(よない)光政』『井上成美』の提督3部作は、戦争文学の名作とされる。一方で、遠藤周作さんや北杜夫さんとの愉快な交友録や、食べ物、乗り物をテーマにしたエッセーでも人気を博した。阿川さんによれば、ユーモアは、海軍士官が心がけるべきモットーの一つだった。

 ▼100周年を迎える高校野球が始まった。野球の用語でさえ、ストライクを「よし」と言い換えていた異常な時代について、小紙の『正論』欄に書いている。「聖戦完遂」のために、憎むべき言葉を使うのをやめよう、というのだ。阿川さんによると、最近の風潮は、「聖戦完遂」が「反戦平和」に変わっただけ。どちらも、世界の物笑いだと断じていた。

 ▼「反戦思い詰めが持つ危険性」と題した原稿が掲載されたのは、25年前である。昨今の安保法制をめぐる議論に、そのままあてはまる。

 


<memo>

 今日は石川県民体育大会第2日目で和倉温泉会館へ行く。

 1945年の8月9日午前11時02分長崎に原爆が投下された日である。