私は特にブランド好きというのではない。
むしろ、ブランドばかりを日常に纏っている人はどんな心理なのだろうと。
もしかしたら、モノばかりに執着して価値観のバランス感覚が欠如している人か、ものすごく孤独な人、または勇者きどり。
そのどれかではないか(あるいは頭が軽いか)などと疑ってみたくなるタイプである。
それでも、実は白状すると縁あって買い求めたブランドもいくつかある。
エルメスの時計。エルメスの皮のブレスレット。
ルイヴィトンの皮製品。バッグ。ティファニーの指輪・ネックレス。
それに、ジョーマローンの香水。
昨年はフルラの仕事鞄も買った。コールハーンの靴に財布もバッグも持っている。
どう考えても美しいから。素晴らしく均整がとれて申し分なく品格がある。
実用的だと
想うから手にいれてきた。無理をして…。
いつもブランドを手にすると、想う。
このブランドをもつにふさわしくなければ。モノが死ぬと。
そして本当に、自分がふさわしくない生活習慣を送っているならば、モノに、み捨てられる。モノから愛想をつかされ、去られてしまうという結末になる。と、いい聞かせてきた。
それは本当だ。そうやって私はいくつかのブランドを失った。
エルメスのブレスレットも、
ティファニーのルビーの指輪も手元から去った。
パパがパリから買ってきた
スワロフスキのブルーとイエローのネックレスも二度と私の首を、華麗に飾ってくれはしなくなった。
そして、この2月。ものすごいブランドものを手にいれることになった。
車である。赤のレクサス。(レクサス車で一番安い可愛い車を手にいれた)。
この車にしたのは、何よりレクサスっぽくないから、というのが購入の決め手だ(笑)。自分が扱える唯一のレクサス。
TVCMでは。歌劇調のオベラが唄われるのをBGMに
ぐるぐると。フランスの坂道を、石畳の道を、白いレクサスから深紅のレクサスへと。車がくるくるまわりながらキキーとダンスし、最後にオペラがハハハ!と笑うCMが流れているあれだ。
はっきりCMはかっこいい。
ただ私はメカに異常に弱いので、車というのは安全に動いて、自分をスムーズに移動させてくれさえしたら、それでいい。とスタイルなどにはあまりこだわるタイプでははっきりない。
その証拠に同じ車に19年も乗っていた。それもファミリーカー。一般大衆車。
しかし、今回の新車は自分の意志とは少しだけ違って、
パパのお兄様がトヨペットから、レクサスに数年前に移動になり昇進、同じ車を買うならお兄様に売り上げを、ということで他の選択肢はなくこの車を入手することになった。
はっきり言おう、
レクサスは値引きがないというのは本当である。
ただ元の車を少し高く下取りしてくれたりして調整するほか手段は若干あるらしい(それも数万程度)、残念ながらうちの元の車は全く価値のないオンボロなのだから…それも無理。
しかし、キャッシュで払うにはあまりある大金であった。ぜえぜえした。
(20年前に家を購入したときは、ローンの額が半端なかったし、こうは思わなかった)
これだけ稼ぐのに、どれほどの目から汗を流したのだろうと呆然とするほどの金額。大枚をはたいた。私もおそらくパパも…。
(以前もお兄様がメーカーも色さえ指定したものを言われるままに購入していた。わたしたちは弟分なので致し方ない)
しかし、今日はじめてレクサスに乗る!
本当は、もうめったなことでは乗らない(小傷を恐れて)と思っていたのだけれど、
あいにくの雨。図書館に急用があってどうにも荷物が重たいので
初乗りをすることになった。
緊張の一瞬。私は試されていると、ドキドキする。
だって昨日は、初乗りするときにナント何かの手違いで他のレクサス車のkeyが手渡されていて(パパのは正常key)、
私がドアノブに手をふれてもセンサーが反応してくれなかった。
この車に限ってこんなことは100万回に1度くらいだと聞く。
やはりオーナーとしてふさわしくないのね!それもそうだわ。と苦笑い。
しかし、今日のkeyは、私を運転席に誘導するようで。近づいてそっと小指をふれただけで自然にあき、
すべての運転席モニターが自動で動き出した。
サウンドは勝手に私のiPodに反応して、アイルランド人のけだるい女性シンガーのナンバーが流れはじめた。すごいサラウンド。音質最高。
家で聴くよりも音質がのびわたり、どこかの大草原のかなたから響きわたるように爽やかで軽かった。
運転に際してはそう感動はなかったが、サウンドは新鮮。そこに一番満足である。
この車の安全面へのサポートやら、オーナーズデスクのサポートは素晴らしいらしい。
例えば、不審者が侵入したり誰かが持ち去ろうとすると、勝手にオーナーの携帯が鳴り響き知らせてくれるのだという。
走行中、後ろから前から当たられそうになると、警笛音で知らせてくれ、
それを防ぐ。
居眠りをいていても、すぐに関知して知らせ、またオーナーが気分が悪ったんじゃないかと察知したらいちはやく救急車を車が勝手に呼んでくれるのだという。
1年365日24時間オーナーのパートナーとしてサポートをしてくれるというところが、
この車の価値なのだそうだ。
はじめて対峙する、車というブランド。
よく男性はそのひとの趣味趣向を「車」と「靴」が体現してくれるのだというが、
果たして女性はどうなんだろう。
いつまで私のそばで私のパートナーでいてくれる?
いつまで今のピカピカのままで寄り添ってくれる?
仲良く愛し合って、日々を営んでいけるのだろうか。気持よく鼻歌などをうたって軽快に走れる日はくるのか。ゴウカートを運転するような危険さをはらむのではなくて。
不安だ。
今週来週、そしてしばらく仕事はハード。
車と一緒に自分も成長していければいいのだけれど。
(たかが車。大袈裟だ、と感じるかもしれないけれど、バッグや器を買うのとは少しワケが違う気がするから)