雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

昨日は仕事休んで平日の娯楽。その②祇園

2023-04-15 11:45:24 | 日記

お芝居が終わって楽屋に行こうとしたけれど、ダメ!と止められてしまった。コロナ以降?

仕方なしに予約していた食事に行こうとそろそろと歩き出した。祇園向いて。

四条通り、クソ満員。博物館の展覧会でもそうだったけど、今は中国は少なくて欧米の人かな?

顔で判断だけど。アジア系も言葉は中国語じゃない。韓国?

それで、人混みかき分けて折れて花見小路に入って又ビックリ。両側に人人人。日本人居るの?って感じ。

 

食事の予約する前に、祇園か木屋町か迷った。祇園は高いから。でも木屋町は混んでいるであろうと思ったのと

南座に近い方が良いかなと祇園で選んだ。結構リーズナブルなお店見つけたので。

しかし・・・、私たちが若かった頃の京都ではもう無いよね。

さすがに”一力”は知らんけど、”十二段屋”なんか高くて一見さん入りにくいお店だったのだけれど、びっしり列

作ってましたわ。私が若い時、仕事で海外のお客様来日時は、京都観光案内もした後、夜は”十二段屋”で

すき焼き食べたりした。高級なお店のはずだったのだが・・。

今はもう花見小路のどのお店にも、客が列作って並んでいてびっくりよ。昔はそんな光景全く無かった。

 

花見小路、欧米顔の人で溢れていた。

予約したお店も、電話入れた時はカウンターもテーブルもどちらでも空いてますと言われていたが、

行ったらもう満員で、それも外人さん結構居たはって・・・。

今は調べるのも超簡単なんだよね。海外の人、日本人よりよほど見どころスポット知っているよね。

お食事は”おばんざい”8種含んだコースで、友らと これはお安い!お値打ち!お値段以上だねと。

カウンターの中の板前さんは6~7人居た。そのうち若い女性が3人も。パティシエ専門の人も居るのかも。

最後のデザートの時に、そのうちの1人が席に来てくれたので、『女性が多いですね』などと話したら、

やっぱり彼女ら、日々創作に励んでいるのだとか。出してくれたデザートも斬新で美味しかったよ。

 

もう1軒行く?隠れ家のバーに と言ったが雨も心配だったし、大阪まで帰らなアカンしで、そこで終了。

皆で電車乗って帰った。

私ともう1人は朝からの1日仕事で、イベント3つこなして、もうへとへとだったわ。

でも楽しかったね、美味しかったね。

お芝居に出ていた女優さんに今朝、『昨日観に行ったよ。前の方の席で花道のすぐ横だった。身体気を付けて。

楽屋には行けなかった』と連絡したら、『わーそーやったん?ありがとう。ごめん』と返事。

今日もお芝居2回公演だ。彼女も頑張ってる。私と一緒でちょっと太いけど(;^_^A。

又次は一緒にご飯行こうねと。

そんな訳で、脚も腰も痛くない割と元気な私たちは有難いねと、次回の日にち決めて別れました。

楽しい1日を有難う!


昨日は仕事休んで平日の娯楽。その①親鸞さま

2023-04-15 11:10:43 | 日記

昨日は仕事休みを出していた。

でもやることは一杯だったし急ぐこともあったので、朝の5時から仕事した。

そして9時頃から支度して出掛ける。友と2人で京都国立博物館で開催中の親鸞聖人展へ。

元々が、京都南座のお芝居に友だちが出るので、6人会のメンバーのうちの4人で出掛けようと約束していたもの。

(今6人会は4人で寂しい。1人はこのブログにも書いたが丁度1年前にくも膜下出血で倒れ現在リハビリ中。

 だいぶ良くなって、皆で会える日も近い。もう1人は、ご主人が病気で治療中なので離れられない)

 

私は、どうせ仕事を休むのなら親鸞展にも行きたいと考え、4人を誘ったが午前中から出掛けられるのが1人だけ

だったと言う訳。

京都国立博物館は七条から歩いて5分くらい。便利な場所にある。昔学校から、ミロのビーナスだのツタンカーメン

だの見に行ったよねと。場所間違ってなければ。今はキレイになっている。

私は1人で確か1~2年前 俵屋宗達や尾形光琳らが描いた雷神風神などを展示してあった展覧会を観に行っている。

何と言う会だったか?狩野派?印象派?タイトルは忘れたが、あの頃の絵や仏像は好き。

特に美術が好きだとか造詣が深いと言う訳では無いが(どちらかと言えば絵より音楽の方が好き)その時は何故だか

観たかったのだろう。

 

私たちは仏教系、それも真宗の学校を出ているので親鸞さんはとても身近。でも展示品は私が想像しているのとは

ちょっと違った。”善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや” で有名な歎異抄なども展示してあるかと思いきや

もっと古いのが多く、つまりは親鸞以前のもの。親鸞の師匠は?親鸞はどうやってそうなったか?が大事だったらしく

親鸞の死後のことはそれほどでも。貴族の生まれだったんだね。知らんかったわ。

 

ちょっと意外と言うか改めて考え直したのが、巻物はびっしり漢字漢字の羅列。これは漢文かい?って感じ。

フリガナがふってあるのだけれど、全部カタカナ。平安頃になって巻物の文字にも漢字とひらがなが混じって

来るのだが、ここでもフリガナは主はカタカナで、ところどころ平仮名と言う、両方混じったもの。何だか変。

カタカナって、イメージから結構新しいものだと誤解していたけれど、実は相当古くからあったものなのね。

ひらがなの方が遅い?

 

親鸞さん亡くなったのが11月28日と書かれていたので友と『これ、報恩講の日だよね』と。そう私たちの学校では

お釈迦様の花まつりの日(4月8日)だとか報恩講はイベントだったのよね。

”明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは” これ、9歳で出家する時の親鸞の作だとは、

全く知らなかった。思いはとっても解る気がする。9歳でこんなこと思うなんて生意気だ(笑)

巻物の文字も上手下手があって、なかなか見ていて面白い。平安の時代になると絵巻モノもあって、うんうん

遠近法?もそれなりに考慮していて上手いかも・・なんてエラソーに見入っていた。

 

そして七条から一駅の四条へ。南座前で落ち合いお芝居観劇。それが又”若き日の親鸞”と言うタイトルで、

おそらくこの時期、親鸞展があるのを見越しての出し物か?と思った。

直前に展覧会観ているので、ストーリーの次が読めてしまったわ。

私は前半、ほとんど寝ていたよ。休憩25分と言われ、目が覚めました💧。

 

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