雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

あ~愚痴だわ。仕事中に寝るってどういうこと?

2023-04-22 22:16:50 | 仕事

先週末から仕事上で気になっていたこと。

それは、大モノ見積を仕上げることだった。それも3つほど。

金額がデカいと自ずとボリュームもそれに伴い大きい。めっちゃ憂鬱だった。

おまけに私の悪い癖で、難しいことや厄介なことはついついズルズルと後回し。

そしていつもギリギリになって慌てふためくのだ。

まあ、信条として”約束は守る””納期は守る”なので、そこは徹夜してでもやりあげはする。

泣く泣く手を付けだしたら、新たな急ぐ見積などが横から入って来て、テンパってパニクる。

何とか仕上げて社長に上申。海外出張中の社長は部長(息子)に見て貰えと言う。私は『イヤです』

『何でやねん!?』と社長は聞く。私『部長いつも返事遅いです。貰う頃には時機を逸してます。終わってます』

それに対して社長の返事は無い。解っているけど。甘やかし過ぎだよ。

告げ口みたいで嫌なので、当の本人の部長にも同じことを言う。同じように『何で?』と聞く。

私に言わせれば聞くか!?と思うのだが、同じように答える。返す言葉無いでしょ。

ま、本人が気張るのなら勿論こちらも皆力を合わせて協力もするし頑張るし支えようとは思う。

 

そんな見積も何とか全部提出し出張したのは良いが、1件のアポが急遽3件となり、それこそ東奔西走状態で

走りまくる。

なんでもう少し落ち着いてゆっくり出来ない?と自分でも思うのだが、会ってくれると言われれば、

会わない勿体無さより会うしんどさを選ぶ。スルーなんて出来ない。時間の配分も考えずに。

同行者にまでしんどい思いをさせる。いい迷惑だろうね。

 

そして昨日は午後から友の弔問に行った。ゆりかもめでお台場から新橋(新橋で考えた)、そして

山の手線で新宿、地下鉄大江戸線?に乗り換えて終着駅まで。そこから歩き。スーツケースごろごろ引きずって。

練馬って遠いのね。同じ東京だと、たか括ってた。

帰り、気が緩んでと言うか疲れてと言うか、当然、新幹線で爆睡。それを見越して新大阪止まりに乗った。

そして今日。実は出勤日だった。月イチの工程会議。月末の土曜日と決まっているが、来週は祝日?

GW真っ最中なので1週間前倒し。

設計副部長に話があるが明日来れる?と昨日聞かれ、しんどくなければとは言ったものの、案の定

しんどいので、済みません、家でWebで参加しますと連絡。通勤が長いので時間も勿体無いし。

 

自分案件は聞かれることも有るので、それに備えていたは良いが、自分の分が終わってもう質問無いだろう

と安心したのか、不覚にも知らぬ間に寝てしまっていた。家だから。当たり前の話だが、会社で流石にそれは

無いよ💧。はっと目が覚めたら向こうから声がしない。

営業アシスタントの女性に電話して『いつ終わったの?』『15分ほど前です』

あー恥ずかし。しかし彼女は『疲れたはるんですよ』と慰めてくれた。

 

1年前に6人会のメンバーがくも膜下出血で倒れた。幸い彼女は一命をとりとめ、リハビリの甲斐もあって

回復が目覚ましい。LINEにも最近は入れてくるしで、会える日も近い。すごく楽しみだ。

反面、先日は別の友が大動脈解離で亡くなった。

私たち、そんな歳なのねと皆が言う。かと言って、覚悟している?私はまだ覚悟出来ていない。

心の準備も身の回りのことも。

先日、娘とLINEで揉めた。私は決して子どもたちに怒ったり偉そうに言ったりはしない。無理も言わない。

殆どのことは聞いてあげている。それは過去の諸事情から、引け目負い目が有るからだと思う。

そうでなければもっときつく言ったりはするだろう。だから変則的な母子なのだ。

遠慮する必要なんか無いのだけれど。

仕事では、それが例え客相手であろうとワガママ気まま言いたい放題。おかしいことは突っ込まなくては

気が済まない私なのに、なんで我が子相手に遠慮しているのか?と自分でも思うけれど、私たちの歴史が

そうさせる。

何度も書いているが、私は揉めることは好きじゃない。嫌な思いを残したまま終了!となるのが嫌なのだ。

次に持ち越したくない。気分良く終わりたい。いつだって何事だって。明日があるとは限らない。

だから都度、気持ち良く”じゃあね””又明日”となりたい。恨まれたって怒られたって罵られたって、

仕方なく?受け入れるしか無い。腹立たしいことは勿論有るけれど、とにかく機嫌悪いままがイヤ。

 

仕事の悩みなんて無いよ。有ったとしても、仕事辞めれば終わること。無くなる。

でも身内の悩みは一生付いて回る。何にストレス感じるって、子どもの機嫌悪いことが私にとっては

一番のストレスだ。

今は何を言っても無駄だろう。又機嫌が治ることもあるかも知れない。てか、治ってくれなければ困る。

何の悩みも無さそうに見える私だけれど(多分多くの人にそう思われている)そんな悩みなんかも抱えながら、

生きている。逆にそれしか無いと言えば無い。が、大きな問題だ。

何にも期待はしていない。孫ももう大きくなった今、趣味もない私には仕事しかないのだ。勿論好きで

やっている仕事だけれど、逆に仕事辞めたら私に何が残るのさ?ってこと。

どうよ?こんな人生。まあ、なるようにしかならない。


友が亡くなる

2023-04-22 00:48:31 | 日記

昨日(20日)、東京出張の準備をしているところに友だちからのLINE。

中・高時代のクラスメイトが亡くなったと。それも突然のことで皆茫然。信じられない・・・と。

私たちの学年には学年LINEがあって、それに参加している6人会のメンバーから私たちにもLINE。

私は新幹線に乗ってから返事をしたのだけれど、名前を見ても本当に半信半疑、信じられなかった。

 

21日の仕事は最初10時のアポだけだったのだが、急遽8時半と9:15に追加の面談が入り(こちらは挨拶だけだけど)、

設計の若い女性とゆりかもめの東京ビッグサイト駅近くのホテルに泊まっていた私は、朝早くから出掛けて

田町まで行き、お台場に戻りと、時間との戦いで焦った。

3件目の打合せが終わり昼食を取った後、午後休取って用事で恵比寿へ行くと言う同僚と別れた。

 

亡くなった友は東京在住。

しんどかったのと、山手線でも全く反対方向で遠かったので迷ったのだけれど、自分がたまたま東京に

居るのも何かの縁と、皆の想いにも押され、亡くなった彼女の家に向かった。

私は彼女のご主人にも息子さんたちにも会ったことはない。

お別れ会の時間にも早過ぎる。しかし連絡を貰った時に書いてあったご長男の携帯に電話すると、

時間なんかいいから是非来て下さい、母はまだ家に居るからと。

大動脈解離に依る急死だったと。痛がる暇もなかったことがせめてもの救いだとご主人。

陶芸が好きで玄人はだしで、長くフラメンコをし、地域の世話も。フラメンコの稽古中に倒れたと。

学年で1・2を争うほどの美人だった。綺麗だけでなく可愛かった。歳をとっても少しも太らず、小顔で

モデルみたい。コロナ前のクラス会で会った時は、同じ世代とは思えない・・・と皆が言ったものだ。

仕事の出張の格好のまま突然お邪魔し、本人の顔を見ては涙、ご主人や息子さんたちと話しては涙。

もう何しに行ったんだか・・・。

大阪から学生時代の友だちが来て下さったことが嬉しいと、ご家族は言って下さったが、フル回転で

生きていた彼女は、まだまだやりたいことがいっぱいあっただろう。

健康診断でもどこも悪いところは無かったと。健康老人だったんです・・・と息子さん。

なのに何で、こんなことに。

 

私たちもいつ突然こんなことになるかは判らない。そういう歳なのねと、皆が思ったことだろう。

楽しい青春時代を一緒に過ごせてありがとうって言っといてと大阪の友らからのLINE。

うんうん、本当にそうだよね。皆仲良くて楽しかったよね。そう言えば息子さんが『母は学生時代

楽しかったって言ってました。みんな仲良くて優しくて、誰も虐める人なんか居なかったと言ってました』

と言ってくれたわ。誰もが同じ思いなのね。

卒業してから50年以上も経つけれど、みんなあの時の幸せは忘れてないんだよね。

Aちゃん、皆が惜しんでるよ。もっと生きたかったよね。でも全力で生き抜いたよね。

いつかは誰もが逝くんだよ。どうぞ安らかに・・。でも虚しい。