「忘八」という言葉を初めて知ったのは、萬屋錦之介主演によるテレビドラマ版『子連れ狼』でした。
細かいストーリーは忘れましたが、確か大五郎が、逃げて来たお女郎さんを匿うかなにかしたんじゃなかったかな?で、その責任を父親である拝一刀が背負うわけです。
女郎屋の女将(浜木綿子)は、拝一刀が「ぶりぶり」という拷問を耐え抜いたら、女郎を逃がしてやると約束します。
「ぶりぶり」とは、裸にして逆さ釣りにした身体を、水をいっぱい貯めた桶に突っ込み、これを引き上げたあと、今度は竹刀で激しく殴りつける。
その竹刀で殴る際に、「ぶ~りぶり、ぶ~りぶり」と言いながら殴るんです。これを何度も何度も繰り返す。
うわ~、ヤダヤダ。
あっ、言っときますけど『クレヨンしんちゃん』じゃないからね😱そんな呑気なもんではないです。
で、この時に浜木綿子さん演じる女将が、自分と手下たちのことを「忘八」もんだと自己紹介するわけです。
【仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌】
の、人間が持つべき八つの徳をすべて「忘れた」者たちということで、つまりは人でなし。
忘八もんとは、「人でなし」という意味なわけですね。
この「ぶりぶり」なる拷問が本当にあったのどうか、これはよくわからない。なにせ『子連れ狼』って、本当の事のように見えて実は創作というパターンが多い。
拝一刀が使う「水鷗流」なる剣の流派は実在するものの、劇中で使われているものとはかなり違うものだし、抑々、拝の元職である「公儀介錯人」なる役職は架空の役職です。実際にはこんな役職は存在しなかった。
ダイナマイトを「投擲雷(とうてきらい)」なんて呼んじゃうし、柳生黒鍬衆に柳生風懐状、殺し屋三兄弟を「弁天来」と呼んだりとか、とにかく言葉の作り方が上手くて、本当のように思えてしまう。それは見事なものです……って、おいおい
子連れ狼の話してる場合じゃねーだろ!?この「べらぼう」めっ!
というわけで『べらぼう』です(笑)
高橋克実演じる駿河屋は、雇人の蔦重(横浜流星)が、吉原に客を呼び戻すための本を制作しているのが気に入らず、殴る蹴るの暴行を加えた上、追い出してしまう。
これを知った忘八仲間の扇屋(山路和弘)の諫め方が実に見事でした。
駿河屋が蔦重のしていることを認めたくないのは、いずれ駿河屋を蔦重に継がせようと密かに思っていたからなんですね。それなのに本屋の真似事みたいなことをするのが気に入らない。茶屋の仕事を覚えりゃいいんだ!他の事に現を抜かすな!
とまあ、こんな思いがあるから、なわけですが、これってまさしく、人間的な「情」からくるものですよね。これって、人でなしであるはずの某八もんらしからぬ行動だ、と、扇屋はこの点を鋭く突いてきます。
亡八が人みたいなことをするんじゃない。ここは損得で頼むぜ。
と
亡八を自称するもの故の、見事な納め方をするんです。
これ、痺れるよね!
扇屋さんのしていることは、実際には「情」から来ているものですよね?だけどあくまでも、某八もんとしての立場を堅持しながらの発言に終始している。
忘八道とでも申しましょうか。悪党には悪党なりの矜持というものがある。例えば盗賊には「盗賊三カ状」というのがあって、「犯さず、殺さず、貧しき者からは盗らず」この三つの掟を守って”おつとめ”を果たす盗賊こそが真の盗賊であるということがあるわけです。
悪党には悪党の道。忘八には忘八の道あり。
もちろん、悪党なんかになってはいけませんよ、人はまっとうな道を歩まなければなりません。それはまったくそのとおり。
が、それはそれとして
忘八の矜持に、「日本」の文化を感じ、これもまた
【粋】というものだなと感じる、今日この頃。
くう~、痺れる~う。
駿河屋市右衛門(高橋克実)
扇屋宇右衛門(山路和弘)
渡辺謙さん演じる田沼意次に
「伊達家は鉄の銭で大儲けした」なんてセリフを言わせるとはね(笑)
これもまた、ある意味【粋】だね。