本日5月3日は、岩手県平泉町にて「春の藤原まつり」メインイベント、「源義経公東下り行列」が3年ぶりに開催される日。
今年の源義経公役には、俳優の伊藤健太郎さん。義経の正室北の方役には、IBC岩手放送のアナウンサー・川島有貴さん。川島さんはアニメオタク、特撮オタクとしても、岩手県内では有名(?)な方なんですよ。それはともかく。
今度の日曜日には、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にて壇ノ浦の戦いが描かれ、義経公の大活躍が見られる。
これらのことを記念して、改めて源義経公とはどのような人物なのかということを
学んでみたい。
源義経公は、平治の乱で平清盛に討たれた武家の棟梁・源義朝がその側室、常盤御前に生ませた子です。義朝の正室の子、源頼朝とは腹違いの兄弟、頼朝の弟に当たります。幼名は牛若。
牛若は出家することを条件に命を助けられ、幼くして鞍馬寺に預けられます。この牛若がどのような経緯で奥州平泉へと渡って行ったのか、実はよくわかっていません。鞍馬の山中で夜な夜な天狗を相手に修行を積み、京の五条大橋での武蔵坊弁慶との出会いから、金売り吉次に連れられて奥州平泉に渡る。この辺りのことはどこまで本当なのかよくわからない。わからないにしろ
奥州の地で伸び伸びと育てられたことが、常識に囚われない軍略を発想する基となったのではないだろうか。
話は前後しますが、義経公の母、常盤御前は牛若を鞍馬寺に預けた後、どういう経緯かよくわからないのですが、公卿の一条長成の妻となり子を成しています。
一説には、常盤御前は義朝の死後、一時的に平清盛の妾であったなどとも伝えられているようですが、これも真実の程はわからない。その晩年もいつどこで亡くなられたのかもよくわからない。この時代の女性のことは本当に記録が少ない。
ちなみに「御前」とは、身分がそれなりに高い人物に対する通称なのですが、常盤御前は元々、天皇の正室に仕える雑仕女であったと伝えられています。
雑仕女(ぞうしめ)とは主に雑用を司る召使いみたいなもので、その身分は決して高いものではなく、天皇にお目見えするなど決して許されなかった。
そんな低い身分の方が何故「御前」と呼ばれているのか。これはあくまで後世に呼ばれるようになったもので、当時はそのように呼ばれることはなかったものと思われます。
源氏の棟梁の側室であったり公卿の妻であったりした人物ですから、なんらかの尊称をつけなければバランスが悪い。そう考えた後世の人が、比較的何にでも使える「御前」という尊称をつけて呼ぶようになった。おそらくはそんなところだと思われます。
後に源義経公の愛妾となる白拍子・静御前の「御前」もまた、同じようにバランスを保つという発想からつけられたものなのでしょうね。
白拍子(しらびょうし)とは、男装して歌い踊る遊女です。その源流は神前で神楽を舞う巫女であり、これが世俗化し落剝したものであろうと言われ、遊女ですから春を鬻ぐなどの行為もする一方、位の高い人々の宴席に上がるため、それなりの知性や教養、見識が必要ともされていました。
男装の麗人であり、知性も教養もある都の女性ということで、田舎育ちの義経公はすっかり静御前に嵌ってしまったのでしょうね。
ちょっと長くなりそうです。今日はこのくらいで。