リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

小中高もディズニーも再開したのに大学だけがオンラインを続けなければならないのか

2020-08-07 | 一般
新型コロナウイルスの第一波を乗り切った後、小中高校が登校を再開し、テーマパークや夜の街も営業するようになった。あまつさえ政府は「Go Toトラベル」で広域移動を推奨するかのような政策を打ち出している。なのに大学だけは今年度になってキャンパスでの授業を一度も受けていない人さえいるという(朝日新聞2020-8-5)。ツイッターでの「小中高が良くて、ディズニーが良くて、夜のお店が良くて、大学はダメなんですか」という問いかけに、大人たちはしっかり答えなければならない。

小中高と大学の一つの大きな違いは、学生の通学範囲だろう。だから大学生のほうが、小中高校生よりも、通学により感染する(させる)可能性は高い。だがそれなら企業だって同じだ。出勤を70%(だったか?)減らすくらいの在宅勤務を導入したように、大学も3割くらいはキャンパスでの授業を導入することはできないだろうか。(記事によれば、80%以上をオンラインにしている大学が7割というから、3割の大学は20%以上対面授業をしているらしい。)
だが企業とも違う大学ならではの難しさもある。大学では授業ごとに学生が教室を移動する。だから企業や小中高校と違って、1時間ごとに異なる集団が同じ部屋にいることになり、やはり小中高や企業よりも感染リスクは高いと言わざるを得ない。似たような人の動きのある企業で参考になるやり方はないだろうか。
大学生が絡むクラスターも各地で確認されているというから、(想像だが)若者は「高齢者じゃないから大丈夫」と思って、コンパなどで感染を広げてしまう人が多いのではなかろうか。若者ばかりを責めるつもりはないのだが、このあたりは若者の自覚を促したい。

こう考えてみると、大学での対面授業の再開が遅いのには一応理由があるのであるが、世の中感染拡大防止だけがすべてではない。同じ日の紙面にはたまたま、「生き延びること以外の価値はないのか」という哲学者の問題提起が取り上げられていた(同15面)。感染拡大防止を至上命題にして他のすべてを犠牲にしていいわけではない。特に、大学生だけが、キャンパスで学び、同輩と触れ合うことができないというのはやはり問題だ。
コロナ禍の終息はまだ遠そうだ。オンライン授業の質を高めたり、授業以外でもオンラインでの交流の場を設けたりするほか、教室移動を最小限にする形でのカリキュラムを組むなどして、平常の何割かの授業をキャンパスで実施する道はないものだろうか。

追記:アメリカでは一部の大学で、対面授業再開のために無症状の感染者を見つけて隔離できるよう、毎週2回PCT検査を行なう「サーベイランス検査」の態勢づくりが昨年6月にすでに始まっていたという。これによりキャンパスを再開する事例が増えているという。感染予測のモデルを作って、週1~2回PCR検査を受ければ対面授業や寮生活を再開できると科学的な見通しを立てた上でのことだという。(朝日新聞2021-4-8(取材後記)で知ったのだが、朝日新聞2021-3-29が本記事らしい)。



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