7世紀前半に聖徳太子の皇子が、太子の病気平癒を願って建てたのが始まりといわれています。
昭和19年落雷のため飛鳥様式の三重塔は焼失まししたが、作家幸田文氏をはじめとする多くの人々によって
昭和50年復元されそのい美しい塔は蘇りました。
幸田文の父、露伴はわずか25歳で名作「五重塔」を世に発表した。
幸田家では再販のたびに「うちの中にはいつも塔という言葉があった」という。
その再販はすくなかなず幸田家の家計を助けた。
昭和40年 法輪寺の三重塔の再建計画が挫折したという話を聞いた幸田文は自分で出来る範囲での資金調達の
決意をし、それまで苦手だった講演にも積極的に出かけ、講演料や原稿料を資金の足しにした。
昭和48年6月から翌年7月まで法隆寺門前近くで間借りし(東京に住んでいました)工事現場に足を運んだ。
昭和50年11月4日、法輪寺三重塔の落成法要がおこなわれた、しかし幸田文は出席しなかった。
「私の用は済んだの。見たいものはもう全部見てきました」と娘に語ったという。