京の北 鷹峯光悦町、徳川家康が本阿弥光悦に与えた所である。光悦は一族縁者をはじめ、
いろいろの工芸にたずさわる多くの職人と住居をかまえ、光悦を中心とする工芸集落を営んだ。
光悦没後、寺として日蓮宗光悦寺となり今日にいたっている。
珍しい茅葺の鐘楼
光悦垣
境内には6軒の茶室がある。
京の北 鷹峯光悦町、徳川家康が本阿弥光悦に与えた所である。光悦は一族縁者をはじめ、
いろいろの工芸にたずさわる多くの職人と住居をかまえ、光悦を中心とする工芸集落を営んだ。
光悦没後、寺として日蓮宗光悦寺となり今日にいたっている。
珍しい茅葺の鐘楼
光悦垣
境内には6軒の茶室がある。
奈良大和路なのになぜ京都、番外編ということでお許しを・・・・・・・
鎌倉時代ときの摂政関白・藤原(九条)道家が奈良東大寺と興福寺から「東」と「福」の字をとり
九条家の菩提寺として造営しました。
広大な境内には25の東福寺塔頭があります。
開山堂
方丈の庭園
方丈とは1丈四方の面積をさし、その広さの部屋や建物のことで、1方丈の大きさは京間の四畳半程度の広さである。
仏教においての方丈は寺院の住職が生活する建物を方丈と呼ぶようになり、室町時代中期以降は仏像などが安置される様になり
本堂の役割を担う建物とされた。現在日本の曹洞宗では住職本人の事を方丈と呼ぶ。
11日午後の般若寺、訪問した時は10人前後 撮影するにはちょうど良いと思っていたら20人前後の撮影会の
人達がきました。あまり大きくないお寺に沢山の人達をつれてくるのは・・・・・・・・・・でも女の人達が沢山いました、
花の撮影だがらでしょうか・・・・・・・・・・
若い綺麗な御嬢さんもいました。
10月9日、10日の夕刻2日間 法起寺に行きましたが2日間とも塔の近くが赤くなりましたが
空全体が大きく赤くなるという事はありませんでした。良い夕景が撮れる事を期待してこれからもかよいます。
10月9日
10月9日
10月10日
昨日8日、日本の礎を築き薬師寺創建を発願された天武天皇の法要を行い、大講堂前に
約1,000基のおき燈籠に灯りをともす万灯会が薬師寺で行われました。
中門の二天王像
中門の二天王像