10月7日 日曜日法起寺に来る、天気は良いが雲が少なく良い夕焼けが期待出来ない。田んぼでは2組のお百姓さんがコンバインで
稲を刈っていました。ススキを探しに畦道を歩きながらふと考えました。お百姓さんは写真を撮りに来るカメラマンをどのように思っているのだろうと・・・・・・
10月7日 日曜日法起寺に来る、天気は良いが雲が少なく良い夕焼けが期待出来ない。田んぼでは2組のお百姓さんがコンバインで
稲を刈っていました。ススキを探しに畦道を歩きながらふと考えました。お百姓さんは写真を撮りに来るカメラマンをどのように思っているのだろうと・・・・・・
京都の北、西賀茂にある正伝寺は交通の便が良くなく、又市街地より遠い為、一般の観光客は来ません、私は好きなお寺の為
4~5回行きましたが、1度だけ2人で来られている方にお会いました。今回も私一人です。
山門を潜ると300m程の木々に囲まれた参道が続きます。静かです、風がある為 木々が触れ合う音のみがきこえます。
訪れる人も少なく訪問時は鐘を二打 打ちます。
方丈の広縁の天井は関ヶ原の直前伏見城に立て籠もった徳川方がその落城の時、割腹し果てた廊下の板を天井にしたものです。
今も板上に残るおびただしい血痕は当時の悲惨な武士道を物語っています。
比叡山を取り入れた借景庭園
天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の1つである。三門跡とは三千院、妙法院、青蓮院の事。
青蓮院門跡は古くから皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院である。
門跡寺院とは門主(住職)が皇室あるいは摂関家によって受け継がれてきたお寺の事である。
市街地(知恩院の北隣り)にありながら観光客の少ない静かなお寺、いや少し小さな御所である。
室町時代、時の将軍足利義満によって、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺これら京都五山の上にある(別格)とされた。
応仁の乱で境内は荒廃したが、西国の拠点を求めていた徳川家康によって再興される。それゆえ明治維新の廃仏毀釈の時は
政府や京都府によって廃寺寸前まで追い込まれた。僧侶の抵抗をよそに境内に水道橋が架けられたのもこの頃である。
三門は東本願寺、知恩院と並ぶ京都三大門の一つである。
この三門は歌舞伎で有名です。この三門に潜んでいた盗賊・石川五右衛門が欄干に足をかけ、キセルをくわえて
「絶景かな、絶景かな」と見得をきる名場面があります。
明治14年、琵琶湖の水を京都市街に運ぼうという計画が持ち上がった。東京への遷都で威信を失っていた京都市民に勇気と活力を
与えるため、水道や舟運、灌漑等に活用できる疎水の建設を考えだした。こうして生まれたのが全長93.17メートルの南禅寺境内の
水道閣である。
水路の巾は4m、今も琵琶湖の水を運んでいる。
知人の絵画展が京都であり、その前に京都南禅寺に行こうと、3日午前5時家を出る、空を見ると晴れ 雲があり朝焼けがあれば・・・・・・
急遽方向を変え西の京大池へ。赤信号にいらいらしながらやっと大池へ、5時20分到着 日の出前にまにあいました。
久しぶりの大池です、薬師寺東塔が解体工事に入りカメラママンもほとんど訪れることもなく、今日は近所の人が1名来られてました。
昨年の今頃は沢山のカメラマンが来ていましたが・・・・・・・しずかな、しずかな大池でした。