スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

色々見えたりしたからといって。。。

2007年01月09日 | スピリチュアル
マンダラや、仏様らしき人々、
そういうものが見えて実際の仏画などでも確認できたとしても
現実 今の私の生活がどう変わったかというと殆ど”普通の生活”です。
そういう出来事が「面白いなあ」と感じ、絡み合いがとてもドラマチックでは
ありますが、 だからといって 日常生活をしている分には
普通の人間として何も変わらないのです。

物をビョ~ンと動かしたり、人を意のままに操ったり
手のひらから金の粉なんか出したりもできないです。

強いて言えば便利になったのは”知りたい事は教えてもらえるって事”ですが
人間として生活していく上での 労働や日常生活、人間関係一切 モチロン
税金を支払う等わずらわしい事は付いて回っているので、
たとえ 「おお、マンダラが見えて悟りを開いた!」なんて勘違いして
これから人生の一切の煩悩や悩みや苦労から開放された!なんて事は
起きていません。 トホホ。

逆に知れば知るほどのどが渇くように 知りたい事が増え、
解れば解るほど 無常に気が付くというか。

以前よりも納得する様になった事と、他人の行動に対する要求は減ったかな。

「なるようになる。人様は人様の生き方がある」って。

幸せに生きるとはナンですか?と以前問うた事がありました。
「煩悩に煩わされずに生きられること」との事でした。

確かに、お金でも色でも名誉や権威でもない。
それらを手にしたとしても満ち足りるという事は無い事は日常茶飯事で、
煩わされ、頭から離れない執着が無ければ必然的に心安らかにいられます。

生きていくには色々な事が起きますし、思い通りに一切が進むわけでもないです。
RPGでも、即ボスキャラが出てきて倒して終わりなら
全く面白くないのと同じで、
人生には様々なイベントが発生し それを解決していく事が
”面白い”のです。 冒険の様なもの。

よくよく考えてみれば自分の人生も色々と経験させてもらっているなあと感謝。
20数年前には実家の仕事の下働きで1日50円のアルバイト(?)だったのが
歯医者になり、開業し、結婚し、変わった結婚生活のおかげで、
今日はトルコ、 昨日はロシアみたいな 世界を飛び回る生活になっております。

小さい頃に夢見た ルパン3世的世界。007的行動。
願いが叶ったといえば 叶ったのかな。 

あちらの世界に死んだ後も唯一持っていける物は 経験と思い出。
魂の経験値を上げることだという事。

里の行をしているとすれば
特殊な能力や行為は必要ないのかもしれないって事なのかもなあ。

曼荼羅 マンダラ 土下座

2007年01月09日 | スピリチュアル
昨年の12月22頃から ”瞑想をしなさい”ってとっても強く感じていました。
そして プチ瞑想したところ 土地の神様と繋がる為に額を床につけるという
動作が頭に浮かびました。 丁度 土下座の様子です。
その時に 
「ああ、土下座って卑屈になって相手に謝る行為としての物ではなく
元々は 土地の神様と繋がる祈りからきているんだなあ。感謝の気持ちなのだ」
と プチ理解しました。
その時に 背景にクルクル回転する火炎をしょった仏像みたいな顔をした人達が
円になってどど~っと見えたのです。
頂点から右に2番目のちょっと怖い顔した人物が 
パチパチと手を叩いて 「よくやった。よく気がついた」みたいに
褒めてくれました。
他の人達は無表情というか、穏やかな顔をしています。

いち、に さん し、、、と円の人数を数えてみたのですが
多すぎて(瞑想途中に人に呼ばれてしまったのもあって中断)
何人いますか?の私の問いに「48人」と答えてくれました。


後日、マンダラのジグソーパズルを見つけ、絵を見てみると
あの瞑想の中で見た配置とほとんど同じ絵柄が描いてありました。
火炎をしょっている仏様もいます。

今までマンダラの絵をじっくりと鑑賞した事も研究した事もないのですが
見たままそのままの世界でした。
きっとマンダラを描いた人は本当にそのまま見えたまま描いているのだと思います。

クルクル回る火炎。 それぞれの仏様のしょっている背景(後光?)
唐草模様も見えました。

マンダラの中に不動明王がいるのかはわかりませんが
一番上から右の人は(手を叩いてくれた人)不動明王だよ。って。
とても怖い人相ですが、怖い悪い人という印象ではなかったです。
強いて表現すると 凄みのある顔とでもいうのでしょうか。

それぞれの仏サマが杖の様な杓のようなバジュラの様な刀のような、、
金属でできた棒を持っていたのが印象的でした。