スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

かわいそう病

2011年05月07日 | インチョの酒

可哀想病。

あえてつけると そういう病(やまい)なのかな。
みんな簡単にすぐ 可哀想、可哀想と言う事に違和感を感じ続けていた。

自分自身へ ●●できない自分は 可哀想。。。と ヤマイを作り出してしまう人も多いし
他人を見て ●●な人は 可哀想。。。と 他人をいきなり簡単に可哀想な立場へ貶める人も多い。

可哀想を感じるレベルってなんなんだ?と思ってみると

基準を自分にしてみて、 下だ。劣っていると思ったときに とっさに出てくる言葉なんだろうと感じる。

言葉の雰囲気の裏に、「私はそれに比べて優れている、恵まれている」と 隠れているような感じ。

そう考える事は生きていく上でのテクニックでもあるのだけれど、自分の中にだけ納めておいて、
他人に対して発して使う言葉ではないと強く思うのです。

可哀想と言われて、「でしょ?だから皆私に同情して!」と同情や甘えや関心をひく手立てに使う人もいるから
相互依存、共依存な場合もあるから それならお互いにどうぞ。ご自由に。と思いますが
関係ない人にまで 依存の関係を強いる言は しないほうがいいと思います。


昨日、乙武さんの始球式の動画を見ていて、
とても、なんともいえず、感動して 大笑いをさせてもらった。 
幸せな気分になって。 笑うところではないのかもしれないけれど、
涙がでてきた。 

障害を持つ人を 可哀想。と一くくりにし、いちいち 可哀想。そんなことさせないで! 笑うなんて不謹慎。という空気もある。

でも、その人がしたことで 幸せな気分をもらったとして、それで大笑いしても不謹慎なのかな?

悪意のある嘲笑は 周囲だって雰囲気を察するだろうし、嫌な気分になる。

でも、可哀想病だと 笑われた=からかわれている と感じてしまう回路が 不幸なんだろうなと思う。

笑われた=楽しんでもらえた と 感じるように変換できたら 結構うまく世の中生きていけると思う。

笑われる事に極端に怯える人も居て、そんなに 虚勢を張らないほうが楽なんじゃないの?と思うときもある。



私の好きな言葉で、 「自分を笑えるものは 他人から嘲笑されない」

どんな不幸も、不運も 悲しみも  後で 笑えるほど 昇華したら これ程すばらしい 魂のオリを綺麗に掃除することはないと思う。

それを 魂の 垢をつくりだしてしまう病。

かわいそう病。 お薬は 笑いかな。。。


義援金 疑¥金?

2011年05月07日 | お金の話
どこかしこで 義援金、義援金。
本当に義援金が必要な方の元へ届いているのかしら?と疑問符。

こういう人の真心をいじるような事を してはいけないよなあ。と感じ始めてきました。

日本赤十字への寄付、募金も 現地で配布する手立てがないので
ミンスが預かり、配布します。なんて 事も言いのけたり、(募金した人は 早く被災者へ。との気持ちでしてると思う。)

そういう組織づくりは 概して 時間かかったり、不備があって文句いわれないように
スローモーに進んでしまい、組織だけが(天下りなどで 肩書きだけは立派な人が沢山できて)
そこらへんの活動費として くすねられていくんだろうと うがってみてしまう。

結局 しがらみのない所(民間)が一番適切に行動するのを
再び政府が 規制したりするなんて 昔から良くある話で。 ホント、進歩ないなあと思うのであります。

帰りの新幹線の中での 小さいニュースを見ていたら、

「●●が、株主優待相当分を 義援金へまわす事を検討している。他の企業も検討中」だと。


あ~あ。 もちろん 被災者さんたちへの義援金や支援物資は必要だけれど

崇高な理念を(ハリボテな)掲げて 「人として株主優待の分を支援にまわしてもいいですよね!?」と
株主が嫌ですと反対しづらい雰囲気をつくってから するのは 卑怯だなと思うのです。

優待券などは 配当金と同じようなもので、 株主が使い道を個人で決めればいいことだけれど
企業が率先して 自分の懐が痛まない場所から その企業名義の義援金をひねり出すという
なんとも 品がない行為を 押し付けることするんだな。と 一瞬で 引きました。

企業の収益の中から出す事はわかるとして、
本来は株主への配当という部分を 企業側の裁量で使い道を変えるのはどうかなと思うのです。

株主の権利であって、企業が他人の懐に手を突っ込んで使い方を決めるべきではないと。

そして 我が物顔で、「わたくしどもの企業からは これだけ支援させていただいています」なんてしたら

ちょっとね。 

義援金も 本当に義援金になっているのか疑問だし、
芸能人などが現地へ直接行って 配ったりするほうがまだマシだと思うのです。


まあ、直接現地へ行かない私が言うのもなんですが。

疑問符がのこるのです。