世の中 右を向いても左を向いても 無料。サービス。タダ。
昔の人は良く言った。タダほど怖いものはない。
人がお金を稼ぐ時には 自分の時間や体力や労働力や知力を切り売りして
対価としてお金をもらう。
店に来た一見さんの客(客見込み)に対して店側が
「無料ですよ!」というのは 何かしら裏があったりするもんだ。と
小さい頃には教わった気がする。
どこかしらに プラスになる経済がなければ
無料、料金を越えるサービスなんてありえない。
そう思うことに対しての警戒感に 最近の人たちは 鈍感になりすぎてると思う。
そして結果として嫌な思いをしたとして、店を恨んだり社会を恨んだりする。
本当は危機感を持たなかった自分が愚かだったのに。
私の苦手な人種は ”サービスを要求する”とっても 無粋な人。
店に入り、周囲の様子をぼーっと見ていると
自分だけが得したい 亡者のような様相な人たちが 頻繁に居る。
レジの周囲で もめていたりすると大抵こういう人種。
敵を作りながら生きていきたいのか?と聞きたくなるほど攻撃的だし。
店は、どんな所でもボランティアでやっているなんてありえない。
NPO法人だったり 国の施設だったりしない限り 民営では
対価としてお金を頂く仕事をする事が 大きな目的であって
お客さんを喜ばす事は 大事だけれど 本業を圧迫するような
大々的なサービスや、一部のお客(私としては迷惑者と変換したい)による
過剰なサービスの要求に応える事は余興や余剰な部分でまかなわれるものだと思っている。
資本の暴力と言っているのだけれど、資本力のある大手が
こういうことで 周囲の小売にダメージを与え続けていることも問題だと思う。
大手は取引量も多いので価格を低く仕入れられて 低く売ることができる。
企業努力といえばそれまでだけれど、度の過ぎたものは消費者へのサービスといいつつ
削りに削りすぎていて周囲の関わる流通の時点での人たちを巻き込んで
買い叩いているようにしか見えない。それが資本の暴力。
それがめぐりめぐって 消費者自身への給料や状況へ降りかかっているのに
消費者自身が もっと安く!もっと安く!と大連呼しているから
一度、ここらへんで 目を覚まさないと 自分の足を食べてるって気づかないのかなって
思う。
スピ的になるのだけれど
お金は自分も流さないと巡ってこない。
これは今まで生きてきて 常に感じること。
お金がお金だけではなく、人間関係や お付き合い、それに新たな物事との出会いを
呼んでくれるとても 有難いものなのに、
自分が度を過ぎてケチっていて回さないとなると
必然的に自分にも回ってくるチャンスが減ると 思えば
お金を支払う場面でも、「サービスを売ってくれて有難う。●●をしてくれて有難う」
と自然に思えるんではないかなと 思うのです。
お金を節約は大切。ケチ、または他者への度を過ぎた要求はとっても
下品で みっともないことだという意識がもっと広まればいいのにと思います。
昔の人は良く言った。タダほど怖いものはない。
人がお金を稼ぐ時には 自分の時間や体力や労働力や知力を切り売りして
対価としてお金をもらう。
店に来た一見さんの客(客見込み)に対して店側が
「無料ですよ!」というのは 何かしら裏があったりするもんだ。と
小さい頃には教わった気がする。
どこかしらに プラスになる経済がなければ
無料、料金を越えるサービスなんてありえない。
そう思うことに対しての警戒感に 最近の人たちは 鈍感になりすぎてると思う。
そして結果として嫌な思いをしたとして、店を恨んだり社会を恨んだりする。
本当は危機感を持たなかった自分が愚かだったのに。
私の苦手な人種は ”サービスを要求する”とっても 無粋な人。
店に入り、周囲の様子をぼーっと見ていると
自分だけが得したい 亡者のような様相な人たちが 頻繁に居る。
レジの周囲で もめていたりすると大抵こういう人種。
敵を作りながら生きていきたいのか?と聞きたくなるほど攻撃的だし。
店は、どんな所でもボランティアでやっているなんてありえない。
NPO法人だったり 国の施設だったりしない限り 民営では
対価としてお金を頂く仕事をする事が 大きな目的であって
お客さんを喜ばす事は 大事だけれど 本業を圧迫するような
大々的なサービスや、一部のお客(私としては迷惑者と変換したい)による
過剰なサービスの要求に応える事は余興や余剰な部分でまかなわれるものだと思っている。
資本の暴力と言っているのだけれど、資本力のある大手が
こういうことで 周囲の小売にダメージを与え続けていることも問題だと思う。
大手は取引量も多いので価格を低く仕入れられて 低く売ることができる。
企業努力といえばそれまでだけれど、度の過ぎたものは消費者へのサービスといいつつ
削りに削りすぎていて周囲の関わる流通の時点での人たちを巻き込んで
買い叩いているようにしか見えない。それが資本の暴力。
それがめぐりめぐって 消費者自身への給料や状況へ降りかかっているのに
消費者自身が もっと安く!もっと安く!と大連呼しているから
一度、ここらへんで 目を覚まさないと 自分の足を食べてるって気づかないのかなって
思う。
スピ的になるのだけれど
お金は自分も流さないと巡ってこない。
これは今まで生きてきて 常に感じること。
お金がお金だけではなく、人間関係や お付き合い、それに新たな物事との出会いを
呼んでくれるとても 有難いものなのに、
自分が度を過ぎてケチっていて回さないとなると
必然的に自分にも回ってくるチャンスが減ると 思えば
お金を支払う場面でも、「サービスを売ってくれて有難う。●●をしてくれて有難う」
と自然に思えるんではないかなと 思うのです。
お金を節約は大切。ケチ、または他者への度を過ぎた要求はとっても
下品で みっともないことだという意識がもっと広まればいいのにと思います。