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源氏物語:恋の花かつみ 「花かつみ」とはなにか

2023-05-14 10:56:03 | 源氏物語の雑学
源氏物語:恋の花かつみ 「花かつみ」とはなにか

 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~
 第三章 「古今集」の恋 からの抜粋簡略版 です。
 今回の「花かつみ」は源氏物語での引用はないようですが、雑学として取り上げました。

陸奥(みちのく)の安積(あさか)の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ  恋四
 (陸奥の安積沼に咲く花かつみよ、「かつ見」というからに目を留めてしまった可憐なあなた。その人にずっと魅かれつづけてゆく私なのだろうか)

  これは「花かつみ」までが、「かつみる」を引き出す序詞になっている。同音の呼び出し言葉としてだけでなく、「花かつみ」という言葉は美しい。
  「万葉集」にも、「をみなえし佐紀沢に生ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも」(675)があり、「花かつみかつても」という表現はすでに慣用されていたようだ。また花かつみはどこの池沼にも生えていたらしいが、「陸奥(みちのく)の安積(あさか)の沼」は大きな歌枕としての効果をもっている。

  一条天皇の時、中将実方が陸奥に左遷されて任地に赴く途次、五月五日にあやめを葺(ふ)く風俗がないのを嘆いて、葉が似ている「かつみ」で代用したという逸話がある。「かつみ」はふつう「真菰(まこも)」だといわれているが、眞籠の花なら季節は秋である。花は円錐花序だが全く目立たない花だ。歌語としては単に「かつ見」を引き出すための語呂合わせと思われやすいが、「陸奥の安積(あさか)の沼の花かつみ」という風土と植物の組み合わせは鄙(ひな)びた風情があって、「かつみる人」の素朴な気配に純情を捧げたくなる情緒がある。結句は「恋ひやわたらむ」と結ばれているので、ずっと恋しい思いをしてゆくだろうと予測されるほどの気分なのである。

  このように「古今集 恋四」には、いったん逢ってしまった人とのさまざまな経緯がみえる歌が集められていて、場面も多彩で魅力的な歌が多い。

源氏物語:夢の恋か闇のうつつか うばたま とはなにか

2023-05-06 19:40:08 | 源氏物語の雑学
源氏物語:夢の恋か闇のうつつか

 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~
 第三章 「古今集」の恋 からの抜粋簡略版 です。
  今回は難解かも。「うばたま」烏羽玉(むばたま)はサボテンのようですが、お菓子も販売されています。

うばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり 恋三
 (夢こそは二つの魂の出会いの場。燈火を消したまっ暗な闇の底で愛し合うのは、喜ばしいがもうひとつ物足りない。一方、夢の中で愛する人の姿をありありと見たりすると胸がときめいて、闇のうつつの手さぐりの愛にそれほど劣るとも思えない)

  少し理屈っぽくうたっているが、くっきりした夢の逢瀬、それはやはり「闇のうつつ」と表現された性愛の場と同じ感覚を伴うものであろう。そうでなければ、「いくらもまさらざりけり」という詠嘆はなかなかうまれない。
  この歌も「源氏物語」の「桐壺」に引かれている。桐壺更衣が亡き人となった後、帝が秋の夕べに更衣の回想にふける場面だ。「人よりは異なりしけはひ容貌(かたち)の、面影につと沿いて思さるるも、闇の現(うつつ)にはなお劣りけり」とある。ここでは、最愛の更衣の面影をくっきりといくらでも思い出せるが、それは何といっても、現実として愛し合えた「闇のうつつ」の方がはるかにすばらしいと、本歌の洒落た発見に異を唱えることによって、哀傷感(特に、人の死を悲しみいたむこと)を深めている。

  しかしこの歌、「源氏物語」に材を得た能の「夕顔」では少しちがった引き方がされている。「闇のうつつ」は夢幻にまさるのでもなく、劣るのでもなく、もっと怖ろしく忌まわしい「死」が、ついさっきまで手に触れていた「闇のうつつ」を変貌させたのであった。「ーーあたりを見れば烏羽玉(むばたま:烏羽玉が黒いところから「くろ(黒)」にかかり、さらに「やみ(闇)」「よる(夜)」「ゆうべ(夕)」「かみ(髪)」「ゆめ(夢)」などにかかる)の闇の現(うつつ)の人もなく、いかにせんとか思ひ川、うたかた(水の上に浮かぶ泡:泡沫=はかなく消えやすいこと)人は息消えて、帰らぬ水の泡とのみ、散りはてし夕顔の、花は再び咲かめやーー」となっている。

  ここでは闇の「現(うつつ)」が上下に働く言葉となっており、「闇の現」に手さぐりできた人が亡くなってしまった。それと同時に、闇の暗さの中で「現の人」として正気を保っている人はひとりも居ないという状況も表している。そういう「闇の現」の冷静さが、引き歌を思い出しつつ読むと、手さぐりの闇の底にある性愛のやさしさが、うらはらの怖さとして浮かび上がる。このように、引き歌はその引かれた場によって、意味に変化が起きるが、それも本歌の魅力が誘発した。広がる言葉の力といえるのではないだろうか。

源氏物語:撫子(なでしこ)のをとめ  撫子の意味

2023-05-02 08:45:41 | 源氏物語の雑学
源氏物語:撫子(なでしこ)のをとめ

 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~
 第三章 「古今集」の恋 からの抜粋簡略版 です。

 「古今集」のよみ人しらずの歌、
あな恋し今も見てしか山賤の垣ほに咲ける大和撫子
 山賤(やまがつ:山仕事を生業とする身分の低い人)

  この歌の「撫子」は、当てられた字をみてもわかるように、「撫でめづる」ばかりの愛情をかけたい「子」、たいていは女、時に幼子が暗示される花である。「万葉集」では家持によって精力的にうたわれているが、いずれも恋の気分がただようものだ。その頃の撫子は山野に自生する野の花だったが、家持は庭に植えていつくしんでいる。
  ここにあげた「古今集」の歌では、「大和撫子」とうたわれているが、その頃になると中国から渡来した唐(から)撫子も広く分布してきたのだろう。

  撫子に「山賤(やまがつ)の垣ほに生ふる」という場面がよくつくのは、本来的な野生種の名残だろうか。あるいは撫子の花の可憐さが引き立つ場として、あえて謙虚に地位の低い花の場を主張したためであろうか。この歌では、「今も見てしか」と現実感を強調しつつ、郊外に都の塵にまじらず咲く花と乙女のイメージを重ねている。

  「源氏物語」の「帚木(ははきぎ)」では、頭中将(とうのちゅうじょう)の懺悔物語として、女の子まで生ませた愛人の面倒を久しく見ないでいた頃、女のもとから撫子の歌が届けられたことが語られている。「山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよなでしこの露」という歌である。
  この「山がつの垣ほ」は頭中将の正室がわから追い立てられ、いっそう零落の道をたどる夕顔の女の宿で、撫子はその幼い娘である。のちに玉鬘(たまかずら)となる幼子だ。「あはれ」をかける「露」は頭中将のなさけである。
  「常夏(とこなつ)」の巻をみると、源氏に見出され都中の貴公子の恋心をさわがせた玉鬘の部屋の前栽には、唐撫子、倭(やまと)撫子が色どりよく植えられ、夕映えの情景がじつに美しい。

源氏物語:宇治の橋姫 「橋姫」とは誰なのか

2023-04-29 13:45:20 | 源氏物語の雑学
源氏物語:宇治の橋姫 「橋姫」とは誰なのか

 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~
 第三章 「古今集」の恋 からの抜粋簡略版 です。

 狭筵(さむしろ)に衣片敷きこよいもや我を待つらむ宇治の橋姫
 (わびしい狭筵の臥床(がしょう)にその衣を脱ぎ敷いて、今宵また私のことを待っているだろうよ、宇治の橋姫は)

  本来は水神信仰に根差す橋姫だったともいわれる。宇治橋の近くには今も橋姫神社があるが、安産の神になっていてびっくりする。
  「奥義抄」ではこの歌に対して、「橋姫の物語」という伝説を紹介している。それによれば、「二人の妻をもった男の元の妻の方が妊娠していて、七色の若布(わかめ)を食べたがったので海に採りにゆき、龍神の婿に取られて帰れなくなった。妻が海辺に訪ねてゆくと、夫がこの歌をうたいながら来て、一夜を明かした。妻は泣く泣く家に帰り、もう一人の妻にこのことを語ると、この妻も海辺に行ってみた。元の妻が言ったとおり、この歌をうたいつつ夫がやってきたが、妻は錯覚して、元の妻の方を男が愛していると思い、嫉妬して男につかみかかると、「をとこもいへも雪などのきゆるごとくにうせにけり」という結末である」
  また顕昭の著の「袖仲抄(しゅうちゅうしょう)」には「姫大明神とて、宇治の橋下におはする神を申すにや」としている。橋の下に坐(いま)す橋神は、水神であるとともに地域の境を守る神であることが多いが、宇治の橋姫には通う男神があるところから、しだいに「待つ女」のイメージが生まれ、さまざまな比喩の場が開ける。

  この歌の「宇治の橋姫」は「こよいもや」によって、通い慣れた女のもとを思いやっている歌だが、「狭筵(さむしろ)に衣片敷き」という、人待つ女の姿態のさびしさが具象的である上、「狭筵(さむしろ)」と「橋姫」のイメージが結びつくことによって、粗末な恋の床にある孤独な心のかたちが印象される。この歌では「我を待つらむ」とうたったあとに、そこに行こうとしたのか、行けないことを悲しんだのかは読者の空想にまかされている。

参考 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
  橋姫は橋の守護神で、その名は古くから知られ、とくに宇治の橋姫の伝説は有名。『古今和歌集』に「さむしろに衣かたしき今宵もや我をまつらむ宇治の橋姫」の歌がみえ、当時橋姫にまつわる民間伝承のあったことがうかがえるが、その具体的な内容は明らかでない。『山城(やましろ)名跡志』所収の「古今為家(ためいえ)抄」には、宇治川のあたりに夫婦が住んでいたが、あるとき夫が竜宮へ宝をとりに行ったまま帰らなかった。妻は恋い悲しんで橋のほとりで死に、橋守明神になったと記している。
  女性に対して嫉妬深いと語られるのが通例で、『奥儀抄』には、昔、妻を2人もつ男がいた。その1人が宇治の橋姫で、出産が近づいて和布(わかめ)を欲しがるので、夫がこれをとりに行き、竜王に捕らわれた。夫を捜しに出た橋姫は、浜辺の庵(いおり)で再会するが、夜明けに夫の姿が消える。もう1人の妻がこれを聞いて尋ねるが、夫が橋姫の歌をうたっているのを聞いてねたみ、夫にとりかかると、たちまち男も家も失せてしまったとあり、2人の女性の嫉妬による緊張感が描かれている。
  橋姫の嫉妬に触れるのを恐れて、嫁入り行列が橋を避けて通る土地も各地にあった。山梨県西山梨郡(現甲府市)の国玉(くだま)の大橋では、橋の上で猿橋の話をすると怪異があるという。境を守る神として、道祖神との関係も深く、元来は男女二神の神で、橋の傍らに祀(まつ)られていたものと考えられる。
[野村純一氏]