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6-1.伊勢の恋の知性と真情

2022-08-24 10:12:09 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
6-1.伊勢の恋の知性と真情
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 伊勢は貫之にも劣らず春の歌の名作が多いが、恋の歌では断然貫之を凌駕している。前代の小野小町のロマンチックな恋の歌ともちがい、それはリアルな詞書を負った場面とともにあるものが多いだけ、宮廷に身を置く女性の物言いの手本としても尊重されたにちがいない。
 伊勢が相手の名を明かさず詠んだ恋の歌も詠んでみたい。

   物思ひけるころ、ものへまかりける道に、野火の燃えけ
   るを見てよめる

 冬枯れの野辺とわが身を思ひせばもえても春を待たましものを 「古今集」恋五

(愛を失ったわが身を冬枯れの野とたとえられるなら、野にはやがて「思ひ」の野火も放ち、草がまた萌え出る春を待とうものを、とてもそれは期待できそうもない)

 伊勢は大きな恋の舞台の花形だったかと思うと、意外にもこうした失恋の歌をかなり残している。これは相手との間柄が疎遠になった頃、外出して野火の光景に出会い、自分にはもう野火を打つ力が残っていないようなさびしさを味わった時の歌だ。
 「物思ひけるころ」という憂愁の表情をあらかじめ詞書に出しておいて、眼前に広がる野火の光景を比喩として詠んでいる。そこに立体感が生まれ、真情がにじむ一首だ。「思ひせば」とか、「待たましものを」という女性的な屈折をニュアンスとした物言いが、未練な情の訴えとして有効に働いているといえるだろう。

 「伊勢集」をみると、伊勢は「人のつらくなるころ」とか、「人の心かはりたるころ」「物いみじう思いはべりけるころ」「なき名立ちけるころ」というような歎きをうたった歌もあって、その恋は当然ながらむずかしい世間との葛藤とともにあったことがわかる。


 人知れず絶えなましかばわびつつもなき名ぞとだに言わましものを 「古今集」恋五

(二人の恋が人に知られることなく終わってしまうのであったなら、つらく悲しい思いをしながらも、「単なる噂ですよ」と言ったことでしょうものを)


 この歌「古今集」では「題しらず」とあるが、「伊勢集」では「人のつらくなるころ」とか、「人にしらるべきかぎりしられて、つらつら物の有ける比(ころ)」など詞書がつけられていて、ここにいう「人」は仲平であろうとされる。歌がらは先にあげた「野火」の歌と似た出来方をしている。「人しれず絶えなましかば」という仮定の物言いをした上句に対し、、「ー-言わましものを」と、思い切れぬ情を残した言い方終わっている。結果に対する後悔を、諦めきれず言葉にする屈折が、いかにも女性的で、愛隣感の醸される物言いである。女文体の特質をもっているといえるだろう。

つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)

5-3.伊勢と時平そして仲平

2022-08-23 09:30:22 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
5-3.伊勢と時平そして仲平
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 ところが、仲平の競争相手となって言い寄ってきた時平には、夜を共にすることはなかったが、丁寧な作りの歌を返している。仲平への歌と比べるとその分言葉のアイデアに遊んでいる疑似的な恋の世界をなしている。それがかえって風流に遊ぶ楽しさを感じさせる。

   心ざし有ながら、え逢わず侍りける女のもとにつかはし
   ける

 頃をへて逢い見ぬ時は白玉の涙も春は色まさりけり 贈太政大臣(時平)

(いつまで待ってもお逢いできないもので、私が流す白玉の涙さえ、春が来るとともにしだいに花ならぬ血の紅がまさってしまいました)

 人恋ふる涙は春ぞぬるみけるたえぬ思ひのわかすなるべし 伊勢

(まだ見ぬあなたを恋しく思う私の涙も、春とともに温(ぬる)い涙になりました。私の内なる思い(ひ)の火が沸かしたのでございましょう)

 これらを自分という特定の個人に宛てた恋の手紙として読む時、こんな疑似的な恋のことばも、意外に効果的な癒しとなり、励ましとなったのではなかろうか。春も近づくころの平安朝の男女の心の空間に、ある日どちらからともなくふと届けられる癒しの言葉として、色好みの歌はあった。怜悧に楽しく慰めあう文芸の世界として色好みのことばは作用していたのである。

 「後撰集」にはこの他にも伊勢と時平の恋の贈答は数回にわたり収録されている。(ー以下略ー)

つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)

5-2.伊勢と時平そして仲平

2022-08-22 10:03:25 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
5-2.伊勢と時平そして仲平
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 では、伊勢は仲平を嫌っていたのかというと、この最初の恋人に対しては折ふしに微妙な反応を示している。

   住まぬ家に詣(ま)で来て紅葉に書きて言ひつかはしける
 人住まず荒れたるやどを来て見れば今ぞ木の葉は錦織りける 枇杷左大臣(仲平)

   返し
 涙さへ時雨にそひてふるさとは紅葉の色も濃さまさりけり 伊勢

 「後撰集」の詞書はこのようにあっさりしたものになっているが、「伊勢集」では失恋からはじまる伊勢という女の物語の冒頭をなすものである。身分ちがいの仲平からの求婚を、親は「わかき人たのみがたくぞあるや」と心配していたが、やがて仲平は大将家の姫の婿となり、親は「さればよ」と予測の的中を歎いている。女も、この上なく自分の軽率を恥じているところに、仲平のところから遣わされた者が、五条わたりの女の家にやって来て、垣の紅葉に書きつけていったという。

 伊勢と住んでいた家の寂寥をとぶらひ詠まれたもので、自分が居なくてなっても、紅葉の錦の美しさに安心したというなぐさめの気持ちがある。「女は心うきものから、あはれにおぼえければ」というのが歌の心であった。
 見捨てられた女の哀れは身にしみながら自分を捨てて結婚せねばならない男の事情も知り、心の決着がまだつかないままに、悲しみにくれて返歌している。これを機に伊勢は大和に引退したのである。

 その後、再出仕してからの贈答の中で、仲平は自分の情が薄くなったと伊勢が誤解しているが、それについては自分の方も怨めしく思うことが沢山あると詠み送ったが、伊勢はこんな返歌を詠んでいる。

 わたつみとたのめしこともあせぬれば我ぞ我が身のうらは怨むる 伊勢
(大海のような頼もしい御愛情と信頼していましたが、その海もひどく浅瀬となってしまった様子です。今はもうあなたという海の満ちてくることのない我が身の浦を、我れ自ら怨むばかりです)

つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)

5-1.伊勢と時平そして仲平

2022-08-21 10:26:40 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
5-1.伊勢と時平そして仲平
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 「古今集」に女性として二十二首という最多の入集をはたした伊勢は、「後撰集」ではさらに尊重され、貫之の八十首に次ぐ七十一首を収載された。「恋」の歌が多く採られ、詞書によって詠まれた場の魅力が加わっている。当時の宮廷女性の贈答の典型として注目されていたことがわかる。「古今集」で伊勢の恋の歌が登場するのは「恋三」の巻軸(かんじく:巻物の軸に近い所。転じて、書物の終わりの優れた作品を配置する部分)で、すでに名手の扱いを受けている。

 とかく伊勢の名が立ちやすかったのは、やはり歌のやり取りに妙味がある面白い女性として名だたる若公達との交流が多かったせいであろう。

「古今集」や「後撰集」では、最初の恋人であった仲平と、その兄時平との贈答の歌が多く、伊勢の恋をそこに集中的に見てしまいがちだが、仲平への返歌はほとんど終わった恋を、終わったものとして歌いかえしており、時平とは夜を共にすることはないが、互いにつれない恋人として歌を書きかわす疑似的な恋の相手である。「後撰集」から仲平と時平に返した伊勢の歌の差をみてみよう。

  法皇、伊勢が家の女郎花を召しければたてまつるを聞きて
 女郎花(おみなえし)折りけん袖のふしごとに過ぎにし君を思ひいでやせし 枇杷左大臣(仲平)
  返し
 女郎花折りも折らずもいにしへをさらにかくべきものならなくに 伊勢

 宇多院が出家して法皇になられてから、伊勢の家の女郎花をお召しになったので、奉る用意をしているところに、昔の愛人であった仲平が折を得たように昔のよしみを言ってきたのである。「その名もゆかしい女郎花を折りながら、あなたは法皇との昔の折々を艶な思い出振りかえっていたのでしょうね。私のことはー-」というものだ。
 それに対して伊勢はつれない。「いろいろ想像される名の女郎花を折ろうが折るまいが、昔のことを思い出すならやっぱり橘。女郎花は昔を思う花でもありませんでしょ」といっている。

 伊勢は法皇が召された「女郎花」を機に、仲平が昔の仲を思い出してほしげに詠みかけてきたのをたしなめたのである。

つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)

4-4.温子から伊勢への出仕の催促と、贈答の歌の微妙な面白さ

2022-08-20 11:10:32 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
4-4.温子から伊勢への出仕の催促と、贈答の歌の微妙な面白さ
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 出仕催促時の贈答の歌を次にあげてみよう。

   松虫もなきやみぬらぬ秋の野に誰よぶとてか花見にも来む 伊勢
(松(待つ)虫さえも鳴き止んでしまった秋の花野に、待たれてもいない私が、呼ぶお方があるといって出かけてゆくことはいかがなものでしょうか)

   呼ぶとしも声はきこえて花すすき忍びに招く袖も見ゆめり 温子
(おや、あなたは「誰よぶとてか」と歌っていますが、きっと誰かの呼ぶ声がきこえるのですね。それでは忍びやかに招く袖も本当は見えるのでしょう)

   人もきぬをばなが袖も招かればいとどあだなる名をや立ちなむ 伊勢
(とんでもないことでございます。人ではなく、たとえ尾花の袖でありましょうとも、もし招かれてまいりましたら、いっそう浮き名が立つことでしょう)

   わが招く袖ともしらで花すすきいろかはるとぞ思いわびつる  温子
(尾花が招くのですか。まったく。私が招いている袖とも見わけがつかぬとは困ったこと。私を思うこころざしまでも色変わりするとは悲しいわね)

 はじめ中宮温子は前裁の秋の風情が美しいから、早く出仕しなさい、と催促してきたのだが、伊勢はその文言のうち、「松虫もなきやみ、花のさかりもすぎぬべし」という風流な誘いに、わざと拗ねてみせて、「松虫」に「待つ虫」を掛けて受け止め、本当に待たれていないのに、呼ばれたからといって、すぐさまお伺いするのもいかがなものかと甘えた遠慮をしてみせたのだろう。じっさいには、すぐさまそのあと参上して、「松虫」と「花野」の歌を詠む、という場面は珍しいことではない。

 しかし、中宮はそうした伊勢の魂胆をすぐ見破ってもっと面白いことを思いついたのだ。それは、「誰よぶとてか」という拗ねた一句をとっこに取って(相手を困らせるためのきっかけにして)、「誰が読んでいるというの。その声がきこえるのね」と揶揄してかかる。ここに、二人の間で知る一人の男性としての宇多院の存在を思い浮かべてみると、この応答のニュアンスはじつに微妙な面白さで、一方的に伊勢は虚を衝かれ負けている。

 伊勢はあわてて、人ではなく尾花の袖が招く風情にひかれて参上しても人は徒(あだ:いたずら)な名を言い立てるだろうと、言い訳をするが、中宮は待っていたとばかりに、「招く袖」はほかならぬ私ですよとやりかえす。その上で、「私を思う心も、色変わりしたのですか。侘しいこと」と嘆かれては、伊勢の完敗である。この中宮と伊勢の関係は、後年の定子皇后と清少納言の関係を思わせる親愛感がある。

つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)