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高樹のぶ子氏著作「業平」について感じたこと

2021-08-23 09:11:57 | 本の書評など
  著者高樹のぶ子氏が「業平」の上梓理由を説明した記事によると、著作「業平」は、「伊勢物語」をそのまま現代語訳にしたものではなく、あくまでも業平の人生を時系列で追って改変された小説であるという。
  これまで誰もやっていないことだと著者が自負されていて、新しい試みに興味を感じて本作品を読んでみた。ただし、約百年後に書かれた「源氏物語」を時代背景の参考にされたらしいので、本来の「伊勢物語」にかなり脚色されているかもしれない。
  作品の読書感は、時系列の流れを整理された努力は上手く成功しており、各々の歌の意味もさり気ない理解し易い表現手法の解説が歌の後ろにさらりと違和感なく馴染んでいる気がする。

  参考に、著者によると今に残る「伊勢物語」の百二十五段を前から順番に読んでいっても、時間軸は通っていないし、あっちこっちへ話が飛んでいて、業平の歌は分かるが、業平の人生のどういう時に詠まれたのかも分からないそうである。著者は小説にするにあたって、「伊勢物語」の百二十五段の順番を大幅に並べ替え、誰が詠んだのかが判然としない歌の作者の特定から始め、業平の人生を通してみていって、その中に間違いなく業平が詠んだ歌を入れ込んでいき物語にしていったが、その作業はそれはそれは大変な作業だったと振り返っている。
  「源氏物語」のどの部分をどのように参考にされたのかは詳しい解説がなかった。

61-番外- 平安人の心 「雲隠の巻はどこへいった?」

2021-08-21 09:11:37 | 平安人の心で読む源氏物語簡略版
山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  
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雲隠はどこへいった?

  「源氏物語」には「雲隠」という巻がある。いや、そんな巻はない。いやいや、それは実は、あるのだがない。ややこしい言い方で申し訳ないが、要するに本文がなくて題名だけの「雲隠」という巻を「源氏物語五十四帖」の一つと認めて数える説が、世に存在するということなのだ。なお、「雲隠」を帖の数に入れるときは、「若菜」の上と下を一つにして一帖と数えるので、五十四帖という数は変わらない。

  「雲隠」以外にも「桜人」「狭蓆(さむしろ)」「巣守(すもり)」など現在は伝わらない巻の名が知られている。

60- 平安人の心 「夢浮橋: 薫と浮舟を隔てる深い霧」

2021-08-20 09:01:39 | 平安人の心で読む源氏物語簡略版
山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  薫は、浮舟の異父弟の小君を伴って横川の僧都を訪ね、小野に隠れ住む女について問いただした。隠し立てもできまいと僧都がありのまま明かすと、薫は浮舟が生きていたと知って思わず涙ぐんだ。それを見て僧都は、浮舟の出家に手を貸したことは過ちだったと痛感した。そして薫に請われるままに、浮舟への手紙をしたためた。

  薫一行が帰京の途路に小野をよぎった時、その松明の灯を遠望した浮舟は、宇治で聞き知った前駆(さき)の声から、薫と気づく。昔を思い出し動揺する心を、念仏で紛らわす浮舟だった。

  翌日改めて、薫は小君(浮舟の異父弟)を小野に遣わした。折しも小野にはその早朝、薫大将の使いで小君が浮舟を訪ねるとの連絡が僧都から入り、子細のわからぬ妹尼が浮舟に説明を求めていた。そこへやってきた小君は、まず僧都の手紙を差し出した。文面には「もとよりの契りを違えることなく、(薫)大将の愛執の罪を消滅させるように尽くせ」とある。もう一通は薫からの手紙で、浮舟の罪を厳しく詰(なじ)りつつも、会いたいと逸る思いや彼女にとらわれ恋心が記されていた。

  浮舟は、尼姿を薫に見られると思うといたたまれず泣き崩れて、心当たりがない、手紙は持ち帰ってくれと返す。小君は「わざわざ弟の私を使いに立てられたしるしに、何か一言でも」と言うが、浮舟の言葉はついに聞くことができなかった。小君は空手で帰り、待ち受けた薫は落胆して、使いなど送るのではなかった、やはり男がいて浮舟を隠し据えているのかなどと、過去に浮舟を囲った覚えから様々に邪推するのだった。
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紫式部の気づき

ー 「めぐりあいて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半(よは)の月かな」 ー
  紫式部の私家集「紫式部集」の冒頭歌だ。小倉百人一首でご存知の方も多いだろう。紫式部自身が記す詞書によれば、これは幼馴染に詠んだ和歌だった。長く別れ別れになっていて、年を経てばったり再会。だが幼馴染は月と競うように家に帰ってしまった。

「思いがけない巡り合い。「あなたね?」、そう見分けるだけの暇もなく、あなたは消えてしまったね。それはまるで、雲に隠れる月のように」。
楽しい友情の一場面のようだが、そうではない。この友はやがて筑紫に下り、その地で死んだ。天空で輝いていた月が突然雲に隠されて姿を消すように、二度と会えない人となったのだ。

  紫式部が人生の最晩年に自伝ともいうべき家集を編んだ時、巻頭にこの和歌を老いたのは、ほかでもない、こうした「会者定離(えしゃじょうり)」こそ自分の人生だと感じていたからだ。
  紫式部は、おそらく幼い頃に母を亡くしている。姉がいたが、この姉も紫式部の思春期に亡くなった。そんな頃に出会ったのが、先の幼馴染である。偶然にも幼馴染の方は妹を亡くしており、二人は互いに「亡きが代わりに(喪った人の身代わりに)」慕い合った。「源氏物語」に幾度も現れる「身代わり」というテーマ。紫式部にとって幼馴染みを喪ったとは、母と姉と友自身の、三人分を喪ったことでもあったのだ。

  それでも折れなかった心が、夫を喪った時、とうとう折れた。本来、人に身代わりなどないのだ。哀しみを慰める術の限界を突きつけられて、紫式部は泣くしかない。この時の心境は、紫の上を喪った光源氏と大君を喪った薫の各々の述懐に活かされていよう。自分に無常を思い知らせようととする仏の計らいだ。つまり降参するしかない。光源氏はそれを機会に出家する。薫は魂の彷徨を続ける。では紫式部はどうしたか。人生を見つめ、そして目覚めたのである。

  人とは何か。それは、時代や運命や世間という「世(よ:現実)」に縛られた「身」である。身は決して心のままにならない。まずそれを、紫式部はつくづく思った。だが次には、心はやがて身のおかれた状況に従うものだと知る。胸の張り避けるような嘆きが、いつしか収まったことに気づいたのだ。

ー 「数ならぬ心に身をばまかせねど 身にしたがふは心なりけり (ちっぽけな私、思い通りになる身のはずがないけれど、現実に慣れ従うのが心というものなのだ)」ー (「紫式部集」五十五番)。紫式部は「置かれた場所」で生き直し始めたといえよう。

59- 平安人の心 「手習: 浮舟の出家、薫に浮舟生存が伝わる」

2021-08-19 09:02:52 | 平安人の心で読む源氏物語簡略版
山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  その頃、比叡山に高徳の僧・横川(よかわ)の僧都がいた。僧都は母尼と妹尼と共に宇治院に立ち寄った折、木陰に泣きじゃくる美しい女を発見した。女は「川に捨ててほしい」と言って意識を失う。折しも宇治邸で、浮舟の遺骸なき葬儀が準備されていた時である。つまりこの女こそ浮舟であった。

  浮舟は一行に伴われて比叡山麓の小野に移り、二カ月を経てようやく意識を回復した。記憶を遡れば、宇治邸の簀子(すのこ)で恐怖のため足がすくんだまま、幻にいざなわれて彷徨い、入水も遂げなかったのだった。事情を隠し出家を願う浮舟を、妹尼はなき娘の身代わりと可愛がり、その夫だった中将との仲を取り持とうとまでする。しかしそれは浮舟にとって、宇治で味わった憂き目の繰り返しと感じられた。

  妹尼の留守中、言い寄る中将から逃れた浮舟は、我が愛欲の体験を思い返して嫌気がさし、僧都に懇願してついに出家した。すると心が安らぎ、浮舟は人生を見つめ独り手すさびの歌を詠むようになる。

  だが、彼女の情報は横川の僧都を介して都の明石中宮に及んでいた。浮舟の一周忌が過ぎた頃、薫の喪失感が癒えていないと知った明石中宮は、女房の小宰相を差し向けて薫に浮舟の生存をほのめかす。驚愕した薫は、ともかく横川の僧都に会って真否を確かめようと、日を選んでかの地へ向かう。その道中でも、再会のときめき、浮舟の零落ぶり、果ては新しい男の存在まで想像し、薫の心は揺れた。
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尼僧の還俗(げんぞく)

  「手習」巻、入水が未遂に終わり生き延びていた浮舟は、横川の僧都に頼み込み、とうとう出家を遂げる。浮舟を亡き娘の代わりと思って慈しんでいた僧都の妹尼は、これに泣き伏す。仏道信仰の厚かった当時、出家は尊ばれることではあった。しかし、やはり現実的には俗人としての身を殺すに等しく、若い身空での出家は一般に無念と思われるものだったのだ。だが「手習」巻の浮舟は、むしろ出家して心が晴れ晴れしたという。世俗の欲望に翻弄され続けた身には、人から朽ち木のように無視される、何もない生活こそが望みだったのだ。

  仏道は浮舟を救ったかに見えるけれど、実はまだそうとは言い切れない。この巻の最後では薫が浮舟の消息を知り、横川の僧都のもとに出向く。次の「夢浮橋(ゆめのうきはし)」巻で薫が僧都に働きかけ、事態が動き出した時点で、浮舟のささやかな平穏は壊される。現実逃避としての出家は、次の展開を待つことになるのだ。そこで僧都は浮舟に説く。「愛執(あいしふ)の罪をはるかし聞こえ給ひて(大将の愛執の煩悩を晴らして差し上げなさいませ)」。浮舟はこれにどう応えるのか、応えないのか。還俗するのか、しないのだろうか。

58- 平安人の心 「蜻蛉: 大君、中の君、浮舟へと消えた、はかない恋の蜻蛉」

2021-08-18 08:59:08 | 平安人の心で読む源氏物語簡略版
山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  浮舟が失踪し、宇治邸は慌てふためいた。浮舟の懊悩を知る女房の右近と侍従は、書置きを見て宇治川への入水を確信する。そこへ浮舟の和歌に異変を感じ取った匂宮の使い・時方が到着、侍従は浮舟が変死したと伝える。一方、母・中将の君にはありのままが明かされ、事が露見しないようにと、遺骸もないまま火葬が行われた。折しも石山寺に参篭中だった薫が浮舟の死を知らされたのは、葬儀の後だった。

  薫は驚きと悲嘆に暮れるが、人づてに匂宮の憔悴を聞き、二人の密通を確信して、幾分は心の疼きの冷めるのを感じる。とはいえ不憫さも、また貴人の面目を見せたいとの思いもあり、薫は浮舟の家族への支援を約束した。四十九日には、内々ながら盛大な法事を薫が執り行い、匂宮からも名を伏せて豪華な供物が届く。浮舟の継父・常陸介は今にして娘の宿世の気高さを思い知るのだった。

  その後、匂宮は悲しみを紛らわそうと新しい恋を試みるようになった。一方、薫は女一の宮(父・今上帝、異母昧の女二の宮は薫の本妻)に仕える女房・小宰相を相手にしたり、長く憧れてきた女一の宮を垣間見て心をときめかせたりするが、父・式部卿宮(故桐壺院の息子)を亡くして女房に身を落とした宮の君に同情するにつけても浮舟を思いだすなど、心の空洞が埋まらない。薫には、宇治の三姉妹こそ運命の女たちだった。かりそめの恋のそれぞれが胸に迫り、薫は彼女たちをはかない蜻蛉になぞらえて、独り歌を口ずさむのだった。
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女主人と女房の境目

  「私の目の黒いうちに娘たちを死なせてほしい、そう神仏に祈ればよかった」。重病の床でこう述懐した人物がいる。父が死ねば、娘たちは人の家に女房として雇われるだろう。それが我慢ならないというのだ。この人物とは、「栄華物語」(巻八)の記す藤原伊周(これちか:一条天皇の皇后定子の兄)だ。かつては関白の息子として、二十一歳の若さで内大臣にまでなった。しかし、父の死後、叔父の道長に権力の座を奪われてからは、伊周の生涯は転落の一途だった。長徳二(996)年、つまらない諍(いさか)いで自ら「長徳の政変」を引き起こし、大宰府に流されたのが二十三歳の時。

  翌年都に召喚されはしたが、政界への復帰はならぬまま、三十歳の春、持病が悪化して死の床に就いた。伊周は、遺してゆく子供たち、なかでもまだ十代の二人の娘の行く末を案じた。女御にも、后にもと思って育て上げた娘たち。だが自分が死んでしまえば、先は見えている。伊周は娘たち、息子、そして北の方を枕もと座らせて言った。「今の世では、ご立派な帝の娘御や太政大臣の娘まで、皆宮仕えに出るようだ。うちの娘たちを何としてでも女房に欲しいという所は多いだろうな。だがそれは他でもない、私にとっては末代までの恥だ」。

  結局、伊周の死後、事態は予想したとおりとなった。下の娘に声がかかり、藤原道長の娘・彰子に仕えることになったのだ。后候補の姫君から、一介の雇われ人へ。「あわれなる世の中は、寝るが中(ぬるがうち)の夢に劣らぬさまなり」。無念としか言いようのない運命を、「栄華物語」は夢も同じ儚さと憐れむ。