gooブログのテーマ探し!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

28 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか 」

2021-11-23 09:14:45 | 1-2なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
28 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

************************

2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか

  大戦中の1944(昭和19)年6月20日に、イギリスのオリバー・リトルトン工業大臣が、ロンドンのサボイ・ホテルで催されたアメリカ在英商工会議所主催の昼食会に、講師として招かれて講演し、「日本はアメリカによって謀られて、真珠湾を攻撃した。アメリカが戦争に追い込まれたというのは、歴史を歪曲(トラベスティ・オブ・ヒストリー)したものだ」と、語った。

  もっとも、この発言はアメリカの強い要請によって、戦争が終わるまで公表を禁じられた。

  1944年は戦時下だったが、ルーズベルト(FDR)は四選に向けて、共和党候補のトマス・デューイ・ニューヨーク州知事を相手に大統領選挙を戦った。
  この時に、デューイはルーズベルト(FDR)大統領が日本の外交暗号と、海軍暗号を解読して、事前に、日本による真珠湾攻撃を承知していたにもかかわらず、故意にハワイの太平洋軍司令部に情報を伝えることをしなかったことを取りあげ、ルーズベルト(FDR)を攻撃しようとした。

  参謀総長が、デューイの動きを知って、日本がいまだに海軍暗号を解読されていることを知らないから、もしそのことが暴露されたら、利敵行為になるといって、デューイを説得した。デューイは思いとどまるほかなかった。

  デューイは、ルーズベルト(FDR)に300万票の差(得票率では53.4%対45.9%で、7.5%差)で敗れた。大統領選挙におけるこのような僅差は、1916(大正5)年いらいのことだった。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

27 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激 」

2021-11-22 09:12:25 | 1-2なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
27 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

************************

2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激

  日本では十二月八日午前六時に、アメリカ、イギリスに対して戦争状態に入ったことを知らせる、ラジオの臨時ニュースが流れた。
 「臨時ニュースを申し上げます」というアナウンサーの声に続いて、「大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表 帝国陸海軍は本八日未明西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり」という、短い発表が流れた。

  日米開戦の日の夜、東條首相は午後7時から首相官邸の小食堂において、杉山参謀総長、永野軍令部総長、岡敬純海軍省軍務局長、星野直樹書記局長、谷正之情報局総長、山本熊一外務省アメリカ局長などの政府、軍幹部の18人を招いて、夕食を共にした。厨房で用意された中華料理が供された。

  この席上、東條首相は海軍側から真珠湾の戦果が発表されると、相好を崩して、「予想を大きく上回る。これで、いよいよ、ルーズベルト(FDR)も失脚だね」と言って、喜んだ。
  すると、杉山参謀総長が「先ごろ、石清水八幡に参拝したが、そのとき、今度の戦争に神風の助けを借りなくて済むようにと、祈ったよ」と、言った。

  海軍は機密が漏れることを極度なまでに恐れていたから、首相だった東條にも、陸軍にも、知らせていなかった。

  ワシントンでは、12月7日に真珠湾が攻撃されたその日のうちに、ルーズベルト(FDR)大統領が主要な上下院議員を、ホワイトハウスに招いた。
  ルーズベルト(FDR)は議員たちと握手を交わすと、自身に満ちた声音で、「私はわが国が攻撃された場合以外には、戦争に突入することはあり得ないと、繰り返し誓約してきたが、われわれは攻撃されたのだ。このことには、何らの疑問もない」と、語った。

  この日、ホワイトハウスにおいて、ニューヨークのCBSラジオ放送のエドワード・マロ―が、ルーズベルト(FDR)夫妻から夫人同伴で夕食に招かれていた。
  マロ―はCBSのニュース番組のキャスターで、全米で人気が高かった。
  マロ―は午後、まだニューヨークにいたが、ラジオで日本が真珠湾を攻撃した第一報を聞いた。
  そこで、ワシントンのホワイトハウスに連絡して、夕食が予定通りに行われるのか、たずねた。変更がないと、知らされた。

  マロ―は夫人のジャネットを連れて、ワシントンに着くと、ペンシルバニア駅からタクシーで宿泊先のヘイ・アダムス・ホテルに入った。身なりを整えると、ホテルから徒歩でホワイトハウスの前のあまり広くないラファイエット公園を抜け、ペンシルバニア大通りを横切って、ホワイトハウスの北玄関から館内に招き入れられた。
  小食堂に通されると、エレノア・ルーズベルト夫人が待っていた。

  エレノアが「いま、夫は上下院議員や、軍幹部と緊急に会っている」と言った。
  結局、大統領は夕食に参加することなく、ファーストレディが自らつくった手料理が運ばれてきて、振舞われた。手料理は、炒り卵だった。この日は日曜日だったために、シェフが休んでいたので、エレノアがつくったのだった。

  食事が終わる前に、大統領の案内係のパウエル・クリムがやってきて、大統領が食事後に、マローと話したいと言っていると、伝えた。
  食後に、二階にある大統領専用書斎の前で、マローは真夜中近くまで待たされた。そのあいだ、上下院議員や、高級軍人が忙しく出入りした。

  やっと中へ通されると、ルーズベルト(FDR)が広報担当補佐官のウィリアム・ドノバン大佐をともなって、待っていた。
  ルーズベルト(FDR)はマローに不安そうに、「アメリカ国民は真珠湾攻撃が、日本の一方的な仕打ちであることを、ちゃんと理解して、宣戦を布告するのを一致団結して、しじしてくれるだろうか?」と、たずねた。

  ルーズベルト(FDR)はマローが答えようとすると制して、イギリス外務省高官のホワイトヘッドから受け取った「独裁諸国からの攻撃によって、アメリカはかならず固く団結する」と書かれた電報を読みあげたうえで、「われわれが(日本に)宣戦布告するのを、アメリカ国民は結束して支持してくれると思うかね?」と、もう一度、念を押した。
  マロ―が「もちろん、国民は一致して支持します」と答えると、大統領が安堵して表情を緩ませた。

  翌日、ルーズベルト(FDR)大統領は議会両院総会に臨んで、「アメリカは日本による卑劣きわまる騙し討ちを、被った。アメリカにとって、屈辱の日(The Day of Infamy:写真参照)である」と述べて、日本に対して宣戦布告することを求めた。

  議員が総立ちになって、割れるような喝采のなかで、対日宣戦布告を承認した。

  後にスティムソン陸軍長官がこの日について、
 「私は日本が(真珠湾を)奇襲したという、最初のニュースが届いた時に、何よりもまずほっとした。この危機が到来したことによって、決断できなかった時が去り、アメリカ国民全員を一致団結できるのだと思って、安堵した。
  (真珠湾における)損害の報告が、刻々と入ってきて、急速に大きくなっていったにもかかわらず、そのあいだ中、深い満足にひたった」
  と、記している。

  ロンドンでは、十二月七日(ロンドン時間)に、チャーチル首相が午後九時に日本軍がハワイでアメリカ艦隊を襲撃したというニュースを、ラジオで聞いて知った。
  チャーチルはすぐにホワイトハウスを呼び出して、ルーズベルト(FDR)大統領に電話を入れた。

  チャーチルがラジオのニュースを確認すると、ルーズベルト(FDR)が意気揚々として、「日本は真珠湾を攻撃した。いまや、われわれは同じ船に乗ったわけだ」と答え、チャーチルが「これで、事が簡単になった」と、相槌をうった。

  チャーチルは後に著書「第二次世界大戦」のなかで、「彼ら(ルーズベルト(FDR)とその側近)が長い間の苦しみから、解放されたように思えた」と、述べている。

  そして、この日、日本の参戦によって、「すでに戦争に勝った。(略)われわれは戦争に勝ったのだ。(略)私は感激と興奮によって満たされて、すっかり満足して床につき、救われたことに感謝しながら、安らかな眠りにおちた」と、述べている。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

26 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎 」

2021-11-21 08:58:34 | 1-2なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
26 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

************************

2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎

  ホノルルの日本総領事館が東京の求めに応じて、ハワイ時間で12月1日から12月6日にかけて、連日、真珠湾軍港に停泊しているアメリカ太平洋艦隊の艦船の艦種や、その配置や、対空火砲の配備状況について詳細な報告を外交暗号に組んで送ったのを、アメリカ側は「マジック」によって、つかんでいた。ハワイを攻撃する意図がなければ、これほど詳細な情報をもとめるはずがなかった。

  ルーズベルト(FDR)大統領は、日本が12月7日(ハワイ時間とアメリカ東部時間)に、ハワイを攻撃することを、知っていた。
  それにもかかわらず、マジック情報は、肝心のハワイの太平洋艦隊司令官のハスバンド・キンメル大将と、陸軍司令官のウォルター・ショート中将だけには、知らされなかった。

  真珠湾が奇襲された日曜日の朝は、空がいつものように美しく晴れあがっていた。
  キンメル大将は、陸軍司令官のショート中将と、オアフ島のフォート・シャフターの陸軍の九ホールのゴルフ・コースで、午前九時からゴルフを楽しむ約束をしていた。

  キンメル大将は午前七時四十五分に、まだ官舎にいた。ゴルフウェアを着ていたが、真珠湾の方角から、大きな爆発音が連続して伝わってくるのを聞いて、驚いた。

  「マジック」情報は、チャーチル首相、マニラのダグラス・マッカーサー・フィリピン防衛司令官、オランダ領インド諸島総督にも、送られていた。スターク海軍作戦部長が「マジック」を、「何とも素敵な仕掛け」と呼んだにもかかわらず、なぜか、ハワイにあった軍最高責任者だけが、除外されていた。

  キンメルは危機が迫っていることを、知らなかったから、空母二隻を除く主力艦がすべて真珠湾軍港内に係留され、飛行場では爆薬庫に鍵がかけられていた。指揮下にあった54機のPBY長距離偵察用飛行艇も、全機が地上にあった。

  ルーズベルト(FDR)大統領は、真珠湾攻撃(ハワイ時間では、十二月七日)の前夜に、ホワイトハウスに家族全員を集めて、夕食を楽しみながら、談笑した。
  大統領は食事中に、中座した。ほどなくして戻ってくると、晴れやかな表情を浮かべて、家族を見回して、「戦争は、明日始まるよ」と、言った。

  12月7日(ハワイ現地時間)早朝に、真珠湾から北200マイルまで迫った6隻の空母の甲板から、飛行甲板の両側に並んだ乗組員が「祖国よ。幸あれ」と、必死に手を振るなかを、第一波攻撃隊の183機が、次々と離艦していった。
  日本時間で12月8日午前三時十九分に、第一波攻撃隊総隊長の淵田美津雄中佐が真珠湾の上空から、「ト、ト、ト」と奇襲に成功したことを報告する「ト連送」を発した。

  ト連送は、瀬戸内海の柱島にあった、連合艦隊旗艦「長門」によっても、はっきりと受信された。
  第一波攻撃は午前七時五十三分(ハワイ時間)に始まった。
  真珠湾が劫火に包まれることによって、日本の一人芝居が終わった。

  ルーズベルト(FDR)は日本を計画的に挑発して、アメリカを攻撃させ、日本に自殺を強いることに成功した。ルーズベルト(FDR)は、稀代の魔術師だった。

  野村大使は二月十一日にワシントンに着任してから、十二月七日までルーズベルト(FDR)大統領と十回、ハル長官と六十回にわたって会談した。ルーズベルト(FDR)も、ハルも、日本をあやしていたのだった。

  ルーズベルト(FDR)はアメリカをヨーロッパの戦争に参戦させるために、日本が真珠湾を攻撃することを知りつつ、ハワイの太平洋艦隊を生け贄にしたのだった。
  ルーズベルト(FDR)は日本を罠に掛けただけではなかった。
  真珠湾のアメリカ太平洋艦隊は、ルーズベルト(FDR)によって奇襲されたといって、よかった。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

25 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ヌ  暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府 」

2021-11-20 09:09:32 | 1-2なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
25 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

************************

2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府

  12月2日に、海軍司令部がハワイへ向けて進撃中の第一航空艦隊に対して、「新高山登レ一二〇八」という指令を暗号で打電することによって、12月8日の開戦を報せた。

  今日では「マジック」が解読した文書がみなTOP SECRET(極秘)の文字の上に、太い黒線が引かれたうえで、すべて公開されている。「新高山登レ」は「CLIMB MOUNT NIITAKA.,1208 REPEAT 1208」と、訳されている。

  外務省は在米大使館に対して、三台あった暗号機を一台だけ残して、破壊するように命じた。大使館はその指令に従ったが、暗号機の破壊は開戦が迫っていることを、意味した。

  12月6日(ワシントン時間)に、野村大使に宛てて、11月26日の米側提案(”ハル・ノート”)に答える対米覚書を打電するが、長文のものであるから、全文が届くのは、明日になるかもしれないと予告し、覚書を米側に提示する時期については、追電するので、「訓練次第何時ニテモ米側ニ手交シ得ル様文書ノ整理ソノ他万端ノ手配」を整えるように指示した訓令が、発せられた。

  そのうえで、対米最後覚書を14部に分割して、一時間おきにワシントンの大使館に打電した。一時に長文電信を送ると、アメリカ側に日本の企図を察知されると、警戒したからだった。
  合わせて、東郷外相から両大使と館員一同が交渉妥結のために、数カ月にわたって苦闘したことに対して感謝する電報が、送られた。

  7日午後5時半(日本時間)に、最後の訓令として、「対米覚書貴地時刻7日午後1時ヲ期シ米側ニ貴大使ヨリ直接御手交アリタシ」と、打電された。

  「マジック」は、東京が野村大使に宛てて最終覚書を、7日の午後1時(ワシントン時間)に手交することを命じた訓電を、ただちに解読して、大統領、国務長官、陸海軍長官、陸軍参謀総長、海軍作戦部長に配布した。

  6日夜に、レスター・シュルツ海軍中尉が一部から十三部まで、「マジック」によって解読された文書を、ホワイトハウスの大統領執務室まで届けた。
  ルーズベルト(FDR)はハリー・ホプキンスと話し込んでいた。ルーズベルト(FDR)は、受け取った解読文から目を上げると、ホプキンスに「これで、いよいよ戦争だ」と言った。

  しかし、ホノルルのショート中将が電文を受けとったのは、日本軍の真珠湾攻撃が終わってから、六時間後だった。キンメル太平洋艦隊司令官に電文が渡ったのは、さらにその二時間後だった。

  在米大使館が本省から最終覚書を、アメリカの東部標準時間で十二月七日午後一時に手交することを指示されたのにもかかわらず、野村、来栖両大使がハル国務長官に手交したのは、真珠湾攻撃後の午後二時過ぎになった。野村も、来栖も日米が開戦したことを、まだ、知らなかった。

  この失態は、ワシントンの大使館における情況の認識が、東京と大きく異なっていたことと、綱紀が弛緩していたことによるものだった。野村が予備役の海軍大将だったために、館員を掌握していなかった。もし、外務省から大使が出ていれば、日本大使館があのような失態を演じることは、なかったはずだ。

  ハル長官は、野村、来栖両大使から最終覚書を受け取ると、すでに「マジック」によって全文を読んでいたので、しばらく読むふりをした。
  そして、顔をあげると、「永い公的な生活で、これほど虚偽に満ちた文書を、見たことはない」といって、両大使に部屋から出てゆくように、促した。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

24 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2リ  万策尽きての開戦決定 」

2021-11-19 09:17:11 | 1-2なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
24 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2リ 万策尽きての開戦決定 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

************************

2リ 万策尽きての開戦決定

  11月27日の午後に、東京に”ハル・ノート”が到着すると、その日のうちに、大本営政府連絡会議が開催された。

  誰もが、衝撃を受けていた。”ハル・ノート”が、受諾不可能な条件を列記した最後通牒であって、検討することすら、とうていできないものであることを、全員が認めざるをえなかった。
  翌28日に、閣議が催された。席上、東郷外相が「4月以降、半年以上に亙(わた)る交渉経緯をすべて無視した、傍若無人の提案を為した」といって、非難した。

  東條首相が天皇に、”ハル・ノート”について上奏して戻った直後に、 が、「陛下のお考えはどうでしたか」とたずねた。
  すると、東條首相が「”ハル・ノート”をご覧になって、いかに平和を愛好され給う陛下も・・・・・・」といって、突然、口をつぐんだ。開戦の重要な責任は、天皇ではなく、輔弼(ほひつ:天子の政治をたすけること)の責任者である自分が負うべきことに、気付いたのだった。

  11月28日に、ルーズベルト(FDR)大統領はホワイトハウスで閣議を行ない、「天皇ヒロヒト」に宛てて、アメリカがいかに平和を強く希求し、戦争を回避することを欲しているか訴える、大統領親電を起草して送ることを決めた。

  11月29日に東條首相以下主要閣僚と重臣が宮中に参内して、天皇に前日の閣議による開戦の決定を、上奏した。天皇は、まだ躊躇っておられた。

  翌日、天皇は嶋田繫太郎海相と永野軍令部長をお召しになって、「いよいよ、矢を放つことになるが、矢を放つとなれば、長期戦になると思う。予定通りやれるだろうか?」と、御下問された。
  天皇はさらに、「ドイツが戦争を止めてしまったら、どうなるのか?」と、たずねられた。
  嶋田が「人も、物も、すべて万端の準備が整っております。大命降下をお待ちするばかりでございます。この戦争に石に齧りついても、勝たねばならぬと考えております。ドイツを決して頼りにしてはおりません」と、お答えした。

  12月1日に、御前会議が催された。東郷外相、賀屋蔵相も含めた全員が、11月1日の連絡会議で行った決定通りに、開戦に同意した。
  御前会議では、「11月5日決定ノ 「帝国国策遂行要領」 ニ基ク対米交渉ハ遂ニ成立スルニ至ラズ 帝国ハ米英蘭ニ対シ開戦ス」と、決定された。誰も異議がなかった。天皇は玉座から身じろぎもされず、終始、沈黙を守られた。

  ついに、開戦の聖断が下った。参列者は宮中から退出しても、硬い表情を崩さなかった。
  東條首相はその直後に、側近者につぎのように語っている。

 「お上が日米交渉を白紙に還元して、再検討せよと仰せられたので、私は誠意をもってこれを実行したが、どうしても戦争に突入せねばならぬとの結論に達したので、お上にお許しを願った。
  しかし、なかなかお許しがなかった。そして、ようやくやむをえないと、仰せられた。
  お上が真に平和を愛しておられ、平和を大事にしておられることを、目のあたりに拝察できて、私は何とも申し訳ないことを、お許し願わねばならないので、残念至極だった。
  お上は日英同盟のこと、英国ご訪問中受けられた、英国側の厚情などを、静かに仰せられた。
  私は二度とこのようなお許しを願う羽目にならないようにと、心から願った。
  宣戦の大詔(おおみことのり)のなかに、「豈(あに:どうして)朕が志ならんや」とある文句は、もと原案になかったのを、特にお上の仰せで、加えられた」

  日本は国家の存亡を賭けて、対米戦争に必死になって立ち上がった。しかし、アメリカの圧倒的な力に、いかようにも抗しようがなく、本土を焦土として、戦闘員と非戦闘員を合わせて280万人以上を犠牲にして、敗れた。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長