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8.小野小町の歌の海辺幻想

2022-08-30 09:35:25 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
8.小野小町の歌の海辺幻想
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 小町の歌には花に寄せた物思いが意外に少ないが、それは取り立てていうべきことでもなく、むしろ、恋の歌に海辺の語彙が多いことの方に注目がされる。小町のような後宮の女性にとって、実際に海を見る場面はなかなかない。

 小町は海を、いったいどのようなものと考えていたのだろう。歌でみてみよう。

   対面(たいめ)しぬべくやとあれば

  みるめ刈る蜑(あま:海女)の行きかう湊路になこその関もわれはすゑぬを

   人のもとに

  わたつ海のみるめは誰か刈りはてし世の人ごとになしといはする

   つねに来れどえ逢わぬ女の、恨むる人に

  みるめなきわが身をうらと知らねばやかれなで蟹の足たゆく来る

 この三首に使われている共通の海の素材は「みるめ(海草)」である。もちろん「見る目」との掛詞。一首目の「蜑(あま:海女)」は景物として使われ、三首目は相手の男を比喩している。小町の脳裏には万葉以来の風景として、「みるめを刈る蜑」の姿に象徴される海浜風景があり、「みるめ」は恋の歌のモチーフとして新鮮な野趣を加えられると考えたのであろう。

 「古今集」に「みるめ」を使った恋の歌は数首あるが、海辺の実質はなく、形骸化した言葉遊びとなっていく方向にある。

 その中で小町の海辺の景には動きがあり、たとえば一首目なども「みるめ」を刈り採る蜑が行きかう海浜風景を動的な比喩として上句に据えている。その上これは、相手からの誘いにかなり乗り気な小町のいそいそとした心の動きが下句に直截に詠まれていて、気分のいい承諾の歌である。
(投稿者補足:なこそ(勿来)の関など私はすゑぬ(置かない)ので、どうぞ逢いにきて---/ なこそ(勿来)の関;古代の奥羽三関の一つ、場所は諸説あり

 二首目の方は、「みるめ」がなくなってしまった歌で、来ない男に、「世間の人に聞かれると、もうあの人は来なくなったのです、と言わせていますが、それでいいのですか」と問いかけている。少し未練な、さびしい小町がここにはいる。

 三首目の歌は詞書が面白い。「男はうるさいくらい頻々とやってくるが、女は一向に逢おうとしない。男はそれを恨む。その嫌いな男に言ってやった歌」というのである。
 歌の構成も巧緻で小町の言葉わざがみえるものだが、内容はとなるとめったにないきびしさだ。「私のことをたとえていえば、あなたがお求めの海松布(みるめ)など全く採れない浦ですよ。お会いしたくありません。だのにあなたは、そんなことさえわからないのか、この浦のあたりを離れもせずに、まるで蜑(あま:海女)であるかのように足しげく通ってくる」と手きびしく貶めている。

つづく (次の予定も「小野小町」)

7-2.小野小町 移ろう花の色

2022-08-29 09:40:33 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
7-2.小野小町 移ろう花の色
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 小町のような華麗な歌人には花の歌が似合いそうだが、意外にも二首を数えるだけだ。そのうちの一首は貫之が「古今集」の序に評価したものである。もう一首は定家によって「百人一首」にえらばれ、最も人口に膾炙している。恋の歌ではないが、恋多き女性の述懐が含まれた花の歌なのであげてみたい。

   花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

(花の色はすっかり色褪せてしまった。長雨のつづく折ふし、いたずらに人生の悩ましさに思いわずらっているうちに)

 貫之はこの歌を「春下」に収録し、花の時が短く過ぎてしまった嘆きとして読むことを求めている。しかし、大方の読み手は、むしろ褪せゆく花の色をみつつ、その身の盛りの時代が過ぎたことを重ねてうたった歌として読んでいる。
 歌は二句で切って詠嘆の心が深く、「わが身世にふる」というあたりに単純でない思いがこめられている。花の色にたとえるというより、あえて言い紛らした二重写しの表現に、文学的な修辞の面白さを求めたもので、女文体の特色がよくでている一首といえよう。

つづく (次の予定も「小野小町」)

7-1.小野小町 移ろう花の色

2022-08-28 13:16:39 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
7-1.小野小町 移ろう花の色
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 貫之が小町の代表歌としてあげた歌は三首ある。

   思ひつつ寝(ぬ)れば人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを

   色見えで移ろふものは世の中の心の花にぞありける

   わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ

 和歌の神さまのように崇められてゆく貫之の評価であるから、この三首は女性歌人の一つの目標として尊重されてゆく。
 鎌倉初期の頃著された「無名草紙(ぞうし)」にもこの三首があげられ、「女の歌はかやうにこそと覚えて、そぞろに涙ぐましくこそ」と共鳴の言葉が書かれている。
 たまたまこの三首の主題が、恋・移ろふ心・浮き草の身とあって、恋による女性の人生を典型的にみせたような構成になっており、小町がしだいにその代表として説話的成長をとげる兆しを見せているといえる。

 貫之は、小野小町のその詠風を「あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは女の歌なればなるべし」と評したことはあまりにも有名だ。
 それにしても貫之の「あはれなるやうにて、つよからず」は、今日的なストレートな読みで読むと誤解が生まれるかもしれない。「あはれ」は「しみじみと身にしみる気分」である。そうした気分の醸成は明確な言語表現から生まれるものではないから、「あはれ」を表出する文体がつよくないのは当然のことなのだ。つまり「つよからず」は、否定的に述べているのではなく、女文体、女の物言いとしてそれを肯定したところに生まれた言葉で、重ねて秀歌は、たとえていえば、「美女が心の裡に悩むところをもっているようだ」といったいる。悩ましい恋の歌を多く詠み残した小町の風体をよく言いえているといえよう。

 ところで貫之は、秀歌としてあげた「色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける」という歌を、どう読んでいたのだろう。上句の「色見えで移ろふ」というあたりに、そこはかとない女の物言いの嫋(たお)やかさを感じて、「つよからぬ」部類にかぞえたのであろうか。歌の読みが時代によって少しずつちがってくるのは当然で、この読みの返歌に耐えうることも作者の一つの力なのである。

 今日的な読みからすれば、この上句にはすでにかなりの歳月にわたって、世間のなりゆきを、「恋」ひとつにとどまらず見つめてきた人の詠嘆の声がこもっていると思われる。その「移ろふ」現象を「世の中の人の心の花」だと、「ぞ」、「ける」の係り結びに強調しつつ言いあらわした心だましいは、「たをやめぶり(優雅で理知的な女性的作風。男性風は「ますらおぶり」)」に仕立てながら、なまなかなものではない断言である。小町は「夢」の恋をうたうとともに、「花」にも独特の思想を加えてうたいはじめた歌人だったのである。

つづく (次の予定も「小野小町」)

6-2.伊勢の恋の知性と真情

2022-08-25 09:17:19 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
6-2.伊勢の恋の知性と真情
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 伊勢の恋の歌で最も人に知られているのは、やはり「百人一首」に入った次の歌である。


 難波潟みじかき蘆のふしのまもあはでこの世をすぐしてよとや 「新古今集」恋一


 これはどんな場面で詠まれたのだろう。「新古今集」では、四撰者がこぞって推した伊勢の代表歌だ。
 「難波潟の名だたる蘆(あし)の、ごく短い節と節との間、それほど短い逢いもできずに、この世を過ごせと仰しゃるのですか」というもの。名所の風物詩の蘆をもち出して情調を作り、微小な視点「節」へと注目をみちびいて、ささやかなつつましい逢瀬の時間の密々とした感覚を体感させる上句。
 これだけの言葉のわざを前提にして、下句では艶と怨とをないまぜたような女性的なくねりのある口調で、「あわでこの世を」と拗ねてみせ、「すぐしてよとや」と甘やかな問いかけの物言いの声をひびかせる。いわば女歌の典型の一つといえる名歌であろう。
 一首の風体は温雅であるが技巧は緻密で、韻律はやわらかでしかも勁(つよ)い。伊勢の代表歌というに足るものである。

 多くの「恋」の歌で注目された伊勢であるが、悲恋の気配を感じさせる「涙」とともに詠まれた歌をあげてみよう。


  あふことの君にたえにし我が身よりいくその涙ながれいづらん


 これは宇多院が延喜十三年(913)に主催された「亭子院歌合」に提出された歌。
「あなたとの逢いも絶えてしまった私の身から、いったいどれほどの涙が流れ出るのでしょう」という。別れても、恋しさばかりは打ち消せず残っていて、回顧とともに涙が流れるというのだが、「涙の量」に注目したところがじつに斬新である。

「伊勢」の項 完 (次の予定は「小野小町」のつづき)

6-1.伊勢の恋の知性と真情

2022-08-24 10:12:09 | 殿上の優女 小野小町と伊勢
6-1.伊勢の恋の知性と真情
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版

 伊勢は貫之にも劣らず春の歌の名作が多いが、恋の歌では断然貫之を凌駕している。前代の小野小町のロマンチックな恋の歌ともちがい、それはリアルな詞書を負った場面とともにあるものが多いだけ、宮廷に身を置く女性の物言いの手本としても尊重されたにちがいない。
 伊勢が相手の名を明かさず詠んだ恋の歌も詠んでみたい。

   物思ひけるころ、ものへまかりける道に、野火の燃えけ
   るを見てよめる

 冬枯れの野辺とわが身を思ひせばもえても春を待たましものを 「古今集」恋五

(愛を失ったわが身を冬枯れの野とたとえられるなら、野にはやがて「思ひ」の野火も放ち、草がまた萌え出る春を待とうものを、とてもそれは期待できそうもない)

 伊勢は大きな恋の舞台の花形だったかと思うと、意外にもこうした失恋の歌をかなり残している。これは相手との間柄が疎遠になった頃、外出して野火の光景に出会い、自分にはもう野火を打つ力が残っていないようなさびしさを味わった時の歌だ。
 「物思ひけるころ」という憂愁の表情をあらかじめ詞書に出しておいて、眼前に広がる野火の光景を比喩として詠んでいる。そこに立体感が生まれ、真情がにじむ一首だ。「思ひせば」とか、「待たましものを」という女性的な屈折をニュアンスとした物言いが、未練な情の訴えとして有効に働いているといえるだろう。

 「伊勢集」をみると、伊勢は「人のつらくなるころ」とか、「人の心かはりたるころ」「物いみじう思いはべりけるころ」「なき名立ちけるころ」というような歎きをうたった歌もあって、その恋は当然ながらむずかしい世間との葛藤とともにあったことがわかる。


 人知れず絶えなましかばわびつつもなき名ぞとだに言わましものを 「古今集」恋五

(二人の恋が人に知られることなく終わってしまうのであったなら、つらく悲しい思いをしながらも、「単なる噂ですよ」と言ったことでしょうものを)


 この歌「古今集」では「題しらず」とあるが、「伊勢集」では「人のつらくなるころ」とか、「人にしらるべきかぎりしられて、つらつら物の有ける比(ころ)」など詞書がつけられていて、ここにいう「人」は仲平であろうとされる。歌がらは先にあげた「野火」の歌と似た出来方をしている。「人しれず絶えなましかば」という仮定の物言いをした上句に対し、、「ー-言わましものを」と、思い切れぬ情を残した言い方終わっている。結果に対する後悔を、諦めきれず言葉にする屈折が、いかにも女性的で、愛隣感の醸される物言いである。女文体の特質をもっているといえるだろう。

つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)