勝手にお喋りーSanctuaryー

マニアックな趣味のお喋りを勝手につらつらと語っていますー聖域と言うより、隠れ家ー

40点+20点

2011-05-18 | 映画のお喋り
お気楽映画ってことで、「魔法使いの弟子」を借りてきた。
評価はタイトル通り。
+20点はディズニー映画にこれ以上は望めないというおまけ。


ストーリーはベタだが、つまらなくはない。
王道ファンタジーで、マイナス点はない。

マイナスなのは「笑い」に関する概念が、この監督と私では違いすぎる点。

狙いすぎると笑えないよ?


いや、最初は「選ばれし者」を演じた青年ジェイ・バルチェルのやり過ぎだと思った。
あの声が嫌で嫌で…(吹き替え版ではなく、字幕版)
顔は別に気にならなかったけど、声がアニメだ。

本人インタヴューでは、いたって普通の声だから、やはり狙いだ。

なんで許してるの?と思ってたら、監督インタヴューで、「ジェイの声がいい」
あ、そう。。。。(脱力)

笑いどころは満載なので、素直に演じてればもっと笑えたのに。


本家・英国のTVドラマで「魔法使いマーリン」というのがある。
(絶賛?放映中)
若き日のマーリンとアーサーを描いたファンタジードラマだ。

だからマーリンと聞くと、あの能天気な顔が浮かんでくる。
眼福のアーサー王子も浮かんでくる。
美人のモルガナ姫も浮かんでくる。

モルガナ姫、あんなことになっちゃうのね・・・。


映画の冒頭であっさり流されたマーリンやバルサザールやモルガナの話が観たかったな。
「NY」と「魔法」と言うミスマッチありきの映画だから無理だろうけど。
(ま、やっても指輪物語になりそうだし)


あ、映画はそれほどつまらなくないです。
さすがにお金のかかってる映画だし、CGすごいし、スピード感あるし。
(カメ○メ波、あるし)

「パイレーツオブカリビアン」の3作目で、途中寝てしまった事を考えれば上出来。



それより問題なのは、毎日の食卓。
ほんと、何を信じて、何を食べたらいいのやら。
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ボロ車で荒野を旅する

2011-04-07 | 映画のお喋り
昨日、レンタルしてきた映画を観終わったら、怖いニュースが…。
窒素を注入する前、弁を開けるときの火花が引火して水素爆発が起こるかもってーー;;
それからしばらくドキドキだった。
無事だったみたいだけど。


で、すっかり映画の余韻も吹っ飛んだ。
難しい話は観たい気分じゃないので、「音楽」というキーワードで選んだのは【クレージーハート】

カントリー&ウエスタンは、アメリカの演歌だ。
いろんな映画やドラマで登場するので、聞きかじりはする。
ただ日本人であるが故か、あんまり興味のない分野だ。

この映画の中で使われている曲は、その中でもちょっとブルースっぽい。
そのせいか、ブリッジスさんの味のある声のせいか、わりと聞きやすかった。
でも…。


歌詞の字幕出せ!!


映画の内容から連想するのは【レスラー】だと思う。
だけど、この二つの映画は似て非なるものだと思う。
【レスラー】がステロイドのせいでああなるのは、職業上やむを得ない部分もある。
そのことが悲しいのだ。

アル中のせいで落ちぶれて、新曲もかけない主人公に対しては、そこまで同情の余地はない。
しかも、エージェントや、弟子の売れっ子シンガーがいい人すぎる…。

アメリカ南西部の、な~んにもない荒野のパノラマ。
シングルマザーがついつい惹かれてしまうのもわかる気がする中年男のダメっぷり。
穏やかな気分になれる音楽。
バーのオーナーの味のある演技。

魅力はある。
その魅力を生かしきれてないのがちょっと残念だった。

歌詞が字幕で出ていれば、☆一つ余分についたと思えるのも残念だった。


でも映画を観てる間は現実を忘れていられたんだよ。
それだけでも観る価値はある。
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エビリアンに猫缶を

2011-02-24 | 映画のお喋り
観た人にはわかると思うけど『第9地区』のお話。
(「エイリアン」と「エビ」をかけてみた)

公開される映画は山ほどあるけど、全部見るわけじゃない。
さすがにそんな暇人じゃない。
何らかの理由でチョイスする。
だから余程のことがない限り最後まで観るし、まあ面白かったと思う。

それでも面白さには差がある。
面白かったけどすぐ忘れちゃう映画。
考えさせられて、あとを引く映画。
凄く楽しくてまた観たくなる映画。
1か所でもツボって泣いた映画。


エビリアンは導入部分で爆笑した。
声をあげて笑う映画って滅多にないし、それだけでも価値がある。
ブラックなネタ映画?って思ったけど、それだけじゃなかった。

想像力を足さないと、成り立たない映画だった。


「まさかヴィカスがあんなことになるなんて…」
ドキュメンタリー部分で誰か(誰だか忘れた)がいってたので、あんなことになるんだろうとは思ってた。
でも何故?

クリストファーが作った液体燃料(?)を浴びたから、っぽい作りになっている。
が、監督は傷口からウィルスが感染して、と明言してる。

そもそもクリストファー親子が怪しい。
第9地区にいるエビリアンたちは言わば「働き蜂」階級らしい。
上級船員は、みなウィルスで死に絶えたらしい。
つまりクリストファー親子だけが、特異体質でウィルスの難を逃れた「指揮官」階級なんだろう。

そこで想像してみる。
ウィルスで感染してあんなことになるが、そこに液体燃料(?)を被ったことで、
(えーっと、エビリアンの武器その他はDNAが一致しないと動かないので)
その中に入っていたクリストファーのDNAが混じってヴィカスは「働き蜂」ではなく「指揮官」階級になれたとか・・・。


営々とそんなことを考えちゃう映画だ。


『アバター』は面白かったけど、すぐ忘れちゃう映画だった。
わりと似通った内容だけど、この違いはなんだろうね。


たとえば、ヴィカスが立ち退き勧告ついでにエビリアンの卵を燃やすシーン。
な~んてことすんだよ、あんた!って主人公が嫌いになりそうなシーンだ。
「エイリアンの中絶ね」とかおちゃらけてるし。

でもちょっと考えると、本家「エイリアン」だったらどうだろう。
エイリアンの卵見つけたら「燃やせ!即刻燃やせ!根絶やしにしろ!」って思う。
それが許せないことに思えるのは、彼らがすでに地球に住んでる「難民」だからだし、アパルトヘイトを思わせる扱いをされてるからなんだろう。

観てる方はすでに彼らにシンパシーを感じてる。
見た目はあれなのに…。
見た目があれでなくても、内容だって人間にしたら最低クラスなのに。
エイリアンを取りたてて良く描かず、でも同情はさせる。
この辺が上手すぎる。


もうひとつ。
「正義感溢れたヒーロー」でも「家族愛に燃えて頑張る父」でもない主人公の設定がすごい。
妻に対する愛情だけは認めるけど、それ以外はあんまり好きになれない人物。
ラス前で「あれ、そこで裏切ってどうするのよ」って行動を取っちゃう人物。

でも実際には私、「正義感に燃えるヒーロー」が嫌いだった。
自分の家族さえ助ければ、人にどんな迷惑をかけても平気なとうちゃん(「2012」とかの)が嫌いだった。

自分勝手なヴィカス。
好きになれないし、別にあれになっちゃっても構わない人物だが、この手の話の主人公の中では、ある意味一番リアリティがある。


あれになるとやたらお腹が空くらしくって、ついには猫缶に手を出すヴィカス。
「猫にまたたび効果」と言ってたから、つまりはエビリアンに猫缶は麻薬みたいなもの。
そのことがわかっていて、しかも猫缶。。。
途中ではっとなって猫缶を投げ捨てるシーン。
あの辺りからかなり切なくなる。

思い切りネタバレだけど、ラストシーンの手作りの花。
あれも切ない。

切なくなるんだけど、「3年」でまた笑わせられるんだよね。


3年後。。。
2012年。

「ノアの方舟」があの山の上に乗り上げてホッとした時、クリストファーが味方を連れて戻ってきて、ドカーンッ!だったりして。
で、人類滅亡。

或いは人類滅亡の危機に、戻ってきたクリストファー(&坊や)がヴィカスと共に、なんだかんだで人類を救ったりして。


やっぱり想像力が活性化する映画だ。
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大人にならないとわからないのよ

2011-02-17 | 映画のお喋り
最近しみじみ思う。
例えば若い人に大人が言う一言。

「あなたももっと大人になればわかるわ」

そうなんだよね~
娘より、母親の心境で見ちゃうドラマが多くなった。

ラブコメは好物の分野だけど、あんまり若いとちょっと引く。
(ゴシップガールにははまったが)


その点、この映画は安心だ。
安心と言うより、身につまされて痛いこともあった。


【新しい人生のはじめかた】LAST CHANCE HARVEY


ダスティン・ホフマンがエマ・トンプソンの後をついて回るとこなんか、
ダスティン・ホフマンでなければ危ない人だと思うけど。

エマ・トンプソンが母親の面倒にわずらわされてる独身女性ケイトを演じてる。
かなり痛い…。
気持ちわかるよって部分で。

いろいろ経験してきたから、不幸な結末を予測してしまう。
母親は面倒な存在だけど、突き離しはできない。
傷つきたくないから、平穏な日々から抜けだしたくない。

そう思うこともたびたびある。

でもやっぱりまだ、痛い思いをしてもいいから、足を踏み出したい。
常に足を踏み出す覚悟だけはしていたい。


二人の達者すぎる演技に気持ち良く酔いながら、ひとときの夢を味わった。

もう一人の芸達者(ケイトのお母さん)には、しっかり笑わせてもらったし。
ラスト、エンドロールの『あれ』が最高!


そしてそして。
全然出てること知らなかったけど、ハーヴェイの元妻の再婚相手ブライアンはJames Brolin ではありませんか。
大好きなJosh Brolin のパパですわ。



相変わらず上手いとは言えない演技だったけど、まじめさと誠実さは嫌でも伝わる。
先日のグラミー賞で奥さんの Barbra Streisand を見たばかりなので、なんだかテンションが上がってしまった。



さすがに声量は落ちてた気がしたが、透明感のある歌声は健在だった。
68歳ですからね、これで。
過食症や裁判沙汰に明け暮れたあの頃が嘘みたい。
きっと幸せなんだろうな。

Joshの方は『トゥルー・グリット』の公開が楽しみだ。
(またしてもおまけでマット・デイモンがついてくるし)
西部劇はお手の物。
乗馬は小さい頃からだからね。(パソロブレス育ち)
あ、悪役もお手のもにになってたかーー;



上のは公式サイトのプレゼント壁紙^^
ついでにJoshとDiane Lane 夫妻のツーショット。



いつまでもお幸せに
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特典が面白すぎる

2011-02-02 | 映画のお喋り
ずっと前から観ようかなと思いながら、なかなか機会がない映画があった。
「しあわせの隠れ場所」

ジャンルが「スポーツ」って言うだけで、すぐ借りるのに…。
タイトルがお涙頂戴風なのと、主演の方があまり好きじゃなかった。(汗

2009年のドラフト1位で指名されたNFLのレフトタックルの選手の実話らしい。
スポーツなら何でも見るので、当然アメフトも好きだ。
QBを相手のタックルから守るポジション。
それが天性の「保護本能」から生まれたものっていうのが面白かった。

映画もそれなりに面白かった。
涙は寸止め。
多分主人公の女性とは、絶対友達になれないことがわかってるからだろうと思う。
悪い人じゃないが、気が合わない。


BD観賞で良い点は、映画が終わった後で特典映像が見られるところだ。
しかも今回の特典映像は、ものすぐく面白かった。
監督のハンコック氏と、原作者の対談だ。

映像作家と文章作家。
似てるようでまるで似てない仕事をしていても、創造の悩みを良くわかっているお二人のやりとりは、共感できる部分がたっぷり。


面白かった部分を、ちょっと抜粋(覚えてる範囲で)
原作者ルイスはもともと映画の主人公リー・アンの夫であるショーンの友人だった。
20年ぶりにあったら、家で黒人の少年を預かっているという。
(まだアメフトを始める前)

その後成り行きが気になって連絡を取っているうち、この少年にすっかり興味を惹かれ、小説化したらしい。
まだ無名の選手の話なので、ある程度冒険だったらしい。
(今でも新人賞取っただけだし)


で、監督のハンコックが、この物語に出てくる「強い」人間は、みな女性だという話をする。
リー・アンだけでなく、積極的にマイケルを指導する女性教師、後で雇われた家庭教師など。
逆に夫の影は薄いし、コーチもなんだかなぁ~って感じ。

するとルイスが「南部の女性」について話し始める。
夫を立てているようで、実際には決定権は女性にあるとか。
男は威張ってるようでも、実は妻に頼り切ってるとか。
古い時代の日本の家庭にちょっと似ている。

さらにハンコックが、映画化に際してショーン(夫)に電話して許可を求めたら返事は…。
「僕に聞いたって…何の権限もないんだから」

ルイスは爆笑しながら、こういう場合、大抵は冗談なんだけど、ショーンの場合は事実だからね、とダメを押していた。


ただショーンがリー・アンの尻に敷かれっぱなしと言えば、そうでもないようだ。
映画の中でも「お父様が何と言われるか」みたいに、友達に言われてた。
リー・アンの父親はキリスト原理主義者で、白人至上主義者で、絶対的な差別主義者で、彼女は黒人と口をきいてもいけないという教育を受けていたらしい。

それがバスケの選手で、仲間の黒人選手とは大の親友で、結婚式の付き添いも黒人と言うショーンと結婚した。
この辺から、リー・アンの父とは一線を期した人生観が生まれていったのだろう。

ちょっとだけ、マイケルを引き取ったのも同情だけではなく、亡き父に対する反抗…。
私はあなたとは違うのよ、って言うのがあったのかもしれない。
そういう人生観は、明らかにショーンの賛同の裏付けがあったから、培われたものだと思う。
「強者」であったはずの父親から独立させてくれたのが、別の意味での「強者」ショーンなのかなと。

そう言う意味で「南部女性」とは反対に見えるリー・アンだが、車のダッシュボードから取り出した皮の手袋。
その中には小型拳銃がしっかりおさまっていたそうだ。

「全米ライフル協会会員」「キリスト原理主義」「共和党員」
この3点セットで、やっぱり友達にはなれないと思う。


またルイスは、アメリカ人は誰もが努力すれば成功するのだと信じていたい。
才能に恵まれ、努力したマイケルもまた、成功が当然だと信じている。
だがほとんどは、才能があっても環境などのせいで埋もれていってしまう。
そう言っている。
実際、マイケルのような環境にいる若者は、多くが若くして命を落とす。


アメリカンドリームは「奇跡」でしかない。
だから小説になり、映画化されるのだ。
そう言う意味では、とても悲しい映画だった。
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何事にも屈しない心

2011-01-30 | 映画のお喋り
久しぶりに映画の話でも…。
都会を離れ(笑)すっかり映画館から足が遠のいてしまったけど、DVD、あ、最近はBDね(ちょっと自慢)、これは観てます。

監督がクリント・イーストウッド、主演がモーガン・フリーマン。
これだけだって観るけどね。
ミリオンダラーベイビーで胸が痛いほど感動したし。
それにマット・デイモンがおまけについてくるとなったら、あんた、お得すぎますよ。


ラグビーも好きだった。
秩父宮とか国立どころか、辺鄙なグランドの場所まで知ってる。
ゲームも山ほど見た。

国際的なアパルトヘイトへの抗議行動の一環として、ラグビーの世界で「スプリングボックス」は完全にスポイルされていた。
(ジャージのエンブレムに描かれている動物が「スプリングボック」なので、チーム名もそこから来ている)
かつては最強とまで言われていたのに、国際試合(テストマッチと言われる)から遠ざかれば弱くなるのも当然なんだろうね。

これは一方で「スプリングボックス」が象徴する南アメリカ人の白人系の人たちが誇りを取り戻すストーリーでもある。


ネルソン・マンデラ氏やアパルトヘイトについて書いてたら長くなるので端折る。
圧政の元で虐げられていた人たちが、ある日主導権を握ることになった。
いじめっ子からすると、散々いじめていた相手が突然権力を握ることになったら、メチャクチャ焦るだろう。

だからいじめっ子たちはすっかり怖がっていじけちゃってる。
ちょっと頭が働く人や、裕福な人たちは、とっくに逃げ出しちゃってるし。
いじけちゃってる人たちをどうにかしないと、国が成り立たない。
そこで思い立ったのがワールドカップでのラグビーチームの優勝。
(ラグビーは裕福層が、サッカーは貧困層がやるスポーツだった)


マンデラさんは27年間もいわゆる政治犯として孤島の牢獄にいた。
その間に、彼は怒りをため込んでいたのだろうか。
ここを出たら復讐してやるぞって思わなかったんだろうか。

彼は19世紀の詩人が書いた詩に、自らの魂の救いを見出した。
この詩が、幻影と共に朗読されるシーンが印象的だ。
この詩はマンデラ氏からスプリングボックスのキャプテン・フランソワに手渡される。
そして以降、フランソワの心の支えにもなる。


それは「誇り」だ。
マンデラ氏にとっては、「人を変えたいのなら最初に自分から変わるという誇り」だ。
フランソワにとっては、「南アフリカ代表チームのキャプテンとしての誇り」だ。


怒りを忘れる。
過去は過去にすぎないという。
憎むべき相手を許す。

何事にも屈しない心は、「人である」「愛を持った人である」という誇りの中から生まれる。


元々、世界最強と言われた「スプリングボックス」の選手たちが、アパルトヘイトへの国際制裁の中で味わったであろう屈辱。
(無論そんなものは、貧困層からみればたいしたことではないが)
マンデラ氏の『許し』の政策によって救われ、国とラグビーを愛するラガーマンとして甦った時、あの奇跡は起きたのだろう。

相手チームのNZ代表「オールブラックス」のゲーム前の儀式は、白人の移民によって虐げられた原住民「マオイ族」の戦いの舞だ。
それがオールブラックスの強さの源とも言われてるのは象徴的だ。
すべての民族が一つの目的の為に手を取り戦う。

ラグビーの精神は「One for all,All for one」

スポーツは代理戦争だ。
闘争心や、相手を叩きのめしたいという人の残虐性を昇華する。
利用するのは大いに結構。


クリント・イーストウッドはきっちり仕事してる。
(指名なので本人の思い入れが少々欠けてる気はするが)
モーガン・フリーマンは当たり役。(マンデラ氏からのご指名役だし)
マット・デイモンは相変わらず「誠実な好青年」を演じさせたらぴか一。
(ボーンシリーズは好きだけど、こっちの方が地に近い感じ)


最後にタイトルにもなった詩を。。。


『Invictus』

Out of the night that covers me,
Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the Horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds and shall find me unafraid.

It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.
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脱皮の時期は人それぞれ

2009-05-11 | 映画のお喋り
多くの人が大人になれないままだ。
大人にならなくたって、意外と責任ある仕事がこなせたりする。
子供同士が結婚して、幸せな家庭を築くことだってある。
立派に生きてるからって、大人とは限らないのだ。

大人になりきれない子供は、人を傷つける。
自分に自信を持ち過ぎている子供は、人を面倒に巻き込む。
だけど成熟してない社会の中では、たいてい大目に見られている。

子供から大人に脱皮する時期も切っ掛けも、人それぞれだ。
心を擦り切らせるような人間関係。
人生を変えてしまうような悲しい出来事。
生身の経験をたくさん積んだ人の方が、大人になる時期が早まる。

恋愛も、時にはその切っ掛けに成り得るらしい。
相手のあらゆる面を知ることに耐え、思いやることで大人になる。
滅多にないことかもしれないが。

最後の初恋(NIGHTS IN RODANTHE)

2008年 アメリカ
監督:ジョージ・C・ウルフ
出演:リチャード・ギア、ダイアン・レイン、スコット・グレン

何ともダサい邦題には触れないでおこう。
RODANTHEをちょっと調べたら、ノースカロライナ州アウターバンクスにある村。
アウターバンクス自体が群島で、有名なリゾート地らしい。

このロケーションがまず気に入った。
満ち潮だったら海につかるんじゃないの、ってホテルが素敵。
住むには危険な感じだが、1か月ぐらい宿泊してのんびりしたい。

トラブルを抱えて、このホテルに泊まりにやってくる男・リチャードギア。
旦那に浮気されて傷つき、友達のホテルを手伝いに来た女・ダイアンレイン。

もうこの先はなるようになって行くんだが、そこは二人の役者とロケーションできれいに見せてしまう。
予想では、一度別れがやって来て、いつの日か再会かな?と思ったが。
スコット・グレンが上手くて、そこの部分だけ、ストーリーと関係なく泣いてしまった。

ストーリーはともかく、「大人になる」シーンははっきり見せてくれた。
同じ子供からスタートしたエイドリアン(ダイアンレイン)の旦那と、ポール(リチャードギア)。
だけど、自分のキャリアを台無しにしてしまったトラブルと向き合った時、ポールは大人になった。
いつまでも子供のままの旦那とは、勝負にならない。

そして悲しみと向き合い、娘に話しを始めた時、エイドリアンも大人になる。
大人になる時には、いつも耐えがたい痛みが伴う。
自分が一番向き合いたくないものと向き合うからだ。

痛い思いをしないと大人になれない。
そこらじゅう、子供だらけなのもやむを得ない。
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傍観者は罪人

2009-05-04 | 映画のお喋り
久しぶりに映画を見て泣いた。
いい映画を見ても、泣くまで行かないので、自分の感性を疑っていたところだ。
やはり人には、それぞれのツボと言うものがあるようだ。
今回はそのツボがかなり刺激された。

君のためなら千回でも(THE KITE RUNNER)
2007年 アメリカ
監督:マーク・フォスター
出演:ハリド・アブダラ、ホマユーン・エルシャディ、ショーン・トーブ
   ゼキリア・エブラヒミ、アフマド・ハーン・マフムードザダ

監督のマーク・フォスターとも相性がいい気がする。
適度にリアルで、適度にファンタジー。
映画にはこの両方が必要なことをよく知っている監督だ。

映画は2000年のカリフォルニアから始まる。
主人公アミールは、父親の友人で恩師でもあったラヒム・ハーンからの電話で、一気に過去に引き戻されていく。

そして平和だった頃のカブールの空を舞う凧。
日本にも「ケンカ凧」は存在するが、これって世界的なもののようだ。
アミールの隣には、いつも凧追いの名手ハッサンが付き添っている。
裕福なパシュトゥーン人であるアミール。
よくは知らないが被差別民族であるらしいハザラ人のハッサン。
二人は兄弟のように仲良し。
だけど、その友情は決して平等なものではなかった。

ハザラ人を嫌ういじめっ子の典型アセフが登場。
凧揚げ大会で優勝した(ハッサンの指示のお陰)アミールの凧(ウィニングボールのようなもの)を、断固として手放さないハッサン。
その代償として、ハッサンはアセフにレイプされる。
ハッサンを探しに行ったアミールはこの場面を見ていながら、沈黙してしまう。

作者はこのレイプシーンを、アフガニスタンの悲劇と重ね合わせたと言う。
ハッサンはアフガニスタン。
そして傍観していたアミールは国際社会。
直接危害を加えなくても、傍観者はいつも罪人なのだ。

ハッサンは何故凧の為に自らを犠牲にしたのか。
友情の為、だけではないと思う。
自らの誇りの為、死んでも守り抜かなければならない信条があることを、彼は子供のうちからすでに知っていたのだ。

逆に恐怖に負けたアミールは、心に深い傷を負う。
彼が大切にしているものは身の安全。
殴られるのが嫌で、心に傷を負ってしまうものも、また不幸だ。
体の傷は癒えても、心の傷は簡単には癒えない。
彼はまだ守り抜かなければならないものが何かを知らない子供なのだ。

良心の呵責に耐えかねたアミールは、嘘をついてハッサンを遠ざける。
やがてソ連のアフガン侵攻が始まり、反共産主義者の父親はアメリカに移民する。
時が流れ、アミールは作家として成功する。
心の傷は癒えたように見える。
人は忘れられる動物だからだ。

だが冒頭の電話で、アミールにも過去の付けがまわってくる。
贖罪と言えばかっこいいんだが、かなり強引な理由で無理矢理付けを払わされる感じ。
これがこの映画の唯一の欠点だが、その理由がなければ、この先の行動をアミールが取るとは思えないので仕方がない。

ハッサンの手紙のシーンで、まず涙が…。
子供時代、アミールがハッサンに本を読んでやるシーンがあるのだが、それなら何故字を教えてあげないんだろうと思った。
本物の友情とは言えない、アミールの内心の偏見の表れなんだろう。
だけどハッサンは独学で読み書きを学んだ。
アミールは混じりけのないハッサンの友情と、自分の薄っぺらい友情との相違に、初めて気づく。

アフガンのカブールに赴いた彼の内側に生まれつつある強さ。
他者を守る行為は、その人の為に行うのではない。
それは自分を守る行為になるのだ。
自分が生きていくのに必要なものを守るための。

自分自身を取り戻してアメリカに戻ったアミール。
ハッサンの息子ソーラブと凧あげをするアミールの気持ちは、まさに天まで舞い上がるほど軽くなっている。

かつてハッサンがアミールに向かって言った言葉「君のためなら千回でも」
それと同じ言葉をソーラブに言う。
同じ気持ちで。
限りない愛に誇りを込めて。
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ラブコメの後継者

2009-04-24 | 映画のお喋り
アメリカの映画ジャンルの中に、間違いなく存在する。
その歴史は長い。
ストーリーはお決まりで、アイディアも出尽くした。

それでもラブコメは、これからも作り続けられるだろう。
安定感抜群のストーリーを、どうやって退屈から助けだせばいいんだろう。
そこはやはり、役者のキャラクターに負うところが多い。

1.魅力的で生き生きと輝いている女。
2.彼女を魅力的に輝かせることが出来る男。
難しいのは「2」の方なんだと言う話は、ひとまず置いておこう。

幸せになるための27のドレス(27 DRESSES)
2006年 アメリカ
監督:アン・フレッチャー
出演:キャサリン・ハイグル、ジェームス・マースデン、マリン・アッカーマン
   ジュディ・グリア、エドワード・バーンズ

TVドラマ『グレイズ・アナトミー』を観てる人には、お馴染みの『イジー』だ。
清楚な美人と言うイメージとは裏腹な、トレイラー育ち、下着モデルで学費を稼いで、外科インターンになった頑張り屋のイジー。
主役がただのオバサンに見えてしまうくらい可愛いイジー。

この映画は、おそらく次代のラブコメ女王にしたい彼女の為の映画だ。
地味で有能なキャリアウーマンの役作りはしてるものの、派手な妹よりやっぱりきれいに見えてしまう。
だから「結婚」に憧れながら縁がない、と言う設定が不自然に感じる。
もっと不器用なところを山ほど見せないと説得力がない。

だから映画の山場がラストではなく、題名にもなってる「27枚のドレス」(ブライドメイトのドレス)を、キャサリンがとっかえひっかえ着替える、ファッションショーのシーンになってしまう。
相手役があんまり芸達者でないせいもあるけど。

キャサリン・ハイグル(ジェイン)
 人に頼みごとをされると嫌と言えないお人好し。趣味は人の結婚式に出ること。
 いつか素敵な結婚を、と夢見ているが、憧れの人にも消極的。
ジェームス・マースデン(ケビン)
 日曜版に結婚式の記事を書いている記者。実は皮肉屋で結婚懐疑主義者。
 PNを使っているので、彼のファンであるジェインはその正体を知らない。 
エドワード・バーンズ(ジョージ)
 ジェインの上司兼憧れの人。ナチュラルライフとアウトドアを好む。
 恐ろしいほど鈍感でジェインの気持ちに気付かない。
マリン・アッカーマン(テス)
 ジェインの妹。標的を見つけると、彼に合わせるためのウソを平気でつく。
 いわゆる「女性の敵」タイプ。ジェインの憧れの人が今回の標的。

これだけ書けば、おそらくストーリーは最後まで読めてしまうだろう。
そのとおりだ。
妹への仕返しの仕方にユーモアがないのが致命的。
いい子が一転して悪い子に、でも彼は彼女を見捨てない、的なことをやりたいのはわかるが、パーティー客と一緒に観客もひいてしまいそう…。
ここはやはり妹と、one on one でいかないと。

後は小ネタを楽しむしかない。
タクシーの運転手とのやり取り。
親友(ジュディ・グリア)とのやり取り。
こっちの方がメインストーリーよりずっと面白い。
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現実を受け入れられない時

2009-04-23 | 映画のお喋り
もしも理想的な家庭を持っていたとして。
もしも理想的な夫と結婚していたとして。
もしもそれを突然失ってしまったとして。

どれくらいすればその現実を受け入れられるのだろう。
どうすればその現実に耐えられるようになるのだろう。

悲しみが乾くまで(THINGS WE LOST IN THE FIRE)
2007年 アメリカ・イギリス
監督:スザンネ・ビア
出演:ハル・ベリー、ベネチオ・デル・トロ、デビット・ドゥカヴニー

「チョコレート」でハル・ベリーの美しさに感動した。
それ以来彼女の映画は割と観てる。
そうでなければ、この邦題ではあまり観る気にならない。
しかも原題でないと、彼女が悲しみを爆発させるシーンとリンク出来ない。
仕方ない部分はあるんだろうけど、仕事なんだからもう少し頭をひねってほしい。

さて、デルトロだ。
この手のラテン系の男は好みではない。
だがデルトロから目が離せない。
アップが多い、と言うだけでなく、気がつくと目が行ってる、と言う感じ。
趣味じゃない男に惹かれると、きっとこんな気持ちになるんだろう。

オードリー(ハル)の夫は、現実にこんな人いるの?って言うくらい善人だ。
善人ゆえに、DV被害の女性を助けて、その旦那に撃ち殺される。
妻からしたら、こんな理不尽な話はない。
あまりに突然で、彼女は夫の死を受け入れることが出来ない。

オードリーはどうしたか。
夫の代わりを完璧にこなそうとした。
残された子供の母だけではなく、父親になろうとする。
夫の親友で、誰からも見捨てられたヘロイン中毒のジェリー(デルトロ)の面倒を、夫の代わりにみようとする。

今は薬中で落ちぶれてるが、もとは弁護士のジェリーには、どうやらオードリーの気持ちが理解できているようだ。
ジェリーを援助してる夫のやり方を快く思っていなかったオードリーが、急に彼を自宅に引き取ると言った理由が、そうでなければ納得いかないからだ。
だからジェリーは彼なりに恩返しをしようとする。
ヘロインを断ち、子供の面倒を見て、オードリーの寂しさを埋めてやろうとする。

オードリーが不眠に陥り、かつて夫との間で密かに交わされていた行為(セックスではない)を、ジェリーに求めるシーンは繊細だ。
男からしたら、ふざけるなと言いたいかもしれない。
だけどジェリーは、黙って彼女の要望に応える。
彼女に対する感謝、同情、そして何より亡くなった親友の代わりを、彼なりに務めたいと言う思いの表れだ。

女は男の存在そのものを欲することがある。
寄り添い、それだけで満足してしまう。
女性監督ならではの感覚、共感できる部分だ。

無論、嫌いな男にそれを求めるわけがない。
この時点でオードリーはジェリーに惹かれている。
だが夫の死を受け入れられないまま、他の男に惹かれるなんて許せない。
しかも父親役を引き受けていたつもりだったのに、今や子供たちはそれをジェリーに求めている。
戸惑いと嫉妬で、オードリーは自分を見失う。

2度目にオードリーが彼を迎えに行ったのは、もう夫の代理行動ではない。
彼女の意志なのだ。
自分の意思で行動した時、彼女はやっと現実を受け入れる準備を始めた。

自分の足で大地の上に立った時、人は初めてつらい現実を受け入れられる。
これは夫に頼り切っていた女と、親友に甘え切っていた男の、自立へのものがたりだと思う。
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