勝手にお喋りーSanctuaryー

マニアックな趣味のお喋りを勝手につらつらと語っていますー聖域と言うより、隠れ家ー

もう一つの戦いー品川庄司・見事完走!

2005-08-30 | TVや舞台やスポーツのお喋り
<24時間TV・日産ギャラリー編>

サライが終わった。
マラソンも無事ゴールした。
番組が終了し、CMが流れた。
だが日産ギャラリーはまだ終わってはいない。
本当のドラマはここから始まった。

前日16:30から行われたイベントのMCは品川庄司と熊田燿子さん。
21:00過ぎにいったんイベントは翌日までの休憩に入った。
だが品川庄司は23:00過ぎからのNTV番組に出演。
明け方までひな壇に並んでいた。

そして日曜日の9:00から、日産のイベントが再開された。
仮眠1時間でMCを務める二人。
時間が経つに連れ、二人の疲労は隠し切れなくなって来た。
一番疲労するのは、売りのチャリティーオークション。
品川さんが、庄司さんが、声を張り上げてオークションを仕切る。

19:00過ぎから、最後のイベントに突入した。
芸人カラオケに参加した次長課長も、寝てないと言う点では品庄と変わらない。
井上さんは声が出なかった。
最後は河本さんが代わりに歌っていた。
ついに品川さんの疲労がピークに達した。
目がうつろ、口数はめっきり減っていた。

そして武道館中継。
ワイプに日産ギャラリーが移るたび、どうにか笑顔を作る庄司さん。
だが品川さんはそんな意識もなくなっているようだった。
マラソンのゴール前、庄司さんが帽子を目深にかぶり直した。
どうやらこの手の感動ものに弱いようだ。
そして番組終了。

ここで終わりたかったろう。
だがまだチャリティーオークションが残っていた。
TVにも映らないところで、最後の気力を振り絞り、庄司さんが声を張り上げる。
その場に居もしないタレントの、サインしただけのポスターやTシャツを黙々とさばいていく。
スタッフも居るのだが、品物を次々に手際よく運んでくるのは後輩芸人・カラテカの入江くん。
そして疲れきってる筈の先輩・河本さんも手伝い始める。
相方井上さんとあべこうじさんは、応援の替え歌を歌い続ける。
だが・・・。

とうとう庄司さんが限界を超えた。
立ち眩みがしたのか、じっと額を押さえてる。
声が止まった。
酸欠状態で、声すら出せなくなっているのだ。
その時、代わりにオークションを仕切る声が聞こえた。
もちろん品川さんだ。
無表情で、半分意識のない顔で、体力・気力の限界を超えた相方を救うため、品川さんが復活したのだ。

気持ちの張りが戻ったのか、庄司さんもどうにか加わる。
品川さんが休憩。
そしてまた庄司さんが倒れそうになると、品川さんが。。。
仲が悪い、と自分たちでも認めてる。
品川さんは口を開くと庄司さんの悪口を言う。
だけどいいコンビだ。
褒め合い、傷を舐め合うコンビなんていらない。
本当に参ってしまった相方に、手を差し伸べられるからコンビなのだ。

こうして最後の、マラソンで言えば38キロ地点からの、過酷な道のりを品川庄司は走り終えた。
お互いにすぐ隣を、励ますでもなく、支えあうでもなく、ただ相方が隣を走り続けていることに勇気を得て、二人は完走した。

空から雨がぽつぽつと落ちてきた。
「ここまで頑張れたのは、お客さんの応援があったからです」
そう言って、他の出演者が次々と去っていくステージの上に残って、庄司さんは帰っていくお客さんに頭を下げ続けた。
隣にはもちろん、倒れそうな品川さん。
私も立ち上がり、ご苦労様と言う気持ちを込めて、二人に手を振った。
庄司さんが手を振り返し、深々と頭を下げた。
彼に見送られながら、私は長いイベントに別れを告げた。
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一晩考えました。

2005-08-26 | 映画のお喋り
どうしても昨日の映画の解釈が納得行かなくて、ずっと考えていた。
自慢じゃないが、私は国語の読解テストで、×を食らったことがない。
読解だけなら、いつもトップだった。(自慢か。。。)
でも昨日の映画に関しては、どうも未消化な気がしてならない。

駄目な映画なら駄目なりに、こうすればよかったね、で終わるはず。
いい映画なら、一部だけどここが惜しいね、で終わるはず。
映画を消化しきって、次に映画を見るはず。
でも昨日は、まだまだ考えに入れてないことがありそうで気になった。

こうなったら徹底解剖なので、このエントリーは完全ネタバレで行く。


一番気になったのは、ロッテが姉のアンナをあれほど長いこと憎み続けた理由だ。
もちろんロッテの恋人ダビッドは、ユダヤ人である為にナチに捕まり、強制収容所(アウシュビッツ)へ送られる。
そこから消息不明のまま戻ってこなかった。
恐らくガス室で殺されたのだろう。
このことが原因なのはわかる。
だけど何故姉を憎むの?

細かい部分で、確かに理由はある。
ダビッドの写真を見た瞬間、アンナの顔が曇る。
「どうしたの?」と聞くロッテに、アンナは「ユダヤ人かと思って」と言葉を濁す。
その時からロッテは、姉が反ユダヤ主義者ではないかと疑う。
そしてオランダに来る予定だったアンナに、「来ないで」と手紙を出すのだ。
理由がわからないのはアンナの方で、怒るのも当然だ。

その後、ダビッドが強制連行され、心細くなったロッテは「側にいて」と手紙を出す。
その手紙は、恋人とウィーンで結婚する為に出発したアンナと入れ違いで届く。
だから切羽詰ったロッテの願いを、アンナは無視したことになる。
だが、最初に来ないでくれといっておいて、自分の都合で来て欲しくなったときに姉が来なかったからって、そんなに怒れる?

さらにわからないのは、ロッテはダビッドの死後、彼の弟と結婚して子供まで儲けるのだ。
この時点で、恋人の死から立ち直ろうとしていたはず。
それなのに尋ねてきた姉と、口をきこうともしないのだ。
荷物の中から思い出の品を見つけ、いったんはロッテの心も和らぐ。
だがそこには憎むべきナチの将校と並んだ姉の写真もあった。
ここでロッテは完全に切れ、アンナを道路に放り出す。
これは当然としても、時間が経てば、許そうと言う気にならないのだろうか。
年老いるまで、何十年も、ロッテの怒りは何故解けないのだろうか。

たとえばロッテが彼の弟と結婚せず、恋人の面影を抱いて孤独の人生を歩んでいたら共感できたかもしれない。
でも夫や子供、最後は孫に囲まれ、それなりに幸せな生活を送ってきたらしい老年期のロッテの姿をみると。。。
しかも年老いたアンナは苦労が顔に表れ、服装からも豊かさは感じられず、家族もいないのだ。
この比較では、見てる側は、絶対ロッテに感情移入できない。
妹が姉を誤解して、姉がその誤解を解いて、めでたく終わる映画なのか?
でもロッテ、あんまりわがままなんじゃないの?

さて、ここからずっと考えていた。
駄目な映画ならこんなに考えない。
これほど感情移入出来ないロッテを、監督はどう捉えて欲しかったのだろうか。
もちろんナチのホロコーストには怒りを覚えるし、恋人を殺されたロッテの悲しみも理解できる。
でもその怒りのすべてを、なんで姉にぶつけなければならないのだろう。

たったひとつ、思いついたことがあった。
ダビッドが強制連行されたときの事だ。
二人はオランダの町で仲良く観劇に出かけた。
喫茶店で時間を潰して、劇場についた後で、ロッテはバックを忘れたことに気付いた。
ダビッドが取りに行く。
ロッテが幾ら待っても、恋人は戻ってこなかった。

この日のことで、ロッテが後悔を覚えなかった日は、長い生涯の中で一度もなかったのではないだろうか。
もしもあの時、自分がバックを忘れなければ。
時間通り劇場に入ってしまえば。
ダビッドは連れて行かれなかった。
その後、危険があっても隠れたり逃げたり出来ただろう。
あの日バックさえ忘れなければ、ダビッドはまだ生きていたのだ。
アウシュビッツのガス室で、苦しみながら死ぬことはなかったのだ。

この後悔が、彼女の人生の主軸となっていたらどうだろう。
実際ダビッドの両親にも、ロッテはバックのことを責められている。
弟との結婚も、亡くなったダビッドを思って嘆き悲しむ彼の両親の為にしたことだったら?

そしてもうひとつ、ロッテは戦争が始まった時、ダビッドに婚約解消を申し入れてる。
自分がユダヤ人を迫害しているドイツ人だから、結婚は出来ないと言うのだ。
無論ダビッドは納得せず、二人は和解したように見えたのだが。

もしかしたらロッテの生涯は、彼を殺したドイツ人の血を引いてること、彼を死に赴かせた原因となったこと、その後悔のうちに過ぎて行ったのかもしれない。
身代わりに結婚した弟のことは愛してもいず、最後までダビッドを思い続けていたのかもしれない。
その後悔の人生の苦しさに、いつしか頑なになったロッテの心。

ロッテが本当に憎んでいたのは、姉のアンナではなく自分だったのかもしれない。
その息苦しさに耐え切れず、怒りを姉にぶつけることで、苦しみから逃避していたのかもしれない。

一方でアンナは、辛く過酷な人生を送った。
貧しい農家に引き取られ、労働以外の何もさせてもらえず、知的障害者だと偽って、彼女を学校へもやらせなかった養父からひどい暴行を受けた。
彼女はその暴行のせいで、子供を生めない体になってしまった。
メイドとして生計を立て、そんな中でも必死に勉強を続けようとした。
初めて恋をした男はナチの将校で、結婚後間もなく戦死した。
子供を生めないアンナは、養護施設に残りの人生を捧げる。

たしかに可哀想だ。
だがアンナには何一つ後悔がないのだ。
妹のロッテを冷たく追い返したこともない。
恋人の死の原因が自分ではないことを知ってる。
ドイツ人であることも恥じていない。
劣等種と言われた(当時のドイツの考え方)ポーランド人にも優しくした。
誇りを持って、過酷な人生を生き抜いたのだ。

最後に、老境に達したロッテとであった時、アンナは必死に妹の頑なな心を解そうと努める。
それは妹に「許し」を求めたからではない。
後悔で息が詰まりそうだったロッテに、自分を「許す」ことを教えたかった。
アンナが穏やかな顔で死んでいったのは、妹に「許された」からではない。
妹がやっと苦しみから解放されたことを「知った」からなのだ。
心の闇から抜け出したロッテは、子供の頃のようにアンナを慕う。
彼女の腕の中で息を引き取ったアンナは、何一つ後悔のない人生を、悔いのないまま終えることが出来た満足感で一杯だったのだろう。

いつか、ロッテにも死が訪れる。
その時にロッテの心が穏やかであれば、運命に引き裂かれた双子の姉妹の過酷さも、二人の愛の力に敗北するのだ。
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重いのは好きですか?

2005-08-25 | 映画のお喋り
久々、ちょいヘビーなテーマの映画を見た。

 「アンナとロッテ」 2002年 オランダ=ルクセンブルグ合作映画
  監督:ベン・ソムボハールト
  出演:ナディヤ・ウール、テクラ・ルーテン、
     フドゥルン・オクラス、エレン・フォーヘル

物語は1926年、ドイツで始まる。
親を亡くした双子の姉妹、アンナとロッテ。
体の弱いロッテは裕福なオランダ人夫妻に、アンナはドイツの貧しい農家の夫婦に引き取られる。
やがて病気も治り、何不自由なく暮らすロッテ。
都合のいい労働力として、学校にも行かせてもらえず、辛い仕事をこなすアンナ。
互いのことを思いながら、大人の身勝手で手紙は届くこともない。

10年が経ち、成長した二人。
この辺から時代背景が濃く映画に反映することになる。
ヒットラーの台頭、ナチの出現、そして戦争。
養父から暴力をふるわれ、教会に引き取られ、やがてメイドとして暮らすようになるアンナ。
音楽や語学の勉強をしながら、ユダヤ人の青年に引かれていくロッテ。
やがて二人は再会するが、妹の婚約者がユダヤ人である為、すれ違ってしまう。

成長していく姿とは別に、年老いてから再び出合った二人の様子も挟まれる。
妹を懐かしむアンナ。
何故かアンナを避けるロッテ。
二人の間には何が起こったのだろう。

これ以上はネタバレなのだが、戦争、ナチ、ユダヤ人。
この状況が二人の心を思いがけないほど遠くまで引き離してしまう。

ラストはとても穏やかで美しい。
憎むべきはドイツ人でも、ナチの将校と結婚した姉でもない。戦争なのだ。
それを気付かせたアンナ。
それに気付いたロッテ。
だからとても穏やかで美しい二人に戻れたのだろう。

ここまで書いて、これを書いたらおしましなのだが・・・。
ロッテがアンナをあそこまで憎む理由が理解出来ない。
アンナこそ、ロッテ以上の悲惨な人生を辿っているのに。
ロッテが辛い状況に陥り、姉を頼って手紙を書いたんだが。
その時に訪ねてこなかった姉をやがて憎むようになる。
そんな描写が欲しかった。
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今頃ルミネレポ

2005-08-24 | TVや舞台やスポーツのお喋り
先週の水曜日、ルミネ詣でした。
一人だと思って、一人で6時から早めの夕食のパスタをルミネ2階で食べた。
7時15分前から席に座っていたら、すぐ近くに見覚えのある服が座っていた。
以前庄司さんに喧嘩を売られたK太さんだった。

いつものように、開演前に前説の若手が登場。
撮影はOKなので、多分肖像権もOKなのではと思い、以前撮った写真をアップ。
先日「ひかり荘」で、とんでもない伝説を作ってしまったイケメンコンビのミルククラウン。
ジェンさん、もう立ち直ったかな?

ネタ組は
 ☆ダイノジ:漫才もいいけど、以前のようなコントも見てみたい。
 ☆ピース:ピン芸人と元線香花火のコンビ、大分呼吸が合ってきた感じ。
 ☆だいたひかる:初めて見た頃は、舞台上で小刻みに震えながらネタをやってたのに、すでに貫禄を感じさせ、安定期。
 ☆POISON GIRL BAND:初見。半分までついていけなかったが、徐々にツボにはまり、最後は爆笑してた。
 ☆カリカ:新ネタ?私は初めて。家城さんのキャラはいつもよりまともだったけど、ストーリーとしてよく出来ていた。
バレーボールを受け止めるギャグ、すぐに意味がわからなくてすまん。
「鷲?」は笑った。
 ☆品川庄司:あとで。

ルミネプロデュース公演:
 出し物は2回目だったが、新喜劇同様、2回目が一番面白い。
 (3回目になると飽きると思うが、幸い3回同じものをみたことがない)
 たくませいこさんはマドンナ役ではなく、このままボケになっても面白いと思う。

さて品川庄司だが。
自己紹介ネタは短め。「よかろうもん」鈴鳴らし健在。
前は博多がらみで明太子ぶら下げてたはずなんだけど、鈴の方がいい!
(ちなみに「よかろうもん」は「いいじゃん」と言う意味じゃないと、博多在住の方から教えていただいたんだけど。。。博多ではやらない方がいいのかも(笑)

ここから喧嘩ネタに行くと思わせて、自転車ネタに絡めて警官登場。
そして「銀行強盗」へと突入。
わあ、待望の新ネタだ!
と言っても、今年の単独に言った人にはすぐにわかると思うが、オープニングコントの漫才版。
このコントを見たとき、このまま漫才になるよねと、仲間と話していた。
もともと「Decoration」は、そのままルミネでも出来るコントを集めたと言っていたので、実現して嬉しい!
今後も「学校」の昔話なんかやってほしいな。
アムロの声は最高だし。

そう言えば「喧嘩ネタ」では庄司さんの白い顔があっという間に紅潮するのを、最前列で見るのが楽しみだった。
1週前は軍団山本海旅行で真っ黒、前日は大磯ロングビーチロケで真っ黒。
日焼けした庄司さんの顔が高潮したら・・・赤黒?
新ネタでよかった。。。
さらに追加。
品川さんは「いいとも」と同じ服だったが、庄司さんは過日のイベントの時に着ていた青と茶のチェックシャツ。
あれ見てると蘇るなあ~(遠い目)
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じみ~~な作業

2005-08-22 | 日常のお喋り
HP---放置中
BLOG--ー放置中

でもこの間、遊び暮らしていたわけではなく、暑さにダレていたわけでもない。
前々からやらなくてはと思いつつ、ずっと先延ばしにしてきた地味な作業を、まとめて片付けていた。
3年前まで愛用していたワープロのフロッピーを、PCに移し変えていたのだ。
ここで何度か書いたけど、何十枚もあるフロッピーは、そのままにしておくとPCでは読み取れない。
つまりワープロが壊れたら、そのフロッピーはただのプラスティックの不用品と化してしまうのだ。

ワープロにはHDDが内蔵されていない。
すべてフロッピーに保存してある。
フロッピーをディスクに入れ、文書を1つ呼び出す。
フロッピーを別のものに取り替え、dosで保存する。
フロッピーを取り替え、次の文書を呼び出す。
フロッピーを取り替え、dosで保存する。
・・・・・・以下、この作業を延々繰り返す。

正確に何時間かかったかわからない。
多分50時間くらいだと思う。
でもやっと、すべてのフロッピーをPCに保存し、さらにMOにコピーし終えた。
まだdosをPCのワード文書に置き換える作業は残っているが、それは5時間くらいで出来るはずだ。

PCのHDD。なんて便利な響きだろう。
ワープロで何時間もかかってdosに変換したフロッピーを、PCのHDDに取り込むのに、5分しかかからない。
MOは十年劣化しないと言われてる。
たとえ別の便利な何かに取って代わられても、今度コピーする時は、せいぜい30分で済むはずだ。
それだけを励みに、暑い中、じみ~~な作業を続けた2週間だった。
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このテーマでこんなに笑える映画

2005-08-12 | 映画のお喋り
久々に映画ネタを書きたくなった。
公開時は近場で見る場所がなく、DVDになってもたった1枚しか置いてないので、なかなか借りられなかった映画。
つまり、またまたマイナーな映画ってことだが。

  「ふたりにクギづけ」 2003年 アメリカ映画
  製作・脚本・監督:ボビー&ピーター・ファレリー
  主演:マット・デイモン、グレッグ・キニア

「このテーマ」と言うのは、主演の二人が結合双生児だと言う部分だ。
一般的に見れば、「同情すべき二人」なわけだ。
障害者(と言っていいのかわからないが)をテーマに描いた映画は山ほどある。
たとえば、私が好きな映画の一つ「ギルバート・グレイプ」は、知的障害を持つ弟(レオナルド・ディカプリオが好演)を抱える兄(ジョニー・デップ最高)の悩みを描いている。
最後まで真摯な態度で取り組み、素晴らしい映画に仕上がった。

だがこちらの映画では結合双生児(体の一部分、この映画の場合はわき腹から腰がつながって生まれてきた双生児)を主役にコメディを作った!
間違っても障害を馬鹿にして、面白おかしく描いてるわけではない。
ふたりはつながってるが、そのことを非常にポジティブに捉え、人生を積極的に生きようとしている。
だけどつながってるが故の、不便や悩みもある。
良い部分と悪い部分を公平に描き、そこから笑いを引き出してるのだ。

弟ボブ(マット・デイモン)は頭がよく、スポーツも万能だが、内気な性格。
兄ウォルト(グレッグ・キニア)は陽気で積極的な役者志望。
二人はマサチューセッツ州ののどかな島で生活してる。
友達もたくさんいるし、学生時代はふたり一組を利用しスポーツで大活躍。
今はハンバーガーショップを経営し、障害が苦にならない平和な生活を営んでる。
ボブはメル友に恋をして、結合双生児と言うことを打ち明けられないというのが唯一の悩み。

だけどある日、ウォルトがハリウッドへ行って役者になりたいと言う夢を打ち明けたときから、二人の生活は一変する。
故郷の島では有名人で人気者の二人も、ハリウッドに行けばフリーク扱いだ。
だけど偶然知り合ったシェール(本人が実名で登場)のお陰で、ウォルトはスターへの階段を上り始める。

この話のポイントは、ふたりが何故これまで分離手術を受けなかったかにある。
唯一肝臓だけ、ボブの体にしかないのだ。
肝臓は人の臓器の中でも、決して欠かせないもののひとつだ。
もし分離手術をした場合、ボブは肝臓を半分切り取られるだけで済む。
だがウォルトは移植手術となり、成功率は50%。
だから反対してるのはウォルトではなくボブなのだ。
リスクのない自分が、自由になるために危険な手術をウォルトに受けさせることは出来ない。

(以下ネタバレ)
だけど今度も結論を下したのはウォルトだった。
メル友メイに恋をしながら、結合双生児であることが理由で積極的になれない、そのことに苦しんでいるボブを見かねたのだ。
分離手術を受けた二人は・・・。

結末は案外「ギルバート・グレイプ」に似ているのかもしれない。
知的障害を持つ弟を負担に感じていた兄は、最後に弟が自分にとっていかに必要な存在であったかを知る。
必要としてくれる人がいて、初めて自分に存在価値を見出す。
これは恋愛映画でも、ヒューマンドラマでも、普遍的テーマだ。
障害者をコメディ映画の主演にしてしまう無謀さも、この普遍的テーマをきちんと描いているから許される。
あまり大げさにならない、ツボを心得た笑わせ方も心地よい。
ファレリー監督、なかなかやるね、と思った一作だった。

最後になったが、立ちっぱなしで5時間の特殊メークに耐え、一度メークしたら14時間はそのままで(くっついたままで)いなければならない(合計19時間だ!)と言う苦行に耐えた主演の二人の役者根性に拍手を送りたい。
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接近遭遇(後編)

2005-08-08 | TVや舞台やスポーツのお喋り
「品川宿・道の駅」イベントの出番は終了した。
その後のアンパンマンショーを見る気はさらさらないので、即刻冷房の効いた建物内に再避難。
早起きして、食事もしないで出て来た私はお腹ペコペコ。
インターシティ内に食べ物屋さんがたくさんあるので、そこでお食事の予定となった。
すでに私の頭の中には、何を食べるかしかなかった。

入り口側のテーブルの上にパンフレットが置いてある。
私はそれを取る為、入り口方面に向かった。
パンフレットに手を伸ばしかけたとたん、私の“品庄アンテナ”がピコピコと反応した。
本能的にアンテナが反応した方向を見る。
私の目に飛び込んできたのは、見覚えのあるチェックのシャツ。

「これ何?これ何?どこで見たの?」

もう頭の中は真っ白け。
目はそのシャツを追いかける。
私の横1mのところを通り抜けていくチェックのシャツ。
行き過ぎて、背中を見た時に、やっと私の脳味噌が液体から柔らかい物質に変わり始めた。

「ええっ~~~~!!!」

そうなのだ。このチェックのシャツは、少し前までステージの上にあった。
脳味噌は物質化してくれたが、足の方はまだ鋼鉄のように固まっていた。
その時、チェックのシャツが振り向く。
それは紛れもなく、ステージを降り、素に戻った彼の顔だった。

人間の知覚と言うのは不思議だ。
人間の視覚も不思議だ。
脳で再構成される記憶は、さらに不可解だった。
彼は数人の女性に周りを囲まれていた。
だけど私の再構成された記憶の中で、彼はその女性たちよりかなり大きかった。
というより、女性たちが七人の小人のように小さくなっていた。

どのくらいの時間が経過したのだろう。
振り返ったので、よく見ることの出来た彼の顔は、いつもとはまるで違う。
TVや舞台で見る、明るい笑顔、底抜け天然、そんなものはどこにもない。
険しい表情の中に、神経質な性格が見え隠れしてる。
この人は本当はとっても繊細な人だ。
そう思わせる表情だった。

さて、後でみなの証言を検証すると、面白い事態にぶつかった。
品川派のMくん、Kさんは、品川さんしかいないと思っていた。
私は庄司さんしかいないと思っていた。
少し離れてみていた人は、最初に品川さんが歩いてきて、その後が庄司さん。
だけどいつの間にか品川さんのほうが後になっていたと言っていた。
品川さんはMくんにサインの要望に応えて下さっていた為、遅れたのだ。
ってことは、あの場に品川さんもいたの???
いまだにそのことがよく理解できない私。

彼らはこの後、地方で別のイベントに出演するため、とても急いでいた。
少し離れていた私にはよく聞こえなかったが、庄司さんは周りの女性たちに「急いでいるから」と言って、サインなどを断わっていたようだ。
だけどちゃっかり品川さんのサインをゲットしたMくん。
君じゃなかったら、きっと立ち止まってくれなかったよ。
その証拠に、いつもはくずし字で書かれるサインなのに、きちんと「品川祐」と書いてあるじゃないか。
君はあの日、世界で一番恵まれた品川ファンになれたんだよ。
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接近遭遇(前編)

2005-08-07 | TVや舞台やスポーツのお喋り
私はよくルミネに品川庄司を見に行く。
年に一度の単独も。
だけどこれまで一度も、“イベント”と言うものに行ったことがなかった。
でも今回、品川宿「道の駅」というイベントに初めて足を運んだ。
多分一緒に行く人がいたからだろう。それも総勢8名御一行だ。

行くからには、群衆に紛れた後ろの方で見るのは悲しいので、開始時刻よりかなり前に集合した。
そのお陰で、仮設ステージを取り囲むように置かれている椅子の2列目を確保。
ところがこのイベント会場、炎天下の野外なのだ。
試しに椅子に座ってみたら、オーブンの中に入ったような熱気が伝わってくる。
こんなところで待って入られないと、インターシティの冷房の効いた建物内に避難する。

お腹も空いていたが、暑いので目はアイスクリームに吸い寄せられる。
会場の様子が見られる場所で、冷たいものをいただいてるうちに時間が経っていく。
そこで仲間Mくんから、思いがけない提案を聞かされる。
ステージに移動する品庄を待って、サインしてもらうと言うのだ。
いわゆる「入り待ち」?
即刻偵察に行ったら、エレベーターから建物出口の辺りにスタッフの姿を発見。
ここに間違いない!
だけど出て来たのは一日駅長を務める熊田曜子さんだった。

品庄の出番が近づいてきた。
彼らはすでに、ステージ後方のテントの中だなと思った。
やはり。。。出囃子が聞こえてきた。
慌てて確保した椅子に駆けつける私たち。
いつものネタが始まる。
だけどいつものルミネの雰囲気ではない。
熊田さんのファンらしき男性が、ネタの合間に野次を飛ばす。

♪サッポロいちば~ん、味噌ら~~めん♪
と庄司さんが歌った後、「塩ラーメンじゃないの?」
私も半キレだったが、品庄もそうだったと思う。
「ネタができない状態になってます」と、呆れた顔の品川さん。
イベントや地方営業って、みんなこんな感じなの?
それとも今日のお客が悪かっただけ?

そしてついに庄司さんが、マジギレる。
「うるせぇーよっ!」
その後は幾らか増しになったが、雰囲気を壊されてしまった漫才には、いつもの切れ味がなかった。
ネタに関してはいつでもルミネで見られるので、私は構わない。
だが今日初めて見たお客さんもいるだろうし、その人たちに品庄のホントの面白さが伝わらなかったのは悲しかった。

20分予定されていた時間が15分に減ってしまい、その後のクイズコーナーが始まる。
司会者の女性、出題者の男性、そして熊田さんが登場。
これもなあ。。。
司会者がきちんと仕切れないので、庄司さんが再三手助けをしている。
ほったらかしの熊田さんに話題を振ったり、次の賞品を紹介したり。
これって司会者の仕事なのに。
でも偉いぞ!しょっちん!!

そして約30分で、品庄の出番は終了した。
あれこれ書いたが、私も諸事情で全部を責め切れない。
その諸事情で、写真はフォトショにてフェイクさせていただいた。
すっごくよく撮れてたのにな。。。
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