日々の聖書(3)
第七日めに、神は行っていたご自分の仕事を終えられ、そして、第七日めに、神は行なっていたご自分のすべての仕事から離れて、お休みになられた。 (創世記第二章第二節)
日曜日
今日は日曜日で休日である。キリスト教に言う安息日である。ユダヤ人は、金曜日の日没から土曜日の日没までは、SABBATH(サバス)と呼んで、この時間は完全に日常の仕事から解放される。この安息日のSABBATH(サバス)の語源には、第七日めという意味が含まれているのではないだろうか。SEVENという語と発音も似ている。
それはとにかく、今日の欧米のキリスト教国では、昔ほどにはその宗教的な意義は自覚されていないにしても、それでも人々の意識の奥底には、日曜日のその宗教的な意味合いは残されて底流していると思う。
しかし、わが国のように仏教、儒教、神道の伝統の国では、そもそも一週間や日曜日という時間のサイクルさえなかった。お盆やお彼岸など祝祭日にはもちろん、仏教や神道などの宗教的な意味は残されているが、しかし、今日の日曜日は、キリスト教徒以外には、全く宗教的な意味を持たない。日曜日は単なる休日であって、そこには何の宗教的な色彩もない。
せめてキリスト教徒の間では、日曜日を「聖日」と呼ぶようにすれば、この一週間の中の日曜日という日の貴重さを、もう少し実感できるのかも知れない。少なくとも欧米のようなキリスト教の伝統のある国々のように、日曜日を聖日として、ただでさえ忙しい日常の仕事から日本人も完全に解放されて、家で静かに家族と団欒に過ごす時間を持つようにすればよい。
一週間のうちに、せめて日曜日くらいは家族と食卓を囲み、子供や妻たちと日ごろ話し合えないようなことを話題にしたり、また家族と一緒に音楽を聴いたり、流行の小説を話題にしたり、またできれば聖書の一節を朗読しあったりする時間を持つようにすればよい思う。
週に一度巡ってくるこの日曜日を、神のために捧げる感謝の一日として、子供や妻との団欒の日にすれば、離婚や、その結果として起きる幼児虐待や、さらには子供たちの自殺など、わが国で今日おぞましく流行している悲劇も、少しは防ぐことにもなるのではないだろうか。日曜日を聖日として、神様に倣って、この世のための仕事から完全に解放される時間を持ちたいものである。
第七日めに、神は行っていたご自分の仕事を終えられ、そして、第七日めに、神は行なっていたご自分のすべての仕事から離れて、お休みになられた。 (創世記第二章第二節)