海と空

天は高く、海は深し

4月21日(土)のつぶやき

2012年04月22日 | Myenzklo
10:37 from Saezuri
第4節 ユダヤ教の評価の転回ここではユダヤ教の評価と位置づけの変化をとくに取り上げてみたい。(S167)注(1)バビロン捕囚以前を「古代イスラエルの宗教」、捕囚以後を「ユダヤ教」と呼ぶのが通例であるが、ヘーゲルは両者を必ずしも明確に区別していない。(S 182 )

10:42 from Saezuri
「なぜユダヤ教か」という問いに対しては、こう答えることができる。ヘーゲルが青年期から関心を寄せてきた宗教は、キリスト教以外では、ユダヤ教とギリシャ、ローマの宗教だった。(それ以外の宗教はエジプトの宗教以外はそのほとんどがベルリンの中期以降にはじめて具体的な知見が得られた。)168

10:55 from Saezuri
ギリシャ・ローマの宗教対、ユダヤ・キリスト教とが明と暗、自由と隷従という激しいコントラストで描かれてきた。イェーナ期にキリスト教との和解がなしとげられたのちも、ユダヤ教に対する否定的な評価はなにも変わらなかった。・・・ところが24年の講義で、突然にユダヤ教に対する評価が変わる.a

11:03 from Saezuri
そして、最終的には31年には「自由の宗教」として位置づけられるに至る。宗教史に登場するここの宗教の中一番に大きく変化したのが、ユダヤ教の評価であった。・・・早くからヘーゲルの関心の的であったユダヤ教の位置づけに注目することによって、宗教思想のある重大な変化の局面を、初期から b

11:10 from Saezuri
晩年までの発展全体の中で捉えることができる・・・しかも、この転回にはシュライヘルマッヘルの『信仰論』のキイーワード「依存感情」への批判や汎神論攻撃を受けての対応の変化、さらにはドイツにおけるユダヤ人問題や7月革命の影響など重要な要素がかかわっている。(S168)

11:15 from Saezuri
一  1821年草稿に見られるユダヤ精神への反発1821年の講義は宗教史に『論理学』の三分法(存在、本質、概念)をそのまま当てはめ、A直接的宗教(東洋)B崇高(ユダヤ)と美(ギリシャ)の宗教、C合目的の宗教(ローマ)という三段階を基本にしている。(S168)

11:21 from Saezuri
ユダヤ教とギリシャ宗教が同じ「本質」段階の異なるタイプの宗教として配列される。・・・イェーナ期にキリスト教と和解したことで、〈ギリシャ〉は範型としての絶対的な意味を失った。一八〇五/〇六年の「精神哲学」はギリシャ宗教をキリスト教へ至る進化のプロセスの一齣として相対化していた。a

11:31 from Saezuri
ユダヤの神ヤハウェは「絶対的威力」、唯一の「主」と規定される。これに対して、ギリシャの神々は「必然性」「運命」である。ヤハウェは「絶対的な威力」の前では、有限な自然的な事物も個別的な人間も自立性を認められない。それらは「単にかりそめのものに過ぎない」。これに対してギリシャではb

11:41 from Saezuri
「さまざまな形態」の神々が自立的な実在性をえている。個別者と有限な事物にまったく自立性を認めないユダヤの唯一神よりも、個性が自由奔放に展開するギリシャの神々の世界の方にヘーゲルははっきりと行為を寄せている。唯一神という点では、ユダヤ教の方がギリシャ宗教よりも、キリスト教に c

11:48 from Saezuri
近いはずである。けれども二一年の草稿は、「神が一であるEinheit Gottという認識は限りなく重要だes」しながらも、ユダヤの一なる神を「妬む神」(ein eitriger Gott)という否定的な評価に直ちに結びつける。唯一(Einheit)という神の特性よりも、d

11:53 from Saezuri
「自由Freiheitの達成度に基準をおいて、ギリシャ宗教の方を、より優れたものとしている。(S 169)宗教の問題は個人のアイデンティティーの問題と深くかかわることは、一〇〇〇年も前の西行法師の時代とも変わらない。法師も民族宗教である神道と外来宗教である仏教との e

11:56 from Saezuri
間で苦闘したのである。この問題は、こんにちでは神道のキリスト教の選択の問題として存在している。この問題は、民族の宗教、共同体の宗教としての神道と個人の宗教としてのキリスト教として、両立させる立場に立つ。神道は否定されるのではなく、キリスト教においてアウフヘーベンされるのである。f

12:05 from Saezuri
「主に対する畏れ」Furcht von der Herrnと、そこから帰結する「絶対的不自由Absolute Unfreiheit」これがユダヤ教の根本規定と見なされている。(S170)※下につづく、青年時代のヘーゲルのユダヤ教についての認識は重要であるので引用記録しておく。

12:10 from Saezuri
「神に対する人間の関係は過酷な奉仕である。・・この媒介を介して、意識はおのれの具体的な生活と生存を取り戻す。彼が存在するのは、初めから終わりまで、神の威力の慈悲eine Geute der Machtによる。//こうした奴隷的な意識は(普遍的な)拡がりや理性をもたない。S170

12:24 from Saezuri
ただいつまでも自分のうちにとどまり、己の個別利害にこだわる。つまりは、わがままeigensinnigでかたくなhartnaeckigで強情halsstarrigなのだ。そしてよそ者に対しては排他的で・・自分たちの家族・民族だけを受け入れる。この叙述はまさしく青年期草稿を髣髴させる

12:34 from Saezuri
。基本的発想からキーワードに至るまでほとんど変わっていない。この奴隷的な精神構造はユダヤの祭祀Kultusの中にはっきりと現れているとヘーゲルは見る。ユダヤの民は自分たちだけが「神の民ein Volk Gottesであると自認しているが、これは主への畏怖と奉仕という条件のもとで、

12:42 from Saezuri
絆と契約によって神に受け入れられた民ということを意味する。祭祀は隷属状態のなかで、主の御心にかない気に入ってもらえるようにする努力に過ぎない。供儀Opferは主を認め主に対して主への畏れを表現する行為である。彼らが祭祀・供儀の見返りとして得ようとするものは、「内的な」満ち足りや、

12:58 from Saezuri
「神との和解」ではない。「たんに世俗的な分け前、すなわち土地」の「占有」にすぎない。このように、ユダヤの祭祀の目的が、その見返りに選民としての地位と土地の占有を確保することにあった、としている。ヘーゲルはこうした奴隷的な精神態度を、とりわけ『ヨブ記』からの長い引用を重ねて例証した

13:02 from Saezuri
二 一八二四、二七年における肯定的評価への転回

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4月9日(月)のつぶやき

2012年04月10日 | Myenzklo
22:50 from gooBlog production
図書館検索サイト blog.goo.ne.jp/sowla/e/1b6a33…

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4月6日(金)のつぶやき

2012年04月07日 | Myenzklo
03:49 from gooBlog production
4月4日(水)のつぶやき その1 goo.gl/vkC5k

03:51 from gooBlog production
4月4日(水)のつぶやき その2 goo.gl/2ybAs

03:56 from gooBlog production
4月4日(水)のつぶやき その2 goo.gl/gHScq

03:58 from gooBlog production
4月4日(水)のつぶやき その3 goo.gl/9gFYJ

04:01 from gooBlog production
4月5日(木)のつぶやき goo.gl/lseb8

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4月5日(木)のつぶやき

2012年04月06日 | Myenzklo

 

2012年04月06日 | Twitter
10:15 from Saezuri
第三節 ヘーゲルとプロテスタンティズムヘーゲルはプロテスタンティズムの新しい理解を我がものにし、これを宗教一般の基盤における最終形態と見なすに到った。これは青年時代とはまったく逆の立場である。青年期の厳しいキリスト教に向けられたものであったが、 a

10:21 from Saezuri
とりわけ強い反感と嫌悪感が向けられていたのはカトリシズムに対してというよりもむしろ、プロテスタンティズムに対してであった。とりわけ故国ヴェルテンブルクの国家権力と結託したルター派正統主義教会の支配とそのイデオロギー的支柱であるテュービンゲン神学に対してであった。b

10:23 from Saezuri
それが今では「私はルター派教徒です。そして哲学によっても完全にルター主義の信仰を強めています」(1826年7月3日付けトールク宛書簡)と公言するところまできたのである。(S228)

10:50 from Saezuri
こうした発言をもってヘーゲルは既成のキリスト教と和解したと見なしてよいであろうか。もしも、「既成のキリスト教」ということで、当時彼の現前にあった体制的なキリスト教を指すとすれば、そのようには言えない。当代のキリスト教会は時間を三〇〇年前に戻そうとしていた。a

10:57 from Saezuri
教会合同に刺激された古い宗派主義はますます勢いをつけて来ていた。信仰覚醒運動から生じた新敬虔主義は正統主義と手を携えて近代精神に襲いかかっていた。このような趨勢にあったキリスト教会とヘーゲルは和解すべくもなかった。 b

10:59 from Saezuri
ヘーゲルはむしろキリスト教会のこうした反動的な傾向と対決するために「プロテスタンティズムの原理」という旗を高く掲げるようになったのである。当時「プロテスタント(抗議する者)」というプロテスタンティズムの成立事情を伝える栄光ある名称さえもが抹消されようとしていた。  c

11:02 from Saezuri
ヘーゲルはこれを、外的な権威をしりぞけ自己の主体的な確信に従うというプロテスタンティズムの核心的原理が抹殺される危機として受け止めた。「プロテスタンティズムはデカルトとtもに始まった」という極端な一般化までして、この原理を旗印にしたのはこうした背景があった。  (S229)

11:06 from Saezuri
一  新プロテスタンティズムの理念この一般化された「プロテスタンティズム」という概念の歴史的な意義は、トレルチの「新プロテスタンティズム」の概念によって一層よく理解できるように思われる。トレルチは宗教改革そのものは近代の開始ではなく、  a

11:13 from Saezuri
キリスト教文化の再興をめざした中世的な性格をもつものとみる。この啓蒙の影響が一七世紀末からプロテスタンティズムに浸透していき、プロテスタンティズムは自由と人間性の理念を取り込んだ近代的なものに生まれ変わった。トレルチは一六、七世紀の中世的性格を引きずるプロテスタンティズムをb

11:24 from Saezuri
「旧プロテスタンティズムAltprotestantismus」18世紀以降の「啓蒙化されたプロテスタンティズム」を「新プロテスタンティズムNeuprotestantismus」と呼んで区別した。後者は、イギリスやフランスの啓蒙主義の影響を受け、ライプニッツに始まり、 c

11:28 from Saezuri
レッシング、ヘルダーを経て、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、シュライヘルマッヘルへと展開してゆく一連の思想運動である。このなかで、プロテスタンティズム自身の歴史に対する自己理解が生まれ、プロテスタンティズムの原理と歴史上のプロテスタント教会との区別が自覚される。d

15:25 from gooBlog production
ブログと連携はじめました。 blog.goo.ne.jp/aseas/

15:41 from Saezuri
教会の教義体系を批判する超教派的、非教義的プロテスタンティズムが成立する。これに対して、信仰覚醒運動や新敬虔主義は、古い宗派主義に還ろうとする反啓蒙の運動であり、新プロテスタンティズムに対決する旧プロテスタンティズムからの対抗運動であった。  e

15:49 from Saezuri
十九世紀初頭からドイツのキリスト教会を席巻していたこうした反動的な潮流とヘーゲルは闘ったのである。それゆえに、もしもヘーゲルとキリスト教会との和解を語りうるとすれば、それは彼自身が自由と理性の宗教としてあまりにも理念化しすぎたキリスト教との和解であった。f

15:56 from Saezuri
たしかにヘーゲルは若い時から啓蒙の冷たい知性主義を嫌っていた。カントの二元論への批判に代表されるように、啓蒙の抽象的悟性への克服は終生のモチーフであった。「宗教哲学」講義でもこのモチーフは啓蒙の宗教観への仮借なき批判として展開された。  f

15:59 from Saezuri
ここからヘーゲルは反啓蒙主義者であるかのような印象が与えられる。※啓蒙の抽象的悟性の克服は、単にフランス革命や共産主義革命の否定的側面の克服に関わるだけではない。今日の環境左翼や男女共同参画といった運動にも「啓蒙の抽象的悟性」は引き継がれており、その克服は今日的な課題でもある。
 
 
 
 
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4月4日(水)のTW:#破綻国家、その3

2012年04月05日 | Myenzklo

 

2012年04月05日 | ノート

18:50 from Saezuri
形成されてきた近代国家システムは行き詰まり、破綻の様相を呈している。年金制度や国民健康保険制度という現代国家の基本的な枠組みを改訂せざるをえない状況に来ている。国家と個人の関係はもはや後戻りはできないが、

18:53 from Saezuri
自民党や民主党などの「戦後民主主義」五十五年体制の政党政治国家システムの遺産は、もはや問題解決の能力を失っている。橋下 徹氏の「維新の会」などは、このような時代背景のもとに生まれてきたものである。しかし、そうした運動も、今のところ海のものとも山のものともつかない。

18:55 from web
第三節 ヘーゲルとプロテスタンティズム

 

 

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4月4日(水)のTW:#プロテスタント、#国家、#宗教、# 法治国家、その2

2012年04月05日 | Myenzklo

 

2012年04月05日 | Twitter

15:27 from Saezuri
将来の革命を防止するための処方箋を示しえなかったことから来ている。ヘーゲルはただ、革命の真因を解明し、これについての無理解の横行を糺すことに自己の課題を限定せざるをえなかったのである。(S221 )W.Jaeschke「Hegels Last Year in Berlin」

15:33 from Saezuri
四  ヘーゲル宗教・国家論の射程今日の民主的な諸国家は、宗教的な寛容と政教分離の原則を確立し、国家と宗教との対立を基本的に克服したかのように見える。それはプロテスタント系の国家に限定されない。カトリックが優勢な国家においてもそうである。a

15:36 from Saezuri
それによって直ちに「法治国家の安定がプロテスタンティズムのなかにのみある」というヘーゲルのテーゼが妥当性を失うわけではない。そのテーゼは国家と宗教との和解の必要性を意味しており、当時その和解の可能性を切り拓いたのがプロテスタンティズムだったからである。現代の民主国家が b

15:41 from Saezuri
両者の理性的な関係に達したのは、双方ともそれぞれに大人になったからである。分けてもヨーロッパの諸国はこのために高い授業料をはらった。カトリック教会自身も大きく変わった。とくに第二ヴァチカン公会議(1962~5年)以降の変貌には眼を見張るものがある。  c

15:47 from Saezuri
ここで、ヘーゲルが認めた宗教と国家との和解が基本的に達成され、両者の理性的な協力関係が確立されつつある。その意味でカトリック教会が宗教改革の要素を受け入れたと見るならば、「法治国家の安定がプロテスタンティズムのなかにのみある」というヘーゲルのテーゼは  d

15:54 from Saezuri
今日の民主的国家においてむしろ実現したのである。反面、最近の民族主義の激流は、宗教的対立の根深さを見せつけている。人類がこの宗教と国家の軋轢を解消するには、かってヘーゲルが嘆いたように「まだほど遠い」ものがある。ヘーゲルが「国家に対する宗教の関係」というテーマで e

15:59 from Saezuri
思索していたものは、本来の宗教に限定されない。国家に対する主観的確信、良心、心構えの関係でもあった。この点において『選挙法論文』は今日なお示唆に富んだ批評である。 f※マルクスも見抜いていたように、「民主主義とはキリスト教の原理の完成」でもある。

16:13 from Saezuri
ヘーゲルが反対した抽象的原理にもとづく国民代議制は現代世界にすっかり定着してしまった。住民台帳にもとづく地域割りの選挙区で誰もが同じ一票を行使するという制度はすでに自明のものとなった。たとえば南アフリカ共和国で黒人と白人が投じる一票が「同じ一票」であるという抽象的同一性が、g

16:18 from Saezuri
この新生国家の自由と民主主義の出発点をなしている。けれども「一票の重さ」は「一票の軽さ」でもある。熟慮の末に一票を投じたとしても、その結果は量的に集計され、丸ごとの忠誠心にすり替えられてしまう。政治家は選挙と選挙の間には、しばしば勝手なことをする。ひとたび成立した政権は選挙戦のh

16:26 from Saezuri
争点にもならなかった政策をも権力をもって執行してゆく。それに対しては、請願署名、リコール制、違憲訴訟などさまざまな抵抗手段が保障されている。しかし、それらの制度を機能させるには莫大なエネルギーを必要とし、それでも「丸ごとの忠誠心」ヘーゲルもすり替えを阻止するのは容易ではない。i

16:32 from Saezuri
票に書き入れるのは○や×であり、せいぜい政党や候補者の名前である。量的集計を可能にするために、言語的コミュニケーションはぎりぎりのところまで縮減されている。ハーバーマスはコミュニケーションのメディアが貨幣や権力という脱言語化されたコントロール・メディアにすり替えられると、j

16:36 from Saezuri
システムが生活世界から遊離し、逆に生活世界を植民地化するというテーゼを打ち出した。今日の選挙制度のなかにそれが見事に実現している。ヘーゲルが国民代議制に反対しコーポラティズムに立つ代議制を構想したのは、人倫国家の生きた絆が解体し原子論的な散文世界が生まれるのを恐れたからである。k

16:48 from Saezuri
※この国民代議制によって、今日の日本も、ものの見事に「散文世界」に成り終わっている。ただ、歴史と民族の人倫世界の、それに対する最後の防波堤としての可能性を、皇室はもつ。アメリカや、もはや「散文世界」への扉を開けてしまったドイツ、フランスなどと異なり、最後の防波堤は残されているか。

16:56 from Saezuri
職業団体や自治体などの中間団体を基盤にした身分制議会(Staende)という構想は、一見したところいかにも古色蒼然たる印象を与える。しかし、この古い革袋に詰め込まれた内容は今日ますます切実味を帯びてきている。l (S 223)

17:12 from Saezuri
中間団体は諸刃の剣である。それは近代への移行に頑強に抵抗した。イギリスの選挙制度の改革に強く抵抗したのも貴族、名望家の特権だった。今日でも何か改革しようとするとき、最大の障害となって立ちふさがるのが、特殊利害にのみ凝り固まって、より普遍的な見地に立とうとしない団体精神である。a

17:42 from Saezuri
それは団体の利益優先の名の下に成員の自由を平気で圧殺することすらある。しかし反面、中間団体は、顔の見えない大衆社会にあって、対面状況のコミュニケーションのなかで自己と他者とが相互に確証しあえる無くてはならない「場」である。b

17:49 from Saezuri
職業団体はデュルケムにとっても個人を精神的孤立状態から救い、自己本位的自殺とアノミー的自殺を防止する切り札だった。実際デュルケムの発想は、ヘーゲルのそれに非常に近い。c

17:52 from Saezuri
彼デュルケムもまたフランス革命による均質化を憂い、「選挙区を地域的区分によってではなく同業組合によって区分すること」を提案していた。ヘーゲルが論評した選挙法改正法案は紆余曲折を経て結局一八三二年七月に成立した。この時ヘーゲルはすでにこの世を去っていた。(S223 )

17:57 from Saezuri
新選挙法による初の総選挙で大勝したホイッグ党内閣は、一八三四年に、ヘーゲルも長らく救貧法の改革をやってのけた。救貧法史上に残るこの大改革によって、労働市場の創出を妨げてきたスピーナムランド法(給付金制度)が廃止された。労働者は教区の保護から切り離され、初めて自立的な  a

18:02 from Saezuri
労働力市場が形成された。生きた人間の活動が抽象的な利労働力商品として本格的に売買される時代の幕開けである。しかし、それはたんなる福祉切り捨てではなかった。新救貧法とともに中央集中型の現代福祉国家の理念が初めてスタートしたからである。中間団体の保護の外におかれた裸の個人は  b

18:08 from Saezuri
今度は国家に保護を求めることになる。新選挙法がアトム的な個人と集権国家との厳しい二極対立を志向し始めていたのと同じ関係がここにもある。また、一八三二年には、「」全国的貨幣市場の形成と単一通貨発券制度の確立」をはかるために、イングランド銀行の権限が強化された。c

18:11 from Saezuri
こうして近代の抽象化が労働、貨幣、票において完成してくる。これらはすべてイギリスでの動きであり、ドイツでこうした動きが具体化してくるには、なお時間を要する。けれどもヘーゲルは先進国イギリスの動向を新聞などで注意深く観察し、そこに時代の原理の転換を鋭く読みとっている。(S224)

18:15 from Saezuri
その意味で、一八三〇年代は現代の経済・国家システムの基本原理が確立される重要な時代の転換期だったのである。ヘーゲルはこの時代の敷居のところで、七月革命とイギリス選挙法の改正という重大事件を目撃し、まもなくその生涯を閉じた。抽象化とアトミズムの原理が一見効率よく貫徹しながらも、a

18:19 from Saezuri
同時にのっぴきならない機能マヒを露呈しつつある現在、七月革命に関わる彼の執拗な思索はとりわけ啓発的であるように思う。宗教と国家の関係というテーマのもとに展開された思索は、それだけの膨らみをもった思想なのである。(S224)

18:27 from Saezuri
※旧ソ連のおよび共産主義諸国の破綻という二十世紀末の時代転換からすでに二十年が経過し、今やギリシャの財政破綻に直面しているユーロ圏や、日本やアメリカの経済、財政破綻に見られるように、ヨーロッパやアメリカ、それに日本においても、ヘーゲル以降の近代社会から現代社会に到るまでに

 

 

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4月4日(水)のTW:#宗教、#国家、#プロテスタント、#倫理、#個人、 その2

2012年04月05日 | Myenzklo

 

2012年04月05日 | Twitter

15:27 from Saezuri
将来の革命を防止するための処方箋を示しえなかったことから来ている。ヘーゲルはただ、革命の真因を解明し、これについての無理解の横行を糺すことに自己の課題を限定せざるをえなかったのである。(S221 )W.Jaeschke「Hegels Last Year in Berlin」

15:33 from Saezuri
四  ヘーゲル宗教・国家論の射程今日の民主的な諸国家は、宗教的な寛容と政教分離の原則を確立し、国家と宗教との対立を基本的に克服したかのように見える。それはプロテスタント系の国家に限定されない。カトリックが優勢な国家においてもそうである。a

15:36 from Saezuri
それによって直ちに「法治国家の安定がプロテスタンティズムのなかにのみある」というヘーゲルのテーゼが妥当性を失うわけではない。そのテーゼは国家と宗教との和解の必要性を意味しており、当時その和解の可能性を切り拓いたのがプロテスタンティズムだったからである。現代の民主国家が b

15:41 from Saezuri
両者の理性的な関係に達したのは、双方ともそれぞれに大人になったからである。分けてもヨーロッパの諸国はこのために高い授業料をはらった。カトリック教会自身も大きく変わった。とくに第二ヴァチカン公会議(1962~5年)以降の変貌には眼を見張るものがある。  c

15:47 from Saezuri
ここで、ヘーゲルが認めた宗教と国家との和解が基本的に達成され、両者の理性的な協力関係が確立されつつある。その意味でカトリック教会が宗教改革の要素を受け入れたと見るならば、「法治国家の安定がプロテスタンティズムのなかにのみある」というヘーゲルのテーゼは  d

15:54 from Saezuri
今日の民主的国家においてむしろ実現したのである。反面、最近の民族主義の激流は、宗教的対立の根深さを見せつけている。人類がこの宗教と国家の軋轢を解消するには、かってヘーゲルが嘆いたように「まだほど遠い」ものがある。ヘーゲルが「国家に対する宗教の関係」というテーマで e

15:59 from Saezuri
思索していたものは、本来の宗教に限定されない。国家に対する主観的確信、良心、心構えの関係でもあった。この点において『選挙法論文』は今日なお示唆に富んだ批評である。 f※マルクスも見抜いていたように、「民主主義とはキリスト教の原理の完成」でもある。

16:13 from Saezuri
ヘーゲルが反対した抽象的原理にもとづく国民代議制は現代世界にすっかり定着してしまった。住民台帳にもとづく地域割りの選挙区で誰もが同じ一票を行使するという制度はすでに自明のものとなった。たとえば南アフリカ共和国で黒人と白人が投じる一票が「同じ一票」であるという抽象的同一性が、g

16:18 from Saezuri
この新生国家の自由と民主主義の出発点をなしている。けれども「一票の重さ」は「一票の軽さ」でもある。熟慮の末に一票を投じたとしても、その結果は量的に集計され、丸ごとの忠誠心にすり替えられてしまう。政治家は選挙と選挙の間には、しばしば勝手なことをする。ひとたび成立した政権は選挙戦のh

16:26 from Saezuri
争点にもならなかった政策をも権力をもって執行してゆく。それに対しては、請願署名、リコール制、違憲訴訟などさまざまな抵抗手段が保障されている。しかし、それらの制度を機能させるには莫大なエネルギーを必要とし、それでも「丸ごとの忠誠心」ヘーゲルもすり替えを阻止するのは容易ではない。i

16:32 from Saezuri
票に書き入れるのは○や×であり、せいぜい政党や候補者の名前である。量的集計を可能にするために、言語的コミュニケーションはぎりぎりのところまで縮減されている。ハーバーマスはコミュニケーションのメディアが貨幣や権力という脱言語化されたコントロール・メディアにすり替えられると、j

16:36 from Saezuri
システムが生活世界から遊離し、逆に生活世界を植民地化するというテーゼを打ち出した。今日の選挙制度のなかにそれが見事に実現している。ヘーゲルが国民代議制に反対しコーポラティズムに立つ代議制を構想したのは、人倫国家の生きた絆が解体し原子論的な散文世界が生まれるのを恐れたからである。k

16:48 from Saezuri
※この国民代議制によって、今日の日本も、ものの見事に「散文世界」に成り終わっている。ただ、歴史と民族の人倫世界の、それに対する最後の防波堤としての可能性を、皇室はもつ。アメリカや、もはや「散文世界」への扉を開けてしまったドイツ、フランスなどと異なり、最後の防波堤は残されているか。

16:56 from Saezuri
職業団体や自治体などの中間団体を基盤にした身分制議会(Staende)という構想は、一見したところいかにも古色蒼然たる印象を与える。しかし、この古い革袋に詰め込まれた内容は今日ますます切実味を帯びてきている。l (S 223)

17:12 from Saezuri
中間団体は諸刃の剣である。それは近代への移行に頑強に抵抗した。イギリスの選挙制度の改革に強く抵抗したのも貴族、名望家の特権だった。今日でも何か改革しようとするとき、最大の障害となって立ちふさがるのが、特殊利害にのみ凝り固まって、より普遍的な見地に立とうとしない団体精神である。a

17:42 from Saezuri
それは団体の利益優先の名の下に成員の自由を平気で圧殺することすらある。しかし反面、中間団体は、顔の見えない大衆社会にあって、対面状況のコミュニケーションのなかで自己と他者とが相互に確証しあえる無くてはならない「場」である。b

17:49 from Saezuri
職業団体はデュルケムにとっても個人を精神的孤立状態から救い、自己本位的自殺とアノミー的自殺を防止する切り札だった。実際デュルケムの発想は、ヘーゲルのそれに非常に近い。c

17:52 from Saezuri
彼デュルケムもまたフランス革命による均質化を憂い、「選挙区を地域的区分によってではなく同業組合によって区分すること」を提案していた。ヘーゲルが論評した選挙法改正法案は紆余曲折を経て結局一八三二年七月に成立した。この時ヘーゲルはすでにこの世を去っていた。(S223 )

17:57 from Saezuri
新選挙法による初の総選挙で大勝したホイッグ党内閣は、一八三四年に、ヘーゲルも長らく救貧法の改革をやってのけた。救貧法史上に残るこの大改革によって、労働市場の創出を妨げてきたスピーナムランド法(給付金制度)が廃止された。労働者は教区の保護から切り離され、初めて自立的な  a

18:02 from Saezuri
労働力市場が形成された。生きた人間の活動が抽象的な利労働力商品として本格的に売買される時代の幕開けである。しかし、それはたんなる福祉切り捨てではなかった。新救貧法とともに中央集中型の現代福祉国家の理念が初めてスタートしたからである。中間団体の保護の外におかれた裸の個人は  b

18:08 from Saezuri
今度は国家に保護を求めることになる。新選挙法がアトム的な個人と集権国家との厳しい二極対立を志向し始めていたのと同じ関係がここにもある。また、一八三二年には、「」全国的貨幣市場の形成と単一通貨発券制度の確立」をはかるために、イングランド銀行の権限が強化された。c

18:11 from Saezuri
こうして近代の抽象化が労働、貨幣、票において完成してくる。これらはすべてイギリスでの動きであり、ドイツでこうした動きが具体化してくるには、なお時間を要する。けれどもヘーゲルは先進国イギリスの動向を新聞などで注意深く観察し、そこに時代の原理の転換を鋭く読みとっている。(S224)

18:15 from Saezuri
その意味で、一八三〇年代は現代の経済・国家システムの基本原理が確立される重要な時代の転換期だったのである。ヘーゲルはこの時代の敷居のところで、七月革命とイギリス選挙法の改正という重大事件を目撃し、まもなくその生涯を閉じた。抽象化とアトミズムの原理が一見効率よく貫徹しながらも、a

18:19 from Saezuri
同時にのっぴきならない機能マヒを露呈しつつある現在、七月革命に関わる彼の執拗な思索はとりわけ啓発的であるように思う。宗教と国家の関係というテーマのもとに展開された思索は、それだけの膨らみをもった思想なのである。(S224)

18:27 from Saezuri
※旧ソ連のおよび共産主義諸国の破綻という二十世紀末の時代転換からすでに二十年が経過し、今やギリシャの財政破綻に直面しているユーロ圏や、日本やアメリカの経済、財政破綻に見られるように、ヨーロッパやアメリカ、それに日本においても、ヘーゲル以降の近代社会から現代社会に到るまでに

 

 

 

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4月4日(水)のTW:#国家、#宗教、#法、#神、#人倫、#国憲、#良心 その1

2012年04月05日 | Myenzklo

 

2012年04月05日 | Twitter
 
「選挙法論文」を書き上げたあと、ヘーゲルは人生最後の夏学期を迎えた。四回目の「宗教哲学」が開講された。ヘーゲルは第一部の最後に、「国家に対する宗教の関係」という過去三回の講義にはなかったしょうを新たに立ててまで、、なおも七月の革命の衝撃理論的に応えようとしている。(S218)

11:04 from Saezuri
それは革命勃発からちょうど一年が経過した頃のことだった。しかも、ここでは、国家と宗教との関係の歴史的な詳述は、「世界史の哲学」の課題だとして、いっそう原理的な考察に集中している。ここに宗教・国家論の文字通り最終的到達点を見ることができる。(S218)

11:37 from Saezuri
まず、宗教と国家とが、①外面的に同一の関係(家父長的関係・ユダヤの神権政治)から出発し、②分離・対立の関係を経て、③再び真に同一になる、という歴史的展望が示される。 (ibid s218)※ここで示されているのは、もちろん正反合の論理だが、その意義が再検証されなければならない。

11:43 from Saezuri
ヘーゲルの時代はまさに②から③への移行に苦悶している段階にあたる。この歴史的な展望の上に立って、宗教と国家の関係のいくつかのパターンが考察される。ここで注目すべきことは、ロマン系のカトリック諸国(フランス、イタリア、イスパニア)対プロテスタントの諸国(ドイツ・オーストリア・ a

11:49 from Saezuri
イギリス)という「世界史の哲学」が示した対立図式が崩れかかかっていることである。「プロテスタントのイギリス」でも、ピューリタン革命という、フランスと類似の事態が生じ「チャールズ一世の首」が落とされたことが想起されている。「選挙法論文」の直後だけに、「宗教哲学」ではイギリスへの b

11:53 from Saezuri
関心が高まっている。前学期の「世界史の哲学」では、フランスとドイツとの対比を中心軸にして展開された。イギリスも新教国としてドイツ系のグループに分類され、統治の「安定はプロテスタント教のなかにのみある」とされていた。  c

11:57 from Saezuri
ところが選挙法改正の動きは新教国イギリスも革命の危機と無縁ではないことを教えた。それどころか、イギリスの上からの宗教改革の不十分さを下からの徹底改革で克服しようとしたピューリタニズムはすでに恐るべき威力を発揮した。たしかに、以前の対立図式はなおも維持されている。だが論述は  d

12:02 from Saezuri
明らかに変化してきている。――「プロテスタントの諸国においては、宗教と国家とのあのような統一が現存する」。「法律や権威や国憲は神に由来するもの」として尊重されている。しかしながら、『ローマ信徒への手紙』が言うように  e

12:26 from Saezuri
「法律と政治的権威(Obrigkeit)」に従うことによって神に服従する」ということが「形式的」「抽象的」なままに放置され、具体的の展開されない時には、プロテスタント国家といえども、「恣意、圧制、抑圧」の危機に見舞われる。イギリスのピューリタン革命がそうだ。f

12:34 from Saezuri
まず、「神の直接的な啓示」を受け「神に対してのみ責任を負う」とする王(ジェームズ一世の王権神授説)が現れた。しかし、この直接的な抽象「原理はその反対へと転倒する。プロテスタントにとって司祭と平信徒の区別がなくなったのであるから、神の啓示を独占する特権」もまた否定される。こうしてg

12:40 from Saezuri
「いかに統治されなければならないかを啓示によって示唆されていると主張するプロテスタントの一セクト」つまりクロムウェル率いる独立派が立ち上がりh

12:41 from Saezuri
「ついに王(チャールズ一世)の首を刎ねてしまった」。それゆえ、「法律は神の意志によってあるという[プロテスタンティズムの原理]が、一般的に確立されてはいても、この神の意志を認識」し深めることこそが極めて重要なのだ。    i (S219)

12:47 from Saezuri
ここでは、君主の正統性を神の恩寵から直接導き出す不法性とならんで、ピューリタンの直接的な確信から発するファナティズムが批判されている。いずれの直接性も〈法の理性的な体系以上に高いものはない〉という媒介的な確信へと乗り越えなければならない。a

12:50 from Saezuri
そこにこそ「宗教が国家の真実の基礎をなす」というプロテスタンティズムの原理の真の意味がある、と強調されている。この立場から、心構えと実定法との関係のあり方について、次の二つのタイプが区別される。     b

12:54 from Saezuri
α  プラトンの共和国のような、心構えを中心とした古代的システムβ  宗教は私事であって、国家は宗教に干渉せず、宗教も国憲に干渉すべきではないという近代的なシステム。α のように「心構だけというのも一面的で」国家は立ちゆかない。 βのように「万事が実定法によって    c

13:00 from Saezuri
処理され」「心構え、宗教、良心はどうでもよいものとして脇へのけられる」のも同じく一面的である。この一面性の両極を右から左へと激しく揺れ動いたのが七月革命だったとヘーゲルは見る。(S220 )※このあたりの考察は現代の問題にも関わってくる。今日の日本国憲法では、一応は政教分離がa

13:06 from Saezuri
最高裁判例などによっても具体化されているが、裁判官がこの「政教分離」の思想を歴史的にもきちんと理解ていないことや、また、ここでヘーゲルが問題にしているように、その表面的な理解では真実に問題は解決されないこと、ヘーゲルの時代から現代に到るまで積み残されたままであること、 b

13:15 from Saezuri
わが国においては、靖国神社問題や創価学会と公明党との関連とか、また一昔前に問題を起こした「オーム真理教」や「エホバの証人」などその他の宗教と、国家の関連において問題は残されたままだ。信者もまた国家の構成員である以上、悟性的に宗教と国家の関係を分離させることなどできないのである。

14:33 from Saezuri
「王権神授説」という立場は、国家一般を無権利なもの(Ein Rechtloses)と見なし、法と人倫という現実に敵対的にふるまいました。つまり、最近の革命(七月革命)は国憲の諸原理に矛盾した宗教的良心の帰結でした。(S220)

14:37 from Saezuri
しかも今やその国憲にしたがって、どのような宗教を信じるかは問題ではないこの軋轢が解消されるに日はまだ遠い先のことです。国民にとって、法と人倫というこの(具体的に)規定されたものは、その最後の確証を現存する宗教の形式においてのみもつものです。そして、現存する宗教が自由の諸原理にa

14:43 from Saezuri
結びついていない時には、いつも分裂と解決されない不和が存在します。即ち国家においてはまさに起きてはならない敵対的関係があるのです。ロベスピエール治下のフランスでは恐怖が支配しました。しかもその恐怖は自由の立場(心構え)を持っていなかった人々に向けられました。彼らは立場(心構え)b

14:49 from Saezuri
のゆえに嫌疑をかけられたからです。七月革命でもシャルル10世の内閣も嫌疑をかけられました。c※この筆者のいう「心構え」の真意が今ひとつ不明である。おそらく「Einstellung」の訳語だと思うけれど、「立場」とか「見地」「態度」などに訳したほうがよいと思う。

14:53 from Saezuri
憲法の形式によれば、君主はいかなる責任からも免れていたはずです。しかし、この形式はもちこたえませんでした。王家は玉座から突き落とされました。そこで明らかになったことは、形式的に完成された憲政においても最後の頼みの綱はやはり心構えであるということです。この心構えは国憲のなかでd

15:15 from Saezuri
脇へ押しのけられましたが、今や一切の形式を蔑視して台頭してきています。こうした矛盾が存在し、しかもそれについての無自覚が支配的です。※私たちの国憲では、主観的確信の、良心の自由は認められている。これに私たちの時代は今悩んでいるのです。これが七月革命の衝撃を受け止めたヘーゲルのe

15:20 from Saezuri
最期の言葉であった。主観的確信が国憲を振り回すことはもとより、国家と宗教的な良心(主観的確信)が没交渉という政教分離原則でも不十分であること。両者の深い一致は未解決の課題であることが強調されている。そこには諦念の響きすら感じられる。それは革命の根本原因は突き止めたが、f

 

 

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