第二章『イギリス選挙法改正案』
刻々変転してゆく現実の事態に関する政論であるから、執筆の期間を正確に決めておくことがそれを正当に評価するためにも、評価するためにも必要なことである。・・・この論文に直接の材料を提供したのは、右の官職に記載されている外国通信であるが、
その内時期的に比較的新しいのは、3月28日にウェリントンが議会で行なった演説である。・・以上の事実によって主要部分が書かれたのは、4月7日から14日であることになる。・・ヘーゲルがこの政論を書かざるを得なかった原因としては、(1)ヴェルテンベルグ人たる彼が若い頃から
イギリスの政治に多大の関心を抱いていたこと。(2)イギリスの選挙法改正案の直接の動因はフランスにおける1930年の所謂「7月革命」であったが、これはそれ自身一大転換期であって、彼自身もその重要性を認めていたこと。(3)法案の問題が政論二以降彼の苦慮を要した選挙法であり、
かつ議会の論議が団体主義か個人主義かという彼の関心をそそらざるを得ぬような経過をとったことである。ヘーゲルは当時のドイツにおける知英派の一人であるが、この事が彼の郷国ヴェルテンベルグの憲法にはイギリスのそれに似たものがあり、18世紀の90年代にフォックスが有名な賛辞を呈してから
チュンビンゲン契約をマグナカルタのなぞらえるのが郷国の人々のお題目になていたこと。チュンビンゲン大学の先輩で影響を及ぼしたピュターやシュピトラーはゲッチンゲン学派に属するが、ゲッチンゲン大学はハノバー選挙候国の大学であり、そのハノバアー選挙候は1714年以降ha同時に
イングランド王でもあったために、ゲッチンゲン学派には知英派の多かったことはすでに叙べたごとくである。また政論1の註解がすでに当面の政論のイギリス観の基本的な方向を示していたこと、政論二もヴェルテンベルグ地方議会をしばしばフランスの議会及びイギリスになぞらえて論じ、かつ前者より
後者を重んじ、ことに選挙法については「フランス的抽象」を斥けたこともベルリンに移ってからも、イギリスの新聞や雑誌などからの丹念な抜粋を残しており、これが当面の政論に対してはその予稿と同じ意義をもっている。ベルリン時代著作集:『イギリスの国家的法的生活について』
重要であるにもかかわらず、右に名をあげなかったのは、『ドイツ憲法論』とすでにベルリン時代に属する『法哲学』とである。確かに「ドイツ憲法論」では、イギリスについて言及されることは、むしろ希れであって、時折の言及も積極的なものではない。しかし、そこで国家にとって必要欠くべからざる
ものとそうでないものとが区別せられるとき、後者は国家にとって偶然的なものではあっても、民衆の「社会的結合」にとっては必要欠くべからざるものであり、これに関してはできるだけ自由主義が取られるべきであったが、この「社会的結合」が「法哲学」における市民社会に当たるものであり、
これについてはフランクフルト時代に丹念に研究したスチュアートの『国民経済学』の活かされていることすでに言ったごとくである。だからドイツ憲法論でも「社会的結合」に関してはイギリス観が働いているのである。ソシテ、イエナに移ってからは、さらにスミスの経済学を研究し、これが「人倫の体系」
や当時の「精神哲学講義」に現われている。かくして漸次精緻となっていったイギリス観が「」法哲学で市民社会の直観的規定をなすものである。(ibid s 327 )
ポリzは意この市民社会は「欲望の体系」をもって基底とするものでありするものであり、したがって基本的には経済社会である。第二段階は司法であり、第三段階はポリツァイと職業団体であるが、このポリツァイも先にも言ったごとくはなはだ包括的なる意味におけるものであって、日常必要品の品質の保証
その公価決定、道路や運河の開発、教育などを含むものであり、さらには資本の集中と大衆の貧窮化から来る救貧問題を担当し、そのためには一方では世界的通商と海外植民とを、他方では社会のギルド的再編成を行なうものである。『法哲学』はむろん正式には「イデーの自己展開」の立場よりされるものに
相違ないけれども、しかし、実際にはイギリス国家のイメージを活用したものであることは、例えば世界通商とか海外植民とかという当時のドイツには未だ見られない政策(ポリツアイ)によって疑うべくもない。だからイギリス国家はヘーゲルにとっては市民社会なのである。(ibid s 328 )
ところで『法哲学』は市民社会に外的国家とか必要国家とか悟性国家とかいう消極的規定を与え、はては人倫の喪失態と罵倒している。ここに政治国家が優位に立つ所以がある。しかし、市民社会の司法や独特の意味におけるポリツアイのことを考えると、国民生活の実質はほとんど市民社会に属しているから
むしろ市民社会こそ実質国家であって、政治国家はただ形式国家たるの観が深いことになる。のみならず、『ドイツ憲法論』における国家にとって必要欠くべからざるものと社会的結合のために必要欠くべからざるものとは権力と自由との関係にあり、そうしてこの関係は、所謂、弁証法的関係であるがゆえに
権力にたいする自由、普遍性の原理に対する特殊性の原理の高調せられるときには、市民社会は政治国家の枠を破って、むしろそれを自己のうちに包含し、首位に立つの観梨ともしない。むろん自由に対して権力、特殊性の原理に対して普遍性の原理も高調せられるのであるから、この点からすると、
ふたたび政治国家が市民社会を抑えて優位に立つことになるのは事実である。政治国家と市民社会とのこのような微妙な関係が同時に当面の政論における、ヘーゲルのイギリスに対する態度でもあって、ここで彼は一面で殆どイギリスを賛美するかに見えながら、すなわち具体的に言えば例えば
ウェリントンと同意見であるかに見えながら、やはりイギリスを非難し、フランスにおけると同じく当時のドイツにもあった「イギリス心酔」(アングロマニア)を抑え、王権の無力や「実質的自由」の組織的実現の欠如などを非難しようとするのである。そうしてイギリスに対する、このような微妙な態度は、
イギリスに選挙改正を惹起した直接の動因であるところの」フランスの七月革命と彼との関係に通ずるものをもっている。(ibid s 329 )