歳月人を俟たず、早いもので今年もクリスマス。メリー・クリスマス。何はともあれ皆様も楽しく今宵を。
主の祈り
天におられる私たちの父よ、
御名の聖められますように。御国の来ますように。
御心の天におけるように地にも行われますように。
私たちに必要な糧を今日もお与えください。
私たちに咎ある人を私たちが赦すように、
私たちの罪を赦してください。
私たちを試みに遭わせず、悪よりお救いください。
まことに、御国と力強い御業と輝かしい栄光は、
永遠にあなたのものです。
歳月人を俟たず、早いもので今年もクリスマス。メリー・クリスマス。何はともあれ皆様も楽しく今宵を。
主の祈り
天におられる私たちの父よ、
御名の聖められますように。御国の来ますように。
御心の天におけるように地にも行われますように。
私たちに必要な糧を今日もお与えください。
私たちに咎ある人を私たちが赦すように、
私たちの罪を赦してください。
私たちを試みに遭わせず、悪よりお救いください。
まことに、御国と力強い御業と輝かしい栄光は、
永遠にあなたのものです。
第三点であるが、これを認識させるものとしては、ヘーゲルの書いたもののうち、ひとり政論あるのみなのである。(s 361)※解説者の金子武蔵氏はいうが、これはあまりにも早とちりの断言だろう。今手許に無く確かめようがないが、小論理学のどこかでヘーゲル自身が、c
真理を目的とする「論理学」はもっとも「役に立つものでもある」と述べていた個所があったと思う。理性は功利主義と両立することに確信を持っていた。もちろん、ヘーゲルにとっては真理が唯一であって、「功利」は付録であり、非本質的な論理的帰結に過ぎない。絶対的な目的はあくまでも真理である。c
国家にとっては必ずしも必要ではない社会的な結合とは、『法哲学』における市民社会のことであり、これには自治が許されるが、これと政治国家との媒介機関を担うものが議会である。郷国がヴェルテンベルグであった関係上、さらにはイギリスに深い関心を抱いていたために、議会制度が近代国家にとってa
不可欠のものであることを、ヘーゲルは十二分に認識していた。しかしそれだけに選挙法が彼を苦しめる問題になり、これは政論四において一応の解決に到達することになる。これによると年齢や税額によって選挙資格を決めるフランス的方法は地方団体や職業団体の役員選挙の場合に用い、これに対して国会の
場合には、被選挙権をも、選挙権をも、これら団体の役員に与うべしというのであるが、ヘーゲルの推奨するこの団体主義にも、地方団体と職業団体との関係をどうするか、それぞれの団体にどれだけの議席を与うべきかなど様々な問題があるだろうが、この点については十分な反省を欠いている。(s361)
ただ彼が議会に託した使命のうちで注意すべきは、それをもって平和的な漸進的な改革の場としているということである。政論の四は、民会側で作成した憲法草案には、この草案によって変更されていない公国の法律はすべて効力を保有する旨の但し書きが付加せられているのに関連して、この但し書きをもって
他愛もない気休めと評し、世界精神がすべての現行憲法に附するところの真実の但し書きは、およそいかなる憲法といえども絶対に確乎不動のものではなくして、議会によって持続的に平和裡に形成し直されて行くべきものであるということに存するとしている。(一七一頁)。ここにヘーゲルが決して
絶対主義者ではなく、議会の討論によって漸進的改革を行なわんとするものであり、そうすることによって実質的自由を次第に実現して行くことをもって常道とするものであったことがよく示されている。政論の五のとる態度もこの立場から解されるべきものである。フランスでは特権の盾となるような
ポジティーフなものが久しきにわたって放任されたため革命が勃発したが、イギリスにも同様なポジティーフなものが多くあるから、革命の混乱に陥らぬようにするために、選挙法のみならずその他の問題に関しても速やかに議会によって改革を開始すべきであるというのが彼の要求しているところなのである。
政論は人間の自由を、実質的自由を実現せんとするものであるが、しかし、実現は道義心によるというよりか、むしろ適切なる制度の設定によっている。だから個別的なるもの、個人的なるものを、むろん問題にしないわけではないにしても、その取上げ方はあくまでも普遍的なものの立場からなされている。
政論は実質的自由を普遍的利益として、公共的善として実現せんとするものであるといえる。だからアリストテレスのいわゆる""すなわち「大概の場合は」という立場がとられているのであって、自ずと個人の個別的な問題は残ることになるのだが、この問題の解決は宗教に譲られていると見るべきだろう。
チュビンゲン時代の『民族宗教』という手記では、宗教は政治――正確には、さらに歴史と芸術――と共に民族精神の契機をなし、両者は相互に含み含まれる密接な連関にあった。しかるに政論三以来両者は分離せられたが、これは近代国家の一つの基本指針に従ったことであると共に、
またヘーゲル自身も所属していた新教がただ個人的利害しか顧慮しない町人根性がおのれを「正当化」(上巻117頁)し絶対的承認を得んとするところに生じたものとして、根源的な「ドイツ的自由」と結託して国家的統一を破壊し、その後、統一は「外的な法的な紐帯」(上巻125頁)に求めるほか
なくなったことによっている。しかし、それだけに「外的な法的な紐帯」だけでは、自由に関しても益々個人の個別的な問題が残ることになるが、この問題の解決は人倫的なる心情と行為とを支える宗教に求められていると見るべきであろう。(ibid s 363 )
ヘーゲルの政論は、人間の自由を、実質的自由を実現せんとするものであって、ここに西欧的近代的性格がある。しかし、実現を適切な制度の設定に求めるところから、一方において το ως επί το πολύ の観点から、個々人の個別的なる問題をなおざりに附さざるをえない。
他方ではヘーゲルの目ざす自由をしてあくまでも社会(広義)における自由であるにとどまらせており、この点でもフランス革命の影響は決定的である。しかし、現実的自由には社会における自由のほかに、自然における、自然に対する自由があるが、しかし、この意味における自由を主題として
取上げられることは、ヘーゲルには、社会における自由を求める立場のしからしめることとして、殆ど見られない。これは、イデーの外化として自然を安易に定立する『エンチュクロペディー』の自然哲学がとる態度に応じるものである。自然に対する自由と正面から取組むところのないところに
産業革命のもつ意義に対して彼が盲目であったゆえんがあり、また彼のイギリス観の適切でない究極的原因もまたここに存するのである。(ibid s 364 )
※ το ως επί το πολύ ト-ホース-エピ-ト-ポリュ 「大概の場合は」「かなりの程度まで」
国家組織の中心点は君主と国会である。国会をもって国家に不可欠のものとすることの近代性は自明であるが、君主については注意が必要である。すでに政論三においても、ヘーゲルが君主制に傾いているのは事実であるが、しかし、主権者を世襲君主に限ったわけではない。
(s 359 )
なぜなら、主権者の存在そのものは国家にとって不可欠ではあっても、主権者が単数であるか複数であるか、誕生によってその位置に就くか選挙によるかも国家にとって必要欠くべからざるものではなく、むしろ道でもよい区別であるとされており(上巻66頁)、
したがって共和制(上巻159頁)も肯定せられているからである。だから彼が世襲君主制に傾いたのは、ドイツの具体的事情による偶然であって、国家理論そのものからすれば必然ではないのである。(ibid s 359 )
※この個所の金子武蔵氏の注釈は、重要だろう。
世襲君主制と共和制については、悟性的にではなく理性的に判断されるときには、特定の国においては、「必然的に」規定されるのではないだろうか。つまり、我が国のような「個別具体的な特殊な国家」においては「必然的に」世襲君主制が帰結されるのではないだろうか。少なくともヘーゲルの「法の哲学」
においては、近代国家においては「立憲君主主義国家体制」の必然性については「論証」されているのではあるまいか。このヘーゲルの「政論」と「法の哲学」の関係についても、今一度検討される必要はある。金子氏自身はどこまで「法の哲学」を研究された上での発言であるのか、それはわからない。
私の今後の研究課題も、ヘーゲルの「法の哲学」の検証とその止揚を目的とした現代国家形態の概念についての証明が中心的な課題であることは予想されることである。
とにかく権力がある。これによって安全のために必要な限りの兵力と財力とが調達せられ、またこれに必要な法律と組織とへの服従が要求せられるのだから、強制のあるのはもちろんである。のみならず「国家」外の「社会的結合」への干渉もある。例えばかっての帝国都市(上巻187頁)に見られるごときa
なはだしいオリガーキーの跋扈するとき、また例えば工業が農業を不当に圧迫し農民が極端な貧窮に陥るというような場合(74頁)がそうである。しかし、対外的対内的に安全が保たれ、また特権や専横が打破せられることによってかえって自由が――ただし実質的自由―がある。だから政論三は b
「確乎たる統治は自由のために必要である。」(上巻185頁)とも、「代議団体なくしては、いかなる自由ももはや考えられない。」(同上)ともいっている。かくて権力による強制があり干渉があっても、これはむしろ自由のためのものであるが、これが注意すべき第二の点なのである。360
本来の国家目的にとって絶対に必要であるもの以外の職務――地方団体や職業団体の職務――はできるだけ国民の自由と自治とに委ねるべきであるのは、むろん基本的には、すでにいったごとく自由がそれ自体において神聖だからである。しかし、ヘーゲルはまた利益もあげている。利益としては、自治に、a
名誉職に委ねるときには運営費や人件費を支払わなくともよいこと、公務に従事することによって国民の知的道徳水準が向上すること、信頼されているところから国民の自敬の念が養成せられ、一朝ことあることには自発的献身を期待しうること、また国民が幸福と繁栄とを享受しうること(上巻75-78頁)
をあげている。しかし、かかる利益が「全能不敗の精神」(上巻78頁)を生むというに至っては、利益という相対的理由もいつしか「自由がそれ自体において神聖である。」という絶対的理由と重なり合い、両者間にはほとんど区別がなくなっている。このことは、ヘーゲルの「理性」なるものが a
経験主義や実証主義と相容れぬものでないのと同じく、功利主義との関係もまた同様であることを示しており、英訳の解説者Z.A.Pelcznski がベンタムとの類似を指摘するのも必ずしも理由なしともしない。かく「理性」の立場が利益の立場とも相容れぬものでないことに注意を促したく思うb
主権者と国会という合法的なる権力の中心点を承認し、このもとに服属して「国民の自由」に転換しなくてはならないけれども、この時にそれは多様性という外国には見られぬドイツ国家の特徴をもたらすべきものなのである。(s 356 )
おのれのもとにあることであるには相違ないとしても、他のもとにあることに媒介せられて初めて真実の自由であり実質的な実在的な自由である。政論の実現せんとするのがこの自由であることはいうまでもない。しかし、それはかかる自由を正義心とか協同性というごとき倫理的な心情や行為によって a
実現せんというよりか、むしろ現実的な自由をまさに現実に可能ならしめるような制度の設定によってなさんとするものである。政論の目ざす自由は、心情や観念の上にとどまるものではなく、現実に効果をもたらすところのeffective freedom(ジョン・デューイ)なのである。b
しかるに国家における制度の根本的なるものは憲法であるから、いずれの政論も憲法批判を行なうのである。
批判は理性の立場からなされる。けだし実質的自由を得させるものは理性だからである。政論の四が「理性の権利にしたがって承認せられるもの以外のいかなるものも憲法においては有効なものとして
承認せられてはならない。」といっているのは、このことを示している。しかし、この理性はまさに理性であって悟性ではない。悟性がいかなる時代にも通じる原理・原則を立てるもの、またこれに終始して展開することのできないものであるのに対して、理性とは史的段階に即した原則を立てるのみならず、
さらにそれぞれの具体的状況にしたがって、それを展開し組織することのできるものである。ここに「史的段階」とは、フランス革命によって開始せられた時代――歴史哲学講義におけるクリスト教的――ゲルマン的時代に属する――であり、原則とは人権宣言において表明せられているようなものであるが、
このことは政論の四が基本的には賛成しているところのフリードリッヒ王の憲法原案のいかなるものであったかを想起するならば、疑うべくもない。しかし原則が一定の史的段階に属するものであるとしても、理性はこれに終始するものではなく、さらに具体的状況に即してそれを展開し
組織づけうるものであるが、このような理性の立場から政論は憲法批判を行なわんとするのである。 (ibid s 357 )※この個所からも、現行日本国憲法に対する根本的な批判を展開する場合の、必要な立場を再確認してゆく上でも有効であるだろう。現行日本国憲法がいかにして現実の
国家に歪みをもたらし、その不全を来しているかを論証する義務がある。現行の日本国憲法の軍備放棄条項にしても、私が少なくとも大学教授以上の批判的能力を形成することなくしては、すべては、犬の遠吠えになることを自覚しておく必要があるだろう。どのように徹底的に研究を組織立て、
体系づけてゆくか、その批判的な研究が本当に価値のあるものでありさえすれば、最終的には出版の道も開かれよう。いずれにしても、批判的な研究の水準を最高のものとしてゆかなければならない。
実質的自由を実現するために必要な、このような理性の立場から政論は憲法批判を行なわんとするものであるが、かかる立場から見れば数多くの古法がある。古法も、それが発足し、ないし制定せられた当時にあっては、それなりの「条件」なり「基底」なりをもっていたが、時代がもはや変わっている以上、
形式の上では確かに法であり、この限り肯定されるべきポジティーフなものであるに相違ないとしても、時勢が移り、それを乗り越えて進んでいる生きた現実から見れば、もはや国家をして国家たらしめず、それの目的であるところの実質的自由を抑圧するものとして、却って否定されるべきたるにすぎぬ。
いずれの政論も、このようなポジティーフなものを批判している。而して、ポジティーフなものが理性の立場からすれば法として存続し得ぬにもかかわらず、依然として法の効力を持つのは、それが一部のものの特権だからである。だから、いずれの政論も特権の批判であり、
特権打破の雄叫びをあげるものである。政論の一つはベルン共和制のじつはグラン・コンセイユを中心とする貴族制に過ぎぬことを、政論の二はベルテンベルグ公国の人権を無視した絶対君主制と民会幹部や都市当局の特権とを、政論の三は「ドイツ憲法」なるものが当代から見れば、
ドイツの国家でないのを宣言したものであることを、とりわけウェストファリアの和約は「国民の自由」ならぬ「議員の自由」に固執してドイツの没国家性(上巻153頁)を組織したものであることを、政論の四は旧民会幹部のブルジョワ貴族政治を、また書記の貴族政治を、政論の五は議会を支配する
地主貴族(ランロード)及びこれと結託せる国教会の特権を、それぞれ解明し批判せんとしたものである。この際解明の仕方は決して思弁的なものではなく、むしろ実証的経験的であって、ヘーゲルの「理性」が経験主義とも十分に調和しうべきものであることを示している。(ibid s 358 )
ヘーゲルの実玄実現せんとするのは、実質的自由であるが、しかし、彼は道義心に訴えるにと止まるのではなく、むしろしかるべき制度の設定に、したがってまた憲法の改正によってそれを実現せんとするのである。ところで改正には民意に訴えるだけではなく、国家権力が必要である。
権力の必要は政論三に至って初めて自覚せられたが、このさい我々は次の三つのことに注意するべきである。政論三は国家にとって絶対に必要なものと民衆の「社会的結合」(上巻七九頁)にとっては不可欠であっても国家にとっては必ずしも必要でないものとを峻別し、権力的に統一づけることは、
これを厳重に前者のみにかぎり、後者はこれをできるだけ民衆の自由と自治とに委ねるべきであるとしている。国家の目的は対外的対内的な安全を期することであり、したがって国家はこの目的のための兵力と財力とを備えることを、またこれらを調達するために必要な法律を国会との協同において
制定することを、調達し制定するための政府組織を持つことを必要とするものであるが、国家活動は厳重にこの範囲に留められるべきだというのがヘーゲルの意見である。だから彼は国家的統制を国民生活の隅々まで及ぼすべきだという、いわゆるetatismeを主張せんとするものではない。359
自由がおのれのもとにあることには、依然として変わりがない。だから一見すると罵倒されるかのような観を呈する「ドイツ的自由」に対しても、実は無限の愛着をが抱かれている。確かにそれは生活と行動において自分の足だけで立たんとし、独立不羈で他との共同を拒否するものであるが、およそ人間は a
他との共同を拒否するものであるが、およそ人間は他との共同においてのみ存在しうるのであるから、無秩序を来たし、自分で自分を破壊する。だから形式の自由はあっても、実質的には自由ではない。形式的自由の一つであるかかる「ドイツ的自由」をヘーゲルが非難するのは言うまでもない。 c
それはゲルマン戦士の自由として、封臣の自由として、帝国議員の自由として、ドイツ民族をして近代国家を形成することを得させなかった宿命的なものである。しかし、そうかといってドイツ的自由がただ否定せられ抹殺せられるにとどまるべきものではなく、それはむしろ「止揚」せられるべきである。c
しかるに私が私自身のもとにあるときには、私は自由である。かく自由とはおのれ自身のもとにあることである。これに相違ないとしても、これがこのままに留まる場合には、いわゆる「わがまま」であり、「形式的自由」であって「実質的自由」ではない。実質的自由はいわゆる「疎外」を、あるいは「外化」
を含み、これに媒介されたものであり、したがって他のもとにありつつ、あるいは他のもとにあることを通じて自己のもとにあることなのである。(s 355 )
アリストテレスは「他のためではなく自分自身のためにあるところの人間が自由である。」(形而上学)といったが、これは人間をして自己自身たらしめるものが自由であるからである。ポリスの法制もまたこの自由に基づくことを意味している。すなわちポリスにおいて国民は討議、立法、司法、行政に参加 a
しうることになっているが、このような法制の形作られたのも、そもそも人間をして人間たらしめるのは自由にあるからである。ヘーゲルの場合も、国家にとって不可欠でないものについては、政府は国民の自治を認めるべきであると説くに対して、彼はそうする方が利益になるかならぬかは別としても、b
「自由はそれ自体において神聖である」ことを理由にしているからである。ただ時勢という点ではヘーゲルはポリスの法制をそのまま肯定しようとするのではなく、フランス革命当時の「人権宣言」の線にそうた法制を採用せんとするものである。とにかく政治の目的をもって人間の自由の実現にありとする c
ことによって、彼の政論は西欧的な、また近代的な性格のものとなっている。ヘーゲルは「歴史哲学講義」において、自由をもって「己自身のもとにあること」としている。「私が依存的である場合には、私は私でない他のものに関係しており、外的なものなしには、私は存在することができない。d