19:54 from Saezuri
概念の骨組みで世界を認識するということはどういうことか。たとえば、市民社会、国家、家族といった概念で私たちは世界を、対象を認識するが、もし、このような「概念」を持ちえないとすれば、どのようにして対象を認識するのか。こうした概念と客観的な対象との、客観的な実在との関係が問題である。
20:21 from Saezuri
個人の権利は彼らがその主体的な使命に向かって自由に目指すことにあるが、この自由は彼らが倫理的な現実に所属することによって満たされる。なぜなら、個人の自由の確信はかかる客体の中にその真理を持ち、倫理のなかに自己の本質と内的な普遍性を現実に持つからである。(法の哲学§153)
20:29 from Saezuri
良き国家の市民となることによって、はじめて個人は自己のRecht〔正義(権利)〕に到達する。(ibid §153補注 )
by myenzyklo on Twitter
概念の骨組みで世界を認識するということはどういうことか。たとえば、市民社会、国家、家族といった概念で私たちは世界を、対象を認識するが、もし、このような「概念」を持ちえないとすれば、どのようにして対象を認識するのか。こうした概念と客観的な対象との、客観的な実在との関係が問題である。
20:21 from Saezuri
個人の権利は彼らがその主体的な使命に向かって自由に目指すことにあるが、この自由は彼らが倫理的な現実に所属することによって満たされる。なぜなら、個人の自由の確信はかかる客体の中にその真理を持ち、倫理のなかに自己の本質と内的な普遍性を現実に持つからである。(法の哲学§153)
20:29 from Saezuri
良き国家の市民となることによって、はじめて個人は自己のRecht〔正義(権利)〕に到達する。(ibid §153補注 )
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