海と空

天は高く、海は深し

6月29日(土)のTW:「自由財産の原理」

2013年06月30日 | Myenzklo

その耕地の点で互いに密接な関係を持つようになった人々は手を結んで一種の団結、すなわち、連合または同盟を結成した。b(ibid s 230 )第二次世界大戦の終結。ナチスドイツの滅亡と大日本帝国の敗北。ソ連邦の崩壊と冷戦の終決。社会主義政権倒壊の根本要因。中華人民共和国の台頭。


彼らは団結して、前にはただ領主のために果たしていたに過ぎなかったものを自分のものとし、また自分でやることにした。その最初の共同事業は鐘を吊した塔を建てることであった。鐘が鳴ると皆は集らなければならない。こうした団結の目的は一種の民兵を作ることにあった。それに続いて、c


参議員、陪審員、市会議員などからなる自治体が設けられた。また、共同金庫の設置、租税、関税などの徴収も行われた。また共同の防衛手段として堀や城壁が造られた。しかし個人が自分のために特別な防塞を作ることは禁じられた。このような自治体は商工業の方が向いていて農業とは異なっていた。d


そうしてやがて商工業者は農民よりも優越する地位を占めるようになった。それは農民たちが強制的に労働をやらされたのに対して、商工業者らは自分自身から活動し、自分自身から進んで努力するものであり、自分の労働の結果に自分の利害が掛かっていたからである。c


それまでは商工業者らも、その生産品を売って利益を得ようとする場合には領主の許可を得なければならなかったが、彼らはこの市場の自由を得たことの代償として、領主に一定額を納入しなければならなかった。また領主はその他に彼ら商工業者らの収益の一部を徴収した。d(ibid s231 )


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6月27日(木)のTW:「都市の勃興」

2013年06月28日 | Myenzklo

イタリア、イスパニア、フランドルの沿海都市では活発な海上交通が営まれ、その関係からそれらの地に商工業が盛んに勃興した。学問もだんだんに復興し始めた。スコラ哲学が盛んになり、ボロニアその他の地に法律学校が設けられ、医学校も建てられた。これらすべてのものの創設の基礎となり、a


その主たる条件になっているものは都市の勃興とその意義の増大である。これらは最近になって史学に特愛のテーマとなっている。この都市の勃興には当時の切実な要求があった。すなわち、多くの都市は教会と同じく、封建制度による圧迫に対する反動として、はじめて合法的に組織された権力として b


立ち現われたのである。権力者たちが他の者らをして権力者たちの下に保護を求めざるをえないように立ち至らしめた事情については先に述べておいた。こうした保護の中心になったものが城郭(都市Burg)であり、教会であり、修道院であった。保護を求める人々はこれらを中心にして集まり、c


彼らもいまや市民(Brüger)となって、城主または修道院に対して庇護民の関係に立つことになった。こうして各所に固い団結が生まれた。イタリア、南フランス、ライン河沿岸のドイツにはローマ時代の昔からすでに多くの都市や城塞(Kastell)が建設されていた。それらははじめの間こそ d


自治権を持っていたが、後になって代官の下に置かれてそれを失った。要するに、都市の住民も地方民と同じく隷民と化した。(ibid s 230 )
c、自由財産の原理――帝国都市、自由都市の発達:
この保護関係の中から、今や自由財産の原理が生まれてきた。a


言い換えれば、この不自由の中から自由が生まれたのである。門閥(Dynasten)または門閥領主(adelige Herren)も本当は自由な所有というものは持たなかった。彼らはその臣下に対してはあらゆる権力を持ってはいたが、しかし彼らまた同じく自身よりも上の者、もう一つ上の b


権力者に対しては臣下であり、それに対して多くの義務を負っていた。>>古代ゲルマン人は自由財産の他は知らなかったが、この自由財産の原理はまったく不自由の原理に転倒してしまっていた。だが、それが今になってようやく自由の精神が微かながらも、次第に目覚めはじめて来たのである。a


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6月26日(水)のTW:#〔6、都市〕

2013年06月27日 | Myenzklo

しかし、その真の意味を理解し、それに正当な位置づけを与えうるのはただ哲学があるだけである。というのも、これも一つの必然的な過程だからである。それは、神聖なものについての意識がまだ幼稚で素朴である場合には、どうしても一度はその意識の中に現れて来なければならない必然的な対立である。


精神がまだ自分の現在の姿を深く捉えることが出来ておらず、真理に対して精神が未熟な態度しか取り得ないような場合には、その真理が深いものであればあるほど、精神はその段階においては、自分自身が疎外された、背馳したものとして現れる。しかし、この疎外された型態を経ることによってはじめて、


精神は真実の宥和に至りうるのである。
(ibid s 228 )


〔6、都市〕a、序―世俗界の躍進と免罪符:我々は教会を現存の世界に対する精神の反動と見た。しかし、この反動はその相手を屈服させるだけで、これを改革しようとするものではなかった。そして精神的なもの(キリスト教)はそれ自身の内容の転倒という原理によって権力を獲得することになったが、


一方の世俗的権力もまた自分を強固なものに作り上げて、封建制度という組織的なものにまで発達してゆくことになる。人間はそこで孤立とともに個人的な力量と権力に頼むこととなった。そのために人間がこの世に占めるどのような土地も活力に充ち満ちたものとなった。個人はまだ法律によって保護される


ものではなく、ただ自己の努力に頼るしかなかった。そうして一般に活気が生じ、勤勉と努力の気風が生まれることになる。しかもその一方で、人間は教会を通じて永遠の祝福が保障せられのだが、そのためにはただ精神的に教会に服従さえすればよかったのである。だから世俗的な享楽に対する欲望が、


精神的な救済の障害にさえならなければ、その享楽への欲求が益々激しくならざるをえない。それに教会はどんなに勝手な振る舞いにも、どんなに非道な罪悪に対しても、求めに応じて免罪符を売ってくれたのであるから。b、都市の勃興:十一世紀から十三世紀にかけて一つの衝動が起こり、それが様々な


形で現われた。教団は広大な寺院を、教団の人々を全部を収容するに足る会堂を建造し始めた。いつでも建築は最初の芸術であって、それは先ず神の住居という非有機的な境界を造る。その後にはじめて芸術は教団の対象である神そのものを表現するという仕事に取り掛かる。(ibid s329 )


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6月25日(火)のTW:〔5、中世国家の矛盾〕

2013年06月26日 | Myenzklo

〔5、中世国家の矛盾〕a、帝権の矛盾:教会の味方となり、教会の世俗における片腕になった帝権については、教会の世俗化として明らかにした。しかし、この帝国権力もその中に矛盾を抱えている。それはこの帝権がもはや空虚な尊称にすぎず、皇帝自身にとっても、a


また皇帝を利用して自分の野心を遂げようとしている者にとっても、もはや本気になって相手にされるものではなくなっているという矛盾である。というのも、今や野心や暴力が一本立ちしており、もはや単なる普遍にすぎないような観念(帝国)によって押込められることもなくなっているからである。b


b、忠誠の矛盾:第二にまた、中世国家の要であるところの忠誠(Treue)と呼ばれるものが、心情の浮薄に魂を売り渡してしまって、もはや客観的な義務などというものを一向に承認しないようになってしまったことである。そのために、この忠誠こそがもっとも不忠なものとなってしまったことである。


中世期におけるドイツ人の誠実(Ehrlichkeit)は諺にまでなっている。しかし、これも歴史にてらしてよく調べると、本当はカルタゴ人やギリシャ人の忠誠と同じものだったと言わねばならない。というのも、諸侯も皇帝の臣下も、ただ自分の我欲、


自分の利益と野心にのみ忠誠であり誠実だったからである。国家とか皇帝とかに対しては全く不忠であった。それは、忠誠そのもの中には彼らの主観や気まぐれに対する考慮はあるが、国家はまだ忠誠を基礎に人倫全体として組織されてはいなかったからである。
c、個人の矛盾:第三の矛盾は個人自身の中に


潜む矛盾である。すなわち、個人は一方では敬虔であり、極めて麗しい熱心な信仰を持つが、しかしその他面において粗野な意志と知性をもつという矛盾である。普遍的真理に関する知識もあるが、それにも拘わらず、世俗においても、教会のいずれにおいても甚だ粗野な観念が見られる。


荒々しい情欲の狂騒乱舞が見られる一方で、一切の地上的なものを断念して、一身を聖なるもののに捧げ尽くすキリスト教的神聖も存在した。中世というものはこれほどに矛盾に充ちたものであり欺瞞の巣窟だった。それにもかかわらず、今日において中世を卓越したものと見る者の存在するのは奇怪である。


剥き出しの野蛮、山猿の不作法、幼稚な空想などを見ると腹が立つよりもむしろ、却って哀れみを催す。(ibid s228 )


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6月24日(月)のTW:【中世教会が含む三つの矛盾】

2013年06月25日 | Myenzklo

【中世教会が含む三つの矛盾】1)主観的精神の矛盾「主観的精神は絶対者の証をするものであるが、同時にそれは有限で現実的な精神でもあり、知性と意志とに分かれて現れる。精神の有限性はこの知性と意志の区別に踏み込むところから始まり、またそこに矛盾と疎外の現象が現れる。a


というのも、ここでは知性と意志が真理によって貫かれているものではなく、真理はこれら両者にとっては単に与えられてあるものだからである。絶対的内容の外面的な性格は、その絶対的な内容が感性的で外的なものとしてある、という意識になって現れる。日常的な外的存在物が同時に絶対者として現れ、b


また、そう見られなければならないことが絶対的な要求として中世期の精神に課せられたことである。2)僧侶の矛盾:矛盾のもう一つの型態は、教会そのものの中の関係にある。真の精神は人間の中にあるものであり、人間の精神である。個人は礼拝によってこの絶対者との同一性の確証を得るのであって、c


教会はただこの礼拝の教師であり、指導者であるという役目を受持つに過ぎない。ところが中世においては、インドのバラモンと同じく、僧侶階級が真理の保有者となる。真理は学問、教養、修行によって得られるものであるが、それらだけでは十分とはされないで、全く外面的な方法、非精神的な称号が d


真理の所有を裏付けすることになる。この外面的な方法が僧職叙任式である。その結果、僧職が個人の身体に貼り付けられ、個人の内心というものはどうでもよいものとされるようになる。どの点から見ても信仰とは縁がなく、非道徳的で、どんな愚物であっても一向に差し支えないということになる。e


3)僧侶の財産:第三の矛盾は、教会が外的存在として領地をもち、莫大な財産を所有する点である。しかし、教会はもともと、富を軽蔑するものであり、また富を軽蔑すべきはずのものであるから、ここに教会は虚偽に陥ることになる。」(ibid s 226 )


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6月23日(日)のTW:「思考の原理の出現」

2013年06月24日 | Myenzklo

自由はその中に二種の規定を持つ。一つは自由の内容、自由の主観性―――つまり事柄そのものの面である。今一つは自由の形式の面であるが、そこでは主観が自分の活動についての意識を持たなければならない。と言うのも、自由は主体がその中で(darin)自己を知る内面的原理と、a


そこで自己のことを行うその場面(dabei)との二つを必要とするものだからである。そうして結局その事柄を成就するという主体の関心が問題でなければならない。以上の点から見て、現実の国家の持つ三つの要素(司法、立法、行政)または三つの力を考察しなければならない。詳細は法哲学による。b


悪を善に、善を悪にひらりひらりとひっくり返して、特殊なものを何もかもぐらつかせる弁証法において、結局最後に残るものといえば、内面性そのものの純粋な活動、精神の抽象的な要素、すなわち思考そのものい他ならない。【歴史哲学】(s 301)※この思考の原理が現実の政治に歴史的に a


はじめて貫かれたのが、「フランス革命」であり、また、その遺産を引き継いだのが「ロシア革命」であった。いずれも思想が政治革命の原理となったのであるが、同時に「思想」の、あるいは「思考」の持つ抽象性が、ちょうど核爆弾の閃光の抽象性のように、あらゆるものを殲滅し尽くそうとした。b


ヘーゲルはその生涯に青年時代に、隣国フランスで起きた「フランス革命」を体験したが、同時にこの革命の凶暴性についても、その論理的帰結を把握していた。その破壊的な論理的帰結は、「ロシア革命」においても、毛沢東中共の「文化大革命」においても、またカンボジアの「ポルポト革命」においてもc


繰り返された。「もともと思考は一切のものを普遍性の形式において考察するものであって、思考は普遍者(自我意識)の活動であり、普遍者が作り出す働きである。」「思考の中では自我は自己の眼前にありありと現れるのであり、思考の内容、思考の対象も全面的に現れる」(ibid s 301 )


「私が思考する場合、私は対象を普遍性にまで高めないではおかない。そしてこのことこそが絶対的な自由に他ならない。というのも、純粋な自我は、純粋な光と同様に、完全に自分自身のもとに(bei sich)あるものだからである。それゆえ純粋自我(思考)にとっては、対象が感性的なものか a


精神的なものかという区別は、もはや怖れるに足りない。なぜなら、純粋自我はこの場合でも、それ自身としては自由であり、自由な気持ちでこの区別に対処できるからである。実践的関心は対象を使用し、これを消費し尽くしてしまう。これに対して理論的な関心は、対象はもともと自分とは相異なる、


相容れない存在ではないという安心感を持って対象を考察する。それゆえに、内面性の究極的な頂点は思考である。人間は思考しない場合には自由ではない。なぜなら、その時には人間は他のものに関わっているからである。ところで、このような把握は、


すなわち、もっとも内的な自己確実性をもってする他者の把握は、そのまま宥和の意味を持っている。すなわち、そこには思考と他者との統一が即自的に、もともと(an sich)存在しているのである。というのも、理性こそが意識(自我)のみならず、また外的存在、自然的存在の両者の


実体的な根底をなすものだからである。この意味で、我々と対立するものも、もはや彼岸ではなく、我々と違った実体的性質を持つものではない。(ibid s 302 )※ここで述べられている「宥和」の境地は言うまでもなく、ヘーゲルの処女作「精神現象学」において到達した境地、


「絶対知」の立場である。ヘーゲルの全哲学はこの基礎の上に築かれる。彼の哲学の論理は一貫していて、芸術においても、歴史においても、宗教においても貫かれている。「思考」は深く傷つけるものであり、また癒すものでもある。そして哲学史において「思考の原理」の登場が、啓蒙と革命の時代である。


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6月20日(木)のTW:「内面性と思考」

2013年06月21日 | Myenzklo

ギリシャの場合のように思考が積極的に自分を意識するようになると、思考はいろいろの原理を持ち出すようになり、そうするとこれらの原理が現存の世界の中に深く食い込むことになる。元来ギリシャ人特有の具体的生命というのは人倫であり、すなわち宗教と国家とに捧げられた生活であって、a


それ以上につっこんで反省をせず、一般的な諸規定にまで分析を進めないところにある。そういう一般的な規定となると、それは早速に具体的な型態を毀すことになり、具体的な型態に真っ向から対立することにならざるをえない。法律は直接に現存するものであるが、しかもその中には精神が宿っている。b


ところが、思考が登場するや否や、その思想は早速、種々の政治組織の吟味をやり出す。そして「もっとよいもの」を見付けだしてきて、その自分がよいと認めたものを現存のものに置き換えようとし始める。(ibid s 63 )


【内面性と思考】ギリシャ世界の堕落を深い意味から理解して、その原理が自立自由となりつつ内面性にある点を明らかにしなければならない。今や内面性が種々の形で現れてくるのが眼に映る。思想、すなわち内面的普遍はギリシャの美的宗教を脅かし、個人の情熱と恣意は、a


その国家組織と法律とを脅かし、要するに一切の中に自分を見て、自分を挙げつらう主観性というものは全直接存在(無垢、素朴、単純)にとって一大脅威となる。それ故に思考こそが堕落の原理となり、実体的人倫性(無反省の習俗)の堕落の原理となる。なぜなら思考は対立を引き起こすものであり、b


理性の弁証法を駆使するものだからである。無対立ということを根本とする東洋の国家においては、最高原理が〔無反省、無媒介の〕抽象性にあったから、道徳的な自由は出番がなかった。※ここでも、自我に分裂をもたらす思考の驚くべき破壊的威力についてヘーゲルは語っている。意識、自我の自己内分裂。


※歴史哲学講義のなかでも弁証法的理性の原則が貫徹されていることが分かる。しかし、講義のなかにその事例をしっかりと把握するだけではまだ足りない。講義の中に論旨の展開の必然性を学ばなければならない。さらに大切なことは、現実の中にしっかりと弁証法理性を認識し、定式化して行く能力である。


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6月18日(火)のTW:「主観的芸術品」

2013年06月19日 | Myenzklo

第二篇 美的個性の諸形態〔ギリシャ精神の第一期〕第一章主観的芸術品〔人間自身の諸型態〕〔1.道具〕いろいろの欲求を持つ人間は外的自然と実践的な交渉をするが、その場合には人間は外的自然によって自分自身の欲求を充たし、それを使い減らすのであって、その点でそれを手段として扱う。


だが自然の対象はなかなか頑固で種々に抵抗する。そこで人間は自然を征服するために多の自然物を持ちだしてきて、それによって自然を自然そのものに当たらせる。つまり、この目的のために道具を発明するのである。ところで、この人間の発明は精神に属するところだから、道具は自然という対象よりもa


高次のものと見られなければならない。我々はまたギリシャ人が特に道具を重んじた事実をも知っている。というのは、ホメロスの中に道具の発明に対する人々の歓びが実に躍如として描かれているからである。アガメムノンの王笏について語る個所では、王笏の起源がくどくど語られている。b


また蝶番で開く扉のことだの、武具のこと、器具類のことなどが悦ばしげな口調で述べられている。そしてこの自然制服のための発明の名誉は神々に帰せられている。(ibid s26 )


〔2.装飾〕ところが人間は他面ではまた自然を装飾として使用する。装飾は元来はただ富裕の印であるとか、人間が自分で作り出した業績を表わす印というくらいの意味しか持たない。ところが、この装飾に対する関心がホメロスの描くギリシャ人ではもうずいぶん発達している。a


装飾は野蛮人も文明人も共に付けるが、野蛮人はただ自分を装うにとどまる。すなわち、その身体が外物によって飾り立てられてただ喜んでいるという程度を出ない。しかし、この飾りは他のものの飾りだとは云っても、人間の身体という他のものの飾りに他ならない。b


しかも人間はこの身体と離れがたく結び付いているものであるから、自然一般と同様に身体をも同様に改造しなければならない。だから真っ先に起る精神的な関心は、身体を意思に相応しい立派な器官とすることである。もっともそうすることが一面では他の目的に対知る手段となることもあるが、c


しかし他面ではそれ自身が目的となることもあり得る。ところがギリシャ人にあっては各人が自分を他人に示し、それによって楽しもうとする無限の衝動が見られる。この感性的な享楽は彼らの平静な気持ちの元とはならないが、また感性的享楽に付き物の迷信、迷信の馬鹿らしさに陥ることもない。(s27)


人間はここでは、恰も空に舞う小鳥のように自由に、そのわだかまりのない、純な人間的性質の中にある一切をさらけ出すが、それはその自分をさらけ出すことによって、自分の良さを証明すると共に、自分を承認してもらうようにするのである。(ibid s 28 )


〔3.競技〕以上がギリシャ芸術の主観的な始まりである。人間はそこでは自由な美しい運動と力のこもった技、熟練とによって肉体を一個の芸術品にまで作りあげた。ギリシャ人はその麗しい姿態を大理石や絵画の中に客観的に表現するに先立って、まず自分自身をこの麗しい姿態に作り上げたのである。a


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6月17日(月)のTW:「芸術品について」

2013年06月18日 | Myenzklo

ギリシャ的性格の中心点のなすところのものは、まさに美的個性である。そこで次に、この概念を実現している個々の光線の面に立ち入って考察しなければならない。この光線はいずれも芸術品を形成している。我々はそれを三つの形象に要約することができる。主観的芸術品、すなわち人間自身の形成と、


客観的芸術品、すなわち神々の世界の型態(像)と、最後に政治的芸術品、すなわち国家組織(憲法)の様式とその中にある個人との在り方、がこれである。【歴史哲学下(s 25 )】


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6月7日(金)のTW:#「小論理学」

2013年06月08日 | Myenzklo

思考には何事かを証明する力があると言うのなら、そして論理学は証明するべきであると要求するのであれば、そして論理学が証明の仕方を教えると主張するのであれば、論理学は何よりもまず、もっとも独自の自己自身の内容を証明して、その必然性を洞察する力がなければならない。§42


§31
心、世界、神の表象は、さしあたって思考のために、しっかりとした足場を提供しているように見える。しかしながら、それらの表象には特殊な主観性の性格が入り混じっている。そして、そのことによって、それらは非常に異なった意味を持ちうる。


いずれにしても、表象はまず思考を通じて確固たる規定を得ることを必要としている、ということである。

このことは全ての命題が言い現している。述語を通じてはじめて(つまり、哲学において思考規定を通して)主語が何であるか、すなわち初めの表象が何であるか、が示されるということである。


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