海と空

天は高く、海は深し

12月25日(火)のつぶやき

2012年12月26日 | Myenzklo

「私の心の宝は神の御言葉」と教化の目的はソプラノの美しいアリアで歌われ、最終章では、神の御言葉に依り頼む者の罪科も救われる希望を、重厚なコラールの歌... blog.goo.ne.jp/aseas/e/94d421…


今年もまた、送るべき人にクリスマスカードも送りきれなかった。それに代えてせめて、ここだけでもお祝いをお伝えして。メリークリスマス!来る年も良き一年で... blog.goo.ne.jp/aowls/e/e4cdd7…


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今日はクリスマス

2012年12月25日 | 日記・紀行

Gleich wie der Regen und Schnee vom Himmel fällt

 

Dominica Sexagesimae.

„Gleich wie der Regen und Schnee vom Himmel fällt.“

1、SINFONIA.

2、RECITATIVO.叙唱

Gleich wie der Regen und Schnee vom Himmel fällt und nicht wieder dahin
ちょうど雨や雪が天空から降るように、そして、ふたたびそこに戻ることはなくて、
kommet, sondern feuchtet die Erde, und macht sie fruchtbar und wachsend, dass
地を潤して果実と稔りをもたらし、そうして蒔く種と食すべきパンを与える。
sie giebt Saamen zu säen und Brot zu essen: also soll das Wort, so aus meinem
私の口から出てゆく御言葉もまたそのようにしてあり、
Munde gehet, auch sein; Es soll nicht wieder zu mir leer kommen, sondern thun,
ふたたびむなしく私のところに戻ることは決してないだろう。むしろ私を喜ばせることを行い、
das mir gefället, und soll ihm gelingen, dazu ich’s sende.
そして、私が遣わすところのことを成し遂げるだろう。


3、CHORAL.RECITATIVO.合唱と叙唱

Mein Gott, hier wird mein Herze sein,
私の神よ、ここに私の心はあります。
ich öffne dir’s in meines Jesu Namen:
私はイエスの御名においてあなたを迎えます。
so ströme deinen Saamen,
そうして、あなたの種子を蒔いてください。
als in ein gutes Land hinein.
良き土地に蒔かれるように。
Mein Gott, hier wird mein Herze sein,
私の神よ、ここに私の心はあります。
lass solches Frucht und hundertfältig bringen.
こうした果実を百倍にしてもたらしてください。
O Herr, Herr, hilf! o Herr, lass wohl gelingen.
ああ、主よ、主よ、助けたまえ!ああ、主よ、善く成し遂げさせたまえ。
Du wollest deinen Geist und Kraft zum Worte geben,
あなたは御言葉に御身の霊と力を与えらる。
erhör uns, lieber Herre Gott!
我らの願いを聴き入れたまえ、愛する主なる神よ。
Nur wehre, treuer Vater, wehre,
ただ防ぎたまえ、誠の父よ、
dass mich und keinen Christen nicht
私を、そして、いかなるキリスト者をも
des Teufels Trug, des Teufels Trug, des Teufels Trug verkehre.
悪魔の誘いから、悪魔の誘いから、悪魔の誘いに迷うことから守りたまえ。
Sein Sinn ist ganz dahin gericht,
彼らの思いは、すべて誘いに迷わせること、
uns deines Rathes zu berauben
あなたの助言を私たちから奪い去ること、
mit aller Seligkeit, mit aller Seligkeit.
すべての祝福とともに、すべての祝福とともに。
Den Satan unter unsre Füße treten,
サタンを私たちの足の下に踏みつけ、
erhör uns, lieber Herre Gott!
私たちの願いを聴き入れたまえ、愛する主なる神!
Ach! viel verläugnen Wort und Glauben
おお、多くの者は御言葉と信頼とを拒み、
und fallen ab, wie faules Obst,
そして、腐った果実のように落ちる、
wenn sie Verfolgung sollen leiden.
彼らが迫害に苦しみ悩まねばならぬ時に。
So, so, so stürzen sie in ewig Herzeleid,
そうして、そうして、そうして彼らは永遠の心の悩みへと落ちてゆく。
da sie ein zeitlich Weh vermeiden.
そこで彼らは浮き世の苦しみから逃れるために。
Und uns für des Türken und des Pabst's
そして、私たちをトルコ人と教皇の
grausamen Mord und Lästerungen,
無慈悲な殺戮と嘲りと、
Wüten und Toben väterlich behüten,
凶暴とそして狂気から、父としてお守りください。
erhör uns, lieber Herre Gott!
私たちの願いを聴き入れてください。愛する主なる神!
Ein Andrer sorgt nur für den Bauch;
他の者が気がかりなのは、ただ腹のことだけ。
inzwischen wird der Seele ganz vergessen.
その間に霊魂のことはまったくに忘れ去られている。
Der Mammon auch
財神もまた
hat Vieler Herz besessen.
多くの心に取り憑いている。
So kann das Wort zu keiner Kraft gelangen.
そのために、御言葉には力無く、心にも届かない。
Und wieviel Seelen hält
そうして、どのくらい多くの霊魂が
die Wollust nicht gefangen!
欲情の虜となったままではないか!
So sehr verführet sie die Welt,
そうして、この世は彼らを巧みに惑わして、
die Welt, die ihnen muss anstatt des Himmels stehen,
この世が、彼らには天国に代わってこの世が立たねばならず、
darüber sie vom Himmel irre gehen.
あげくは、彼らは天国からさまよい出るのだ。
Alle Irrige und Verführte wiederbringen.
迷いそして誘惑されたすべての者が戻って来る。
Erhör uns, lieber Herre Gott!
私たちの願いを聴き届けてください。愛する主なる神!


4、ARIA.

Mein Seelenschatz ist Gottes Wort,
私の心の宝は神の御言葉。
mein Seelenschatz ist Gottes Wort;
私の心の宝は神の御言葉。
ausserdem sind alle Schätze
その他のすべての宝は、
solche Netze,
網のようなもの、
welche Welt und Satan stricken,
この世もサタンもどちらも、
schnöde Seelen zu berücken.
卑しい霊魂を捉えようと罠を張る。
Fort mit allen, fort, nur fort,
遠くへすべて。去れ、ただ遠くへ。
mein Seelenschatz ist Gottes Wort.
私の心の宝は、神の御言葉。


5、CHORAL.


Ich bitt o Herr, aus Herzens Grund
私は願う、おお主よ、心の奥から、
Du wollst nicht von mir nehmen
あなたが私から離れられないことを。
Dein heilges Wort aus meinem Mund,
私の口より出るあなたの聖なる言葉は、
So wird mich nicht beschämen
それゆえ私を辱めることはない、
Mein Sünd und Schuld,
私の罪と咎も、
denn in dein Huld
私はあなたの慈しみに
setz ich all mein Vertrauen,
私のすべての信頼を置くゆえに、
Wer sich nur fest darauf verlässt,
ただ強く身をそこに寄せる者は、
Der wird den Tod nicht schauen.
誰も死を見ることはない。

 

 

 久しぶりにバッハのBWV18《雨や雪が天空から降るように》„Gleich wie der Regen und Schnee vom Himmel fällt.“のCDを取りだして聴いた。全集に収められているのは、アーノンクールの演奏である。

 こ のカンタータで主題にしているのは、「神の御言葉」とそれを「受け入れる心」である。モーゼが「人はパンのみに生きるのではなく、主の口から出るすべての 言葉によって生きる」(申命記 8:3)と言ったことが聖書のなかに記録されている。この言葉は後に、イエスが荒れ野で苦行をしていたときに、悪魔から石に命じてパンになるようにと誘惑 され た時にも、このモーゼの言葉を引いてイエスが悪魔に答えられたことで良く知られている。

雨や雪が天から降るように、そして、大地を 潤し、果実を実らせるように、御言葉も神から来て、御心に望まれることとを成し遂げる使命を必ず果たす。イザヤ書第五十五章十節十一節をバスの叙唱で歌い 上げる。それに引きつづき、CHORALとRECITATIVO(合唱と叙唱)のテノールとバスが交互に、ルターの祈祷を引用しながら心の願いを祈る。

神の御言葉は「種子」に、私たちの心は「土地」にたとえられる。「良き土地に蒔かれるように。私の神よ、ここに私の心はあります。こうした果実を百 倍にしてもたらしてください。」「良き地に落ちし種あり、生え出でて百倍の実を結べり」(ルカ8:8、マタイ13:23)などの聖句からの引用を詩にして 歌うものである。

音楽それ自体のなかに立ち入って技巧的に批評することは、音楽を専門にもしていない者には良くしえない。ただそれでも、その構成の展開からも直観できることは、この小さな作品のもつほんとんど非の打ち所のない美しさである。

冒頭のシンフォニアから、それを受けてイザヤ書の一節を叙べ歌い、さらに連祷のコラールのなかで、世の誘惑と葛藤サタンとの闘いの苦しみを低音のバスで語り、ついには、神の言葉を宝とするに至る純粋な歓ばしい心の境地を、透明で美しいアリアに歌う。

これらの連祷のなかに「トルコ人と教皇の無慈悲な殺戮と嘲り」など宗教改革で知られるルターの祈祷も用いられている。いかにもプロテスタントの時代背景を思い出させる。

「私の心の宝は神の御言葉」と教化の目的はソプラノの美しいアリアで歌われ、最終章では、神の御言葉に依り頼む者の罪科も救われる希望を、重厚なコラールの歌う祈りで終わる。

バッハのカンタータなどの音楽は、本来実際に教会のミサなどの祭祀において歌われた宗教的楽曲であって、今日のように、コンサートホールや自宅で、純粋に音楽として鑑賞されるものではもちろんなかった。

die Welt と対比させられる  die  Himmel など興味のあるテーマも題材になっているけれども、それらの考察についてはまた別の機会に。

今年もまた、送るべき人にクリスマスカードも送りきれなかった。それに代えてせめて、ここだけでもお祝いをお伝えして。メリークリスマス!来る年も良き一年でありますよう。

 

 

 

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12月2日(日)のつぶやき

2012年12月03日 | Myenzklo
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12月1日(土)のTW:#占有、#物、#意志、#特殊、#平等、#不法

2012年12月02日 | Myenzklo

占有取得によって物は、私の物であるという述語をえ、意志は物に対して積極的な関係を持つ。物が私の意志とこのように同一の物となることにより、物はまたそれだけ消極的なものとして定立され、私の意志はこの規定によって、特殊的意志、すなわち欲求、気まま等となる。【法の哲学§59】


けれども、一個の意志の特殊性としての私の欲求は、自己を満足させる積極的な物であり、物はそれ自身において即自的に消極的なものとして、その欲求という積極的な物のために存し、かつそれに奉仕する。――――使用とは、物を変化せしめ、無くし消耗することによって、このように私の欲求が、a


実現されることであり、物の無自己的性質はこれによって明らかにされ、物はかくて使命を果たすのである。所有者の意志が第一の実体的な基礎であって、それによって物が彼の物となるのである。a


それから派生した規定が使用であり、使用は単に、かの所有者の意志という普遍的な基礎に従う現象および特殊的仕方に他ならない。(ibid s64 )


財の平等について:がんらい人間はもちろん平等であるが、しかし、それは単に人格として、すなわち、その占有の法源に関してである。この意味では各人は所有を有しなくてはならないだろう。したがって、もし我々が平等を云々しようとするならば、考察しなければならないのは、a


このような平等である。けれども、特殊性の規定、すなわち私がいかに多く占有するかの問題は、これ以外の領域に帰するのである。ここにおいて、正義は各人の所有の平等たるべきを要求する、という主張は誤りである。b


がんらい、このような主張は単に、各人は所有を有すべし、ということを要求するものに過ぎないからである。むしろ特殊性とは、まさに不平等の存するところであり、ここでは平等はかえって不法であろう。人間がしばしば他人の財を欲しがるということは、まったくその通りである。c


けれども、まさにこれは不法である。けだし法はどこまでも特殊性に対しては無関係なものだからである。§49h


けれどもこれはまさに不法である。けだし法はどこまでも特殊性にたいしては無関係なものだからである。§49この箇所の記述は、とくに左翼の、革命家の狂信的な平等化要求に対する反証となるだろう。


しかし、現実に何が平等か、個別具体的に決するのは難しい。どこまでが資本家の搾取と見なされるか、という問題につながって来る。


※しかし、現実に何が平等か、個別具体的に決することは難しい。どこまでが資本家の搾取と見なされるか、という問題につながって来る。どこからが盗みで、どこからが正当な勤労の報酬と見なされるべきか、それを実際に決定するの難しい。


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