海と空

天は高く、海は深し

2月19日(水)のTW:#現実性、#本質、#根拠、#物事、#定在、#可能性、#結果

2014年02月20日 | Myenzklo

現われ、そこで自分の諸々の力を休息させる。と同時にまた、発動する諸々の力や互いに対立的に働く力の〔二つの力各々の間の、また両面の力の間の〕対立という形、あるいは表面上の活動〔たわむれ〕という形でも現われる。こうして本質は現実性〔力の働き、または結果Wirkungとして生じたもの〕


(Wirklichkeit)になる。※ここでは本質と現実性の関係が的確に述べられている。本質は自分自身を発動させるものとして根拠であり、この根拠によって物事となる。(定在)その意味で、本質としての定在は内在的なものである。ここでは、本質、根拠、定在は同一物である。これが本来の結果


すなわち現実性ということである。ヘーゲル哲学においては、単なる偶然性の集積にすぎない世界を現実性としてはとらえない。こうして本質から根拠、さらに現実性へと論理が進展する。とにかくヘーゲルの読解においては、この論理の進展を自覚的に追求し、確認しながら読んでゆくことが大切である。


(Ⅲ)現実性
§48
現実性は自立的な相関関係である。現実性は現象の契機、すなわち自分自身に対する相関関係であるところの定在の契機と、その定在の即自有または本質であるという意味の可能性の契機とをもつ。現実的なものそのものは、可能性と定在との統一であある。 (ibid s 274)


※ここで現実性の概念の論理的な契機(要素Moment))を検討している。現象の集積の中に現実性があるのであり、その現実性は、現象を構成する様々な相関関係にある定在と、その定在に内在する本質として可能性との統一としてとらえられている。だから、現象においては、まだ即自にある本質が


可能性としてとどまっていて、現実性にはなっていない。
(1)実体
§49
現実的なものは実体(Substanz)である。従って現実的なものは本質である。もっともこの本質は自分の定在の諸規定を単純な属性(Attribute)として、また法則として自分の中にもつとともに、


またそれらの諸規定の定在の側での戯れ〔遊び〕(daseiendes Spiel)または自分の偶有性(Accidenzen)として定立するような本質である。だから偶有性の止揚は実体の消失ではなくて、実体の自分自身に帰ることである。※ 現実性から実体への論理の進展。本質の概念が、


属性(Attribute)や法則として具体化されてゆく。しかし、その一方で、それらは様々な偶然性の戯れのなかにある。この偶有性のなかにある定在がどのように止揚されて、自己の本質へと戻ってゆくのか。その論理はどのように説明されているのか。
>>
§50
実体は偶有性の必然性である。


偶有性は自由な定在の形をとるものであるが、そこに他のものに対する本質的な関係をもっている。ただその関係は、そこでは内的な、隠れた関係として即自的(潜在的)にあるにすぎない。そのために、偶有性は外的偶然性と外的な力に支配されていて、自立性を失っているようにも見える。


けれども、真実はこのことはむしろ全体の回復にほかならない。すなわち、全体は偶有性の中で分離されているのを再び自分の中に取り戻すのである。※ここで明らかなように、実体(Substanz)が諸々の偶有性の必然性として説明されていることである。偶有性は外的偶然性と外的な力に


支配されている。そこから自立性を回復することは、自分を取り戻すこととされ、それが必然性である。偶然性の戯れの中から必然性が生まれ、それが実体とされるとき、その実体は原因として認識される。>>
(2)原因
実体が必然性という形で現われると、実体は因果性(Kausarität)


の関係をとる。自由に作用する(wirken)絶対的原因は、活動を自分の中で始めるところの「動かすもの」(das Bewegende)としての実体であるばかりでなく、全内容までも自分の中にもつものである。つまり、実体は全内容を産出するのであって、そこで内容は結果として


定在を持つことになる。※絶対的原因としての実体は、宗教的には神のことである。こうしてヘーゲルは「神」を論理的に、「科学的」に認識してゆく。彼の哲学が形而上学でもあるゆえんである。>>
§52
それ故にこの活動性は、活動性と結果として作り出されたもの(das Bewirkte)との


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2月18日(火)のTW:#本質、#発現、#定在、#内的、#外的、#相関関係、#対立、#統一

2014年02月19日 | Myenzklo

質料、力が内在するための質料をもはや条件にもたない〔必要とはしない〕が 、しかしそれでも力を誘発する活動性(die sollizierende Tätigkeit)必要である。(ibid s 272 )


§45
この誘発する活動性はそれ自身力である。従って力は誘発されるように、誘発されなければならない。それで二つの活動性相互の関係は、二つの規定のこのような相互的な交換(dies wechselseitige Äustauschen)であるから、各々は他者の活動性または


発現(die Äusserung)の根拠である。こうして根拠の概念は、自分自身の活動性とこの活動性を発動させる他の活動性との根拠であるような根拠であることになった。
(3)内的なものと外的なもの
§46
本質は自分自身を発動させる活動性であるという意味で、本質は定在の根拠である。


だから、本質の定在の中には何ら外来のものはない。すなわち根拠自身によって定立されないような何ものもない。従って本質と本質の定在は同じものである。前者は内的なもの(Inneres)として、外的なもの(Aeusseres)としての自分に関係する。すなわち、外的なものは内的なものの


表示に他ならない。
§47
根拠はこのような相関関係(das Verhältnis)として、無制約のもの(das Unbedingte)であり、内的なものである。また静止的な自分自身との同等性としての質料と、対立の統一としての形式の統一である。根拠はその定在の中に質料という形で


 
 

 

 

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2月17日(月)のつぶやき

2014年02月18日 | Myenzklo

§44
力は自分の定在、すなわち規定された質を自分で定立するものである。定在がまた他者に対する有または外面性であるという面から見れば、力は同時にこのような定在からは自由であって、この力の現象が消失するからといって無くなるものではない。この面から言えば、力は力の内容であるところの


宮沢俊義による憲法の「8月革命説」。実にこの言葉は同情を誘う。つまりこれは帝国憲法の改正理由が具体的にわからない学者のデスペレートな叫び声。丸山真男もその典型。その理由が「日本の弱体化」しか思い浮かばない怠惰な学者と変わらないレベル。

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内閣法制局云々。薬はあるけど服用禁止という論理。薬が必要な時に服用できない薬は「無い」と同じこと。彼らに集団的自衛権の国際的解釈などわからなかったのは当然のこと。小学生にも劣る法匪たち。

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2月15日(土)のTW:#全体、#部分、#根拠、#本質、#定在

2014年02月16日 | Myenzklo

C 根拠と根拠づけられたもの(Grund und Begründetes)
(1)  全体と部分
§ 42
定在がないと本質そのものもないが、しかし本質はやはり定在の根拠である。ところで、この本質〔の定在における形態〕は全体と部分


(Ganzen und Teile)である。全体は部分を定立するものであるが、しかし、また逆に部分からなっている。両面は同じ一つのものである。全体は部分の綜合、すなわち全体であるという意味での部分に等しく、また部分に分けられたもの(Gteiltes)としての、すなわち


部分としての全体に等しい。言い換えると、両面は相互に無頓着なものでもあるが、また〔他面から言えば〕形式としての全体の活動性は質料を制約〔条件〕にもつ。
(2)力とその発展
§43
しかし、部分はただ全体によって定立されたものだという意味でのみ部分である。それで、これらの部分または


部分の関係は、根拠の統一による規定性である。言い換えると、定在の質は形式としての根拠の活動性によって定立される。だから、現象の質料は根拠自身の内容である。従って根拠は自分を発現する力(Kraft)である。【入門 s 272 】


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2月10日(月)のTW:#米国、#占領、#歴史

2014年02月11日 | Myenzklo

モバイルの世界。産経新聞「KDDIが19年に「100年分のメールを保存できる」として始めたサービス「au oneメール」が昨年、わずか6年でサービス終了した」
和紙と墨が信頼に足る。

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小堀桂一郎氏「米軍の占領期に我々は自国の歴史を旧敵国の手に奪はれるといふ事態に陥つた」
ならば米国がなぜ何を以て我が国の歴史を奪おうとしたのか研究すべきだろう。もしそれが「日本人の弱体化」というならそれは思考停止そのものである。
sankei.jp.msn.com/life/news/1402…

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2月3日(月)のTW:#哲学、#思考、#橡川一朗、#牧野紀之

2014年02月04日 | Myenzklo

「「書評へのご返信」の御礼」書評へのご返信、拝読させていただきました。

「真の愛国心」と「民主主義」の我が国に行き渡るべく、橡川先生が長年にわたる学問のご研鑽に打ち込まれられたこと、僭越な... goo.gl/Mm9vub


[exblog] 「書評へのご返信」の御礼 bit.ly/LqgNc0


哲学という名前はイギリス人の間では一般に今もってこういう規定を持っており、ニュートンは最大の哲学者という名誉を担っている。下の方に下って製造業者たちの価格表の中を見てみると、磁気装置や電気器具といった特殊な標題の下にまとめられないような道具、


たとえば温度計とか気圧計とかいったものが、哲学の道具と呼ばれているのである。哲学の道具と呼ばれてよいものはもちろんただ、思考だけであって、木や鉄などを組み合わせて作ったものが哲学の道具などではありえないのである。(牧野紀之訳『小論理学上』s 84)


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1月31日(金)のつぶやき

2014年02月01日 | Myenzklo
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