エリヤの生涯
旧約聖書のなかの預言者エリヤの生涯の軌跡については、聖書のなかのいくつかの個所にたどることができる。エリヤというのは、「ヤーウェは神なり」という意味で、ヤーウェは固有名詞、神は本質を示す普通名詞である。旧約聖書なのなかでエリヤが初めて登場するのは、列王記上第十七章である。この列王記は、エルサレムを治めたダビデ王の晩年の描写から始まる。
ダビデ王の事業は息子のソロモン王に受け継がれ、成就される。賢君ソロモン王の治世は、ユダヤ民族の歴史の中でもっとも輝かしい時代として記憶されている。およそ三千年前に、ソロモン王によって築かれた神殿は、その後バビロニアによって破壊されるが、その残された遺跡は、「嘆きの壁」として、今日もユダヤ人たちの祈りの場になっている。
ダビデの犯した罪の結果として、王国はやがて北のイスラエルと南のユダに分裂する。列王記は、ユダヤの民が、北方の民族バビロニアの王ネブカドネザルによって滅ぼされるまでを記録した歴史物語である。この分裂した二つの王国を治めた王たちの事跡が、預言者の眼から記録され評価される。日本で言えば、さしずめ天皇を中心に紀伝体で編んだ「大鏡」や「太平記」のようなものである。ただ、そこに一貫する根本の思想は、モーゼの戒律に忠実な国や民族は栄え、それに背く王と民衆は滅亡するというものである。イスラエル民族の現実の歴史は、それを実証するものとして語られている。
列王記の前半は、ダビデ王の晩年と、その王位継承をめぐる争いとソロモン王の王権の確立の描写から始まり、そして、類まれなソロモン王の知恵と、その統治下の民族の富と繁栄が、壮大な神殿の建築やその他の事業の様子が語られる。しかし、エリヤが登場するのは、ユダヤの王と民衆の神からの離反によって、やがて王国が堕落し分裂を招いた後の、第十七章からである。イスラエルの王アハブの治世下に生きたエリヤは、ギレアドの住民で、ティシュベ人と記録されている。
エリヤは、イスラエルの王であるアハブに旱魃を予言する。だが、アハブ王の妻イゼベルは、異教の神バアルを崇拝していたから、エリヤは主の命じられたとおり、ヨルダンの東にあったケルト川の辺に身を隠して暮らさざるをえなかった。そこで、エリヤは烏たちの運んでくるパンと肉で身を養った。しかし、その川もやがて涸れてしまった後、さらに北方の異邦との国境シドン地方のザレプタに行き、その地の一人のやもめに養われたと記録されている。
その地に滞在する間、二つの奇跡のあったことが記されている。そのやもめが持っていた──彼女は名前すら記録されていない──壷の中の、小麦粉が尽きることのなかったこと、そして、瓶の中の油も無くなることのなかった。だから、彼らは飢えることもなかった。そして、もう一つの奇跡は、やもめの女主人の息子が病気で一度は死んでしまうが、エリヤがその息子を生き返らせたことである。息子を失ったことをエリヤのせいのように苦情を言い立てる、この女やもめがいじらしい。
エリヤの生涯は、異教の神バアルとその預言者たちとの戦いであったことが伺われる。アハブ王の妻イゼベルが、主の預言者の多くを迫害し殺したことも記されている。彼女を通じて、イスラエルの王と民衆は異邦人の神に惹かれつつあった。ユダヤの民衆は、彼らの祖先の神であるヤーウェと、イゼベルがもたらした異教の神バアルとの間で迷っていた。そのとき、エリヤはただ一人残ったイスラエルの主なる神の預言者として、バアルの預言者四百五十人に立ち向かい、民衆に決断を迫る。
いずれの神が真実の神であるか。燔祭のために犠牲にされた牛に、燃え尽くす火で応じた神こそが本当の神である。バアルの預言者たちも神の名を大声で叫んだ。その際に彼らは槍や剣で自分たちの体を傷つけながら祈祷する。彼ら独特の宗教の様子が描写されている。しかし、彼らの祈りには何の応答も無かった。だが、エリヤの祈りに対しては主は、空から火を降し、いけにえを焼き尽くすことによって応えられた。こうしてエリヤは勝利し、民衆もヤーウェこそが真の神であることを認め、バアルの預言者をすべて、キション川の辺で殺してしまう。(同第十八章)
しかし、ユダヤ民族の宗教を守り純化したエリヤも、アハブ王の妻イゼベルの報復を恐れて、シナイの山に遁れざるをえなかった。言うまでもなく、この山はモーゼが燃える柴の中から神の啓示として十戒を授かった場所である。エリヤは主のみ使いに助けられ、四十日四十夜歩きつづけてモーゼのかって立った神の山に登る。そして、モーゼと同じように神の啓示を受けて、エリシャ──神は救いという意味──を後継者として見出す。
エリヤの生誕や彼の家族、幼少期や青年期にのことについてなど、その他のエリヤの生涯については記されていない。ただ、彼が「毛皮の衣を着て、革の帯を締めていたこと」(列王記下第一章)と、彼の最期が「火の馬に引かれた火の戦車が現れ、そのときの竜巻によって天に引き上げられた」(同第二章)などと描写されているのみである。エリヤの生涯について知り得るのは、わずかにこれくらいである。
エリヤは後世にどのように認められているか。それについては、旧約と新約とをつなぐ、旧約の最後の預言書マラキ書の中では、主の来臨の前には預言者エリヤが遣わされると預言されている。(マラキ書第四章)
さらに新約聖書では、エリヤは洗礼者ヨハネとなって現れたという。(マタイ書第一章)そして、イエス自身も在世時には人々から「エリヤ自身の現れ」とも言われている。(マタイ書第十六章、ルカ書第九章)
また、イエスのご変容に際しては、モーゼとエリヤが現れてイエスと語り合ったと記されている。このように、イエスにとってもエリヤはモーゼと並ぶ重要な預言者とされている。(マルコ書第九章、マタイ書第十七章)
イエスご自身が故郷の人々に受け入れられなかった時にも、エリヤを引き合いに出して、イスラエルにも多くのやもめがいたにもかかわらず、その中の誰一人にもエリヤは遣わされずに、シドン地方のサレプタに住む異邦人である寡婦に遣わされたと皮肉に語っている。(ルカ書第四章)
そして、十字架上でイエスが最期に大声で叫ばれたときにも、人々の耳には、「エリヤを呼んでいるように」も聞こえたという。(マタイ書第二十七章)
パウロの神学の中では、エリヤは異教の神バアルに跪かなかったイスラエルの神に忠実な七千人を象徴する一人として取り上げられ、(ロマ書第十一章)、十二使徒の一人ヤコブには、エリヤが私たちと同じ人間でありながら、熱心に祈ったために三年半も雨が降らなかったとして、祈りの持つ大きな力を証明した預言者として取り上げている。新約聖書の中でも重要な預言者として評価されているといえる。
列王記や歴代誌に垣間見ることのできるエリヤやエリシャの生涯は、国内外のさまざまな敵や異民族との軋轢や殺戮にまみれた困難なものだった。この中東の困難な歴史は現代にまで続く。
昨日もテルアビブで自爆テロがあったばかりである。聖書の列王記や歴代誌に記録されているように、ユダヤ人の先祖たちと、シリア人やパレスチナ人の祖先であるアラム人、フェニキア人、モアブ人、ペリシテ人たちとの軋轢や戦争は、イスラエル・パレスチナ問題として、二十一世紀の今日にいたるまで連綿として続いている。かってバビロニアとしてエルサレムを陥落させた今日のイラクも、新生民主国家の建設に苦闘している。