海と空

天は高く、海は深し

詩篇第九十二篇注解

2006年01月27日 | 詩篇註解

マスコミの寵児が一夜にして拘置所の住人になる。企業の生存を掛けた競争も、
デジタル家電の競争もますます激しくなるのに、企業の利益はなかなかでない。忙しない世の中ではある。有用無用の情報が飛び交い、マスコミも右往左往する。

こうした時代にあって、いたずらに情報に流されることなく、静かに、自分の城を守って生きてゆくのは容易なことではない。世の浮き沈みにできうる限り翻弄されることもなく、自分のペースを守り、着実に生きてゆきたいと思う。

そんなときも、詩篇の言葉は、心の拠り所になる。それは世と転変を伴にしない。移り気な女の恋心のように、秋の菊の花のように、世間の毀誉褒貶は移ろい色あせる。

今日は日曜日ではないけれども。

詩篇第九十二篇


賛美。安息日の歌。                 


どんなに良いことか。主に感謝することは。
あなたの御名を、いと高き方を誉めたたえることは。
朝ごとに、あなたの愛を語り、
夜ごとに、あなたの真実を語ることは。
十弦の琴を弾き、竪琴を奏でて、琴の調べにあわせて歌うことは。
主よ、あなたの御わざはまことに私を楽しませる。
あなたの御手の働きを私は喜び歌います。
主よ、あなたの行いは何と大きく、
あなたの考えはどれほど深いことか。
心の鈍い人はそれに気づかず、
愚かな人はそのことを悟らない。

悪人どもがたとえ青草のように芽生え、
不義を行う者のすべてが花を咲かせても、
それは彼らが最後には滅ぼされるためです。
しかし、あなたはいと高き方、永遠に主。
まことに見よ。あなたに敵する者は、主よ
まことに見よ、あなたに敵する者は滅び、
不義を働く者はすべて散らされます。
そして、あなたは私の角を野牛のように高く上げ、
清らかな油を注がれる。


私は見た、私の敵が打ち負かされるのを。
私は聞いた、たくらむ者たちが悲鳴をあげるのを。
正しい人は、ナツメヤシの花のように咲き、
レバノン杉のようにそそり立つ。
主の家に植えられた者たちは、
私たちの神の家の庭に花を咲かせます。
彼らは白髪になってもなお、実を結び、
青々としてみずみずしい。
主は正しく、私を守る岩。その内に不義はない。

 

詩篇第九十二篇註解               そそり立つレバノン杉のように

主に感謝することは良いことだと言う。良いことというのは、楽しいこと、価値あること。神は、人間からは遠く高きに住まわれる方。人間の想像を絶する方。
詩人は満たされた安息日(キリスト教徒には日曜日)の朝に、神の働きに感謝し、賛美歌を奏でる。その楽器は、琴であったり、ハープであったり。
主はその御わざ、自然の摂理によって詩人に幸福をもたらした。それに応えて詩人は言う。
「あなたの御手の働きを私は喜び歌います。
主よ、あなたの行いは何と大きく、
あなたの考えはどれほど深いことか。」

詩人は朝ごとに神の愛を黙想し、夜ごとに神の真実を語る。ここでも、詩人にとって、神は、愛と真実の方である。

詩人は自然の営みを単なる自然の営みとしてではなく、その奥に、神の働きを、神の愛と真実を、「人格の存在」を感じている。詩人は科学者ではなく詩人であるから、その神の摂理に対する驚嘆を詩で表現するしかない。
自然の神秘は、宇宙の創造の秘儀は、被造物である人間の想像を絶しており、どれほど偉大で深く神秘であるかは、言葉に表しきれない。ただ心の鈍く愚かな者にはわからないと言う。しかし、その点では、どんな人間も似たり寄ったりである。

自然として現れたこの世界を、すべて解明しきれるものではない。
それでも、今日でも人間は宇宙のただなかに、太平洋の深海に、神の創造の神秘を探求する衝動は抑えがたい。

そして、神の働き、神の摂理はただに自然の中に現れるだけではなく、それは人間に、人間の社会の中にも、現れているという。
人間社会の中での「神の御手の働き」とは、神に背く者は敗れ滅び、従順な者は栄えるということである。悪は滅び、善は栄える。
たとえ、悪人には悩みも病気もなく、この世の栄華を誇るかのように満たされ、健康で平穏であるように見えても、それでも詩人は神の摂理を疑わない。なぜなら、神に背く者の繁栄は、それがどんなに隆盛を極め、永久に続くかのように見えても、結局は、最後には打ち萎れ滅びてしまうという。

それに対し、神に忠実であった詩人は、時が来れば、野牛の角のように強く高く上げられ、悪を為す敵に打ち勝っている。そして、新しく絞られたオリーブ油で、祝福されるという。
そして、神に従う人、正しい人はナツメヤシの花のように咲きほこり、レバノン杉のようにそびえるという。これらは、いずれも中東においては繁栄の象徴である。日本であれば、さしずめ桜の花や、常緑樹である松の木にたとえられるのかもしれない。
そして、神に従い守られる者は、いつまでも若々しくみずみずしい。なぜなら、命の源である神に結ばれているから。詩人はこの真実を、詩に歌う。

 


詩篇第十篇注解

2006年01月20日 | 詩篇註解

詩篇第十篇

なぜ、主よ、あなたは遠く離れて立たれるのか。
なぜ、あなたは身を隠されるのか。苦しみ悩む時に。
悪しき者どもは驕り高ぶって、柔和な人をしいたげる。
どうか彼らのたくらむ罠に自らが捕らえられるように。
悪しき者は自分の欲望を誇り、貪る者を祝福して主を侮る。
悪しき者は鼻を高くして、主を求めず、
彼のすべての企てに神はいない。
あなたの裁きは彼から離れて遠く、
彼は自分に逆らうすべての者を追い散らす。
そして、彼は心の中で言う。
「私は揺らぐことなく、世々に災いに遭うこともない」
彼の口は呪いと欺きと脅しで満ち、
彼の舌には毒と悪が隠れている。
彼は村里のはずれに潜み、
隠れたところで罪なき者を殺す。
彼の目は不運な者を探し、ライオンのように茂みに隠れて待ち伏せる。貧しい者から奪い取るために。貧しい者を網に捕えて引いてゆくために。
貧しい者は砕かれ屈まり、そして、その惨めな者は眼を閉じて倒れる。悪しき者は心につぶやく。
「神は忘れられた。神はその顔を隠して決して見ることはないだろう」


立ち上がってください、主よ。
神よ、御手を上げてください。
貧しい者を忘れないでください。
なぜ、悪しき者は神を侮り、心でつぶやくのか。
罰せられることはないと。
まさに、あなたは悩みと苦しみをご覧になり、御手に引き受けて顧みられる。
不幸な人はあなたに自分をゆだねる。
あなたがみなし児を助けられますように。
悪人の腕をへし折り、彼の隠された悪をことごとく罰せられますように。
主は永遠に王。
異邦の民は主の国から消え失せるでしょう。
あなたは柔和な者の切なる願いを聴き、彼らの心を強められ、みなし児と虐げられた者のために裁き、耳を傾けられる。
この地で再び人がもう脅かすことのないように。

 

第十篇注解   主よ、悪人どもの腕をへし折られよ

前第九篇が神の正義が実現されたことに対する、感謝の祈りであったのに対し、この篇は、第七篇と同様に、正義を求める祈りである。特にキリスト者にとって、正義の実現こそ切望するものである。

この詩篇第十篇でも、詩人は様々な苦難に遭遇している。おそらく、この詩の背景には、ユダヤ人のバビロン捕囚などの一種無政府的な状況があったのであろう。先の第二次世界大戦におけるホロコーストのような時代的な背景があったことが想像される。そうした状況にあっては、剥き出しの暴力がはびこる。戦争下における奪略、暴行といった事態もそうである。

その意味では、この詩篇が歌っているような状況は、現代においても、決して無縁ではない。先年の旧ユーゴにおける「民族浄化」などにおいても、この詩で描写されているのと同じような事態が再現されたに違いないのである。人間の悪は、その時期と状況さえそなわれば、いつでもどこでも発現する点において、二千年三千年という時間は、人間性が改革されるためには、決して長くはない。というより、人間の本性は変わらないのかもしれない。テロ行為は現代においても日常茶飯事である。彼は、物陰に身を潜めて、何の罪もない者を、狩を楽しむように銃で狙い撃ちする。そして、心に神はいないと言う。人間の自然状態は、ルソーが言ったような理想郷ではなくて、暴力のはびこる世界である。そのような状況下で、詩人は、神に正義の実現を祈る。

正義を教えることについては、今日の文科省の審議会も学校教育もまったく無力である。まず国家という観念が希薄である。神がいない。正義の観念も教えられていない。あるのは、剥き出しの欲望である。小手先の知識教育は過分に教えられ、多くの小者を育成する教育には事欠かない。しかし、「正義」という教育の根幹が教えられていない。その結果、現代日本社会には、多くの企業と個人の詐欺と腐敗にまみれている。この哀れむべき状況について、国民は深く考えてみるべきである。

悪に対して正義を実力によって行使するために国家や共同体が形成された。国家の法律による刑の執行は、正義の実現という使命をもっている。神に代わって、国家は地上において、その正義を実現するのである。

しかし、神の意思を執行する代理人であるべき国家そのものが悪を実行するとき、もはや、人間的な救済は不可能である。北朝鮮を見よ。歴史的に見ても、国家がいつも正義の代理執行人であるとは限らない。むしろ、多くの国家は腐敗し堕落した。そのような状況においては、法律も、裁判も「正義」の実現には何の役にも立たない。だが、これほどに絶望的な状況のときにも、詩人は「神は困難と苦悩に必ず気づかれて、顧みられる」ことを信じ、自分自身をすべて、神にゆだねる。

キリスト者は、国家における正義の実現に献身するべきである。キリスト者は、検事や裁判官や弁護士や政治家という職業を通じて、正義の実現に尽くすべきである。キリスト教的な哲学者や思想家は、その哲学や国家学、憲法学などの科学と法体系の建設を通じて、真理に貢献し、神の国としての国家を完成させるよう努めるべきである。そうして今日の日本社会から詐欺師や悪徳官僚、ゴロツキ、腐敗政治家たちが追放されるように。

ソクラテスは彼の信じる「正義」が国法によって断罪されたとき、「悪法もまた法である」として、従容として毒杯を仰いだ。イエスも、武器をもって反抗することなく、十字架刑を耐え忍んだ。人類の歴史の中には、そのような無垢の人の死が、無罪の死が無数にあったはずである。しかし、主は、そのように踏みつけにされた貧しい柔和な者に対して、「耳を傾け、願いを聞き、勇気づけ、こうした虐げに再び脅かされることはない」という。 悪人は主の国から消え失せるという。

 

 

 


祈り

2006年01月18日 | 宗教一般

キリスト者にとって、人生に、生活(LIFE)にもっとも切実で不可欠な行為は祈りである。イエスも、倦まず弛まず祈るように教えられた。(ルカ18:1)
どれだけ深く強く鋭く粘り強く祈ることが出来るかは、それも修練の要することだと思う。

この祈りの中で、神と「理論闘争」が行われる。その中で思考と思想が練られる。聖書の中には、イスラエルが神と格闘したことが書かれている。そして、イスラエルは神と人と闘って勝った。(創世記32:29)


私たちもある意味では、神と闘わなければならない。ここでは、神とは「運命」のことである。人間は自分の神、すなわち「運命」と闘って勝たねばならない。そして自分を自分の運命の主人としなければならない。人間にとって、神とはそのような関係にある。


祈りとは、そのための神との戦いの場でもある。もちろん戦闘だから負けることもある。だが、人はこの「祈りの戦場」において鍛えられるのである。その意味では、キリスト者にとって「祈り」は、禅宗の座禅のような意義ももっている。祈りは、キリスト者にとっては精神の修羅場である。

 


マリアとマルタ(ルカ伝第10章)

2006年01月11日 | キリスト教

マリアとマルタは女性を代表する二つの性格のタイプとして、古来有名である。それはルカ伝の第十章の記録に由来している。マリアとマルタはラザロの姉妹である。このラザロはイエスによって死から蘇ることが出来た人物として知られている。

イエスがある村に入ったとき、おそらく友人だったラザロの家に宿をとったのだろう。そのとき、イエスを接待するために、姉のマルタは、料理を作ったり、食卓を整えたりして忙しなく働いていた。主イエスのために甲斐甲斐しく働くことが良いことだと信じていたのだろう。あるいは、そのことで皆から誉められることさえ期待していたのかも知れない。
それなのに、妹のマリアは、そんな姉マルタの気遣いなど、どこふく風のようにイエスのおそばに侍って、イエスの話にただ聴き入っていた。

そんなマリアの様子を、マルタは忙しさにかまける中で、いらいらしながら横目で眺めていたが、とうとうこらきれずに、主イエスの御許まで進み寄って、マリアにではなく、イエスに苦情を言う。妹に命じて私を手伝うように仰ってください。

すると主イエスから返ってきた返事は思いがけないものだった。主のために多くの心遣いをしているマルタを誉めるのではなく、逆に、マルタに向かって、あなたは様々なことに気遣いをし過ぎである、本当に必要なことはただ一つだけ、マリアは、それを選んだのだから、彼女からそれを奪ってはいけない、と言った。

明らかにここではイエスにおいて一つの価値の転倒が行われている。もし、このイエスの価値観が、一般的で普遍的なものであれば、なにもわざわざ、ルカ伝に記録されることはなかっただろう。実際にはマルタの態度が、普通であり一般的であったからこそ、人々はイエスの言葉に改めて驚嘆し、記録したのである。

イエスの生涯は、正しく一つの革命だった。その価値の転換という点で、歴史上もっとも革命的なものだった。かっての良きものが悪しきものとされ、大切なものとされてきたものが、どうでも良いものとされる。いわゆる世間的な価値観を転倒してしまったのだから。2000年前にこうして、この世に革命的な原理が入り来たったのである。

何を食べようか、何を着ようか、思い煩うな。ただ、神の国のみを求めよと。生業のための労働は取るに足らないというのだから、イエスの価値観からすれば、イエスがマルタに告げた言葉は当然のことだった。

しかし、このキリスト教の価値観、原理を忠実に実行できたのは、ただ、神の子だけだった。もし、これが忠実に人々によって実行されたとすれば、直ちに神の国が実現されていたはずだから。

 


西行の正月

2006年01月04日 | 日記・紀行
 

年齢を重ねれば重ねるほど、幼かったころに正月を迎えた時のような高揚した純粋な喜びを失ってゆくのはやむをえないのかも知れない。お年玉をもらう喜びは子供の特権だった。童謡に歌われたような「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて、独楽を回して」という世界は、すでに遠くさらに幻想的になってゆく。

最近は正月になっても独楽を回して楽しむこともなく、また、子供が凧揚げや羽子板で羽根突きをして遊んでいる光景も目にすることもない。家々の門に門松が飾られることもほとんどなくなってしまった。

木村建設や姉歯秀次建築士などが建てたマンションやアパートなどの、無風流で機能一点張りの建築がこれだけ増えれば、生活から宗教や芸術の香気が蒸発してしまうのも仕方がない。しかし、人類の数万年の歴史からすれば、現代人の生活様式が、人類にとって普遍的であることを証明するものは何もない。

幸いにも、人間は言葉を残し、それによって歴史の中により正月らしい正月を懐かしむことが出来る。
折りに触れて読む西行の『山家集』などは、表紙を開けた瞬間に芸術の香気が漂ってくる。そこにも懐かしい正月が記録されている。

その懐かしい正月を思い出すために、久しぶりに『山家集』を開いた。当時はもちろん陰暦だったから、暦が代わるとともに文字通り春が待ち受けていた。『山家集』は春の歌から始まる。当時の人の季節感、時間の意識を知ることができる。しかし、太陽暦の正月は、まだ、寒さの最中で、正月の中に春の歓びを感じることは出来ない。

雪分けて  深き山路に  籠りなば  年かへりてや
君に逢ふべき

私(西行)は雪深い高野山に寺ごもりしてしまったのであなたにお会いできません。年が明けてから、あなたにお逢いできるでしょう。

西行は何か思うところがあってか、年の暮れに空海のいる高野山に籠ってしまった。そのために友に逢えるのは、年が明けてからだ。

年の内に春立ちて、雨の降りければ

春としも  なほ思はれぬ  心かな  雨ふる年の
 ここちのみして  

京都の年末正月も少し時雨れた。当時の正月は、初春と呼ばれたように、正月には春の長雨がふさわしく、雪は旧る雪で、旧年中の冬のことだった。この年、西行は雨が降っても、まだ正月が来たという実感が湧かないでいる。

正月元日に雨降りけるに
いつしかも 初春雨ぞ  降りにける  野辺の若菜も
 生ひやしぬらん

なんとも早く、もう初春雨が降ったよ。子の日に摘む若菜もきっと芽を出したことでしょうね。

もっとも正月らしい歌は次の歌。元旦を迎えるたびに、
この一首を思い出す。

家々に春を翫ぶということ
門ごとに  立つる小松に  飾られて  宿てふ宿に  春は来にけり

あけましておめでとうございます。本年も良い年でありますよう。