アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

ゴミと暮らす生活

2008-06-10 | フィリピンの旅(-2009年)
フィリピン・マニラの北東部に巨大なゴミ山がある。

パヤタスというその地域に暮らす人は約20万人。
うち1万人がゴミ山近辺に家を持ち、うち3000人ほどがゴミ山の恩恵を受けて生きている。

拾い集めたリサイクル品から得られる現金は一日約50~80ペソ(120~190円)。

運が良ければ150ペソほど稼げるが、米1キロが30ペソということを考えると、家族を養うにはあまりに少なすぎる収入だ。よって一日一食が常という家庭も少なくない。


かつてこの国を最も象徴していた“スモーキーマウンテン”が閉鎖された70年代から、パヤタスにゴミは集まり始めた。
同時に人も集まるようになったが、多くは政府による市街地からの立ち退きによって強制的に移住させられた人たちだという。

けれど、その後のずさんなゴミ捨て場の管理により、2000年ついに大参事が起きる。
積み上げられたゴミが一気に崩れ落ち、200人以上が生き埋めになって死んだ。

以降、市政府はこのゴミ山をようやく管理するようになり、国も各地域にゴミ処理場を建設するよう義務づけたようだが、まぁ、状況が好転するまでにはウンザリするほどの時間がかかることは言うまでもない。





ところで私がパヤタスを訪れたのは、日本のNGO「ICAN」の受け入れがあってのことだ。

彼らは15年ほど前からこの地域の医療や教育を支援していて、今では年間4000人が利用する診療所を地域の人たちと一緒に運営している。
患者の半数以上は呼吸器系の疾患らしく、主な原因はゴミから発生する有毒ガスだという。


それもそのはず。
パヤタスを走るジプニーに乗ると、窓からは想像を絶する悪臭が流れ込む。
ジプニーには窓がないのでそれを避ける手段はタオルで顔を覆うくらいしかないのだが、悪臭の程度を例えるならば、生ゴミのリサイクルボックスに頭を突っ込んで10分間耐えろ!と言われるくらいの苦痛なわけだ。
10秒じゃない、10分間。

ちなみに診療所がある地域ではそれほどの悪臭はなく、天気や風向きによって一時的にモワッと漂ってくるくらい。
一時的に鼻をへし折りたくなる衝動をぐっとこらえさえすれば、まぁ何てことはない。(つまりそれでも相当キツいということだけれど。)



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それにしても、そこで働いているスタッフやボランティアには頭が下がる。

スタッフのほとんどは現地のフィリピン人で、ボランティアのほとんどは地域のお母さんたち。

「人々の“ために”ではなく、人々と“一緒に” 働く」というICANのポリシーのもと、日本人スタッフは日本事務所を含めて数人しかいない。大切なことは、たとえ支援が途絶えてもずっと続けていけるような “システム” と “人材” を育てること、それもICANの信念だ。


スタッフで看護士のマデットが言った。

「最初は本当に大変だったのよ。お母さん達の理解を得るのが。ゴミ山に行けば多少なりともお金が稼げるけど、ここでのボランティアはお金にならないし会議も多くて時間もとられる。でも何とか少しずつ診療所の大切さを理解してもらって、今では10人以上がヘルスボランティアとして働いてくれてるの。彼女たちがまた他のお母さんたちを教育して、子育ての責任や病気の知識を広げていくことが大切なのよ。」


ゴミ山の悪臭に耐え、貧困に耐えて生きてきた母親たちが、少しでも自分たちの状況を変えようと力を合わせている。
その姿は本当にたくましくハツラツとしていて、辛いこともたくさんあるだろうに、皆そろってとてもいい笑顔を見せてくれる。

私がもしここに生まれ育っていたら、同じように強く生きられるだろうか・・・。
そんな疑問がふと頭をよぎる。



「私たちはみんな貧乏なのよ。でも、私の子どもも診療所のおかげで助かったからね。」

ボランティアのお母さんが言った。

きっと世の中には、変えたいと願って変わらないものなんてひとつもない。
ただ、人の意識を変え、仲間を増やし、時間をかけて続けることが難しいだけだ。



ゴミ山と闘うお母さんたちを尊敬し、そのきっかけが日本人であることを誇りに思う。

応援するしかできない私は、精一杯声を張り上げて応援をしよう。
それがどんなに日本の生活とはかけ離れていても、彼女たちの問題は世界の政治や経済を巡り巡って、どこかで私自身とつながっているはずだから。