アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

エコツーの可能性と先住民族

2008-08-30 | その他の国の旅
どこかで誰かが言った。

「これからは、ツーリズムが世界を救うんだ。」


田舎にスポットを当てた“エコツーリズム”は、第1次産業以外の収入が少ない地域経済を潤し、都会ばっかりが格好いいんじゃないことを訪れた人々に教えてくれる。
ボルネオ島で目の当たりにした森林伐採からも、“人が住んでいること”自体が、その地域の自然環境を守ることにつながるんだと知った。そしてそのためには、若い世代がそこに住み続けられる “理由” が必要なことも同時に学んだ。


ここスリランカに暮らす唯一の先住民族・Vadda族は、元々はジャングルを転々としながら狩猟生活を営んでいたらしいが、今では国の自然保護政策によって狩猟は制限され、更に先住民族の文化を目玉にした観光業が政府の支援によって促進されている。

彼らもやはり、そうしたツーリズムに期待を寄せているんだろうか。


村の長老・Wninelatho氏に話を聞くことができた。


私「こうして村が観光地化されることに対してどう思っていますか?」

長老「観光地化することは、Vadda族の若者にとってあまり良くないと考えている。なぜなら若者が観光客に接触することで彼らはますます現代社会への憧れをもち、村を離れていくからだ。」

私「でも実際には観光業が村の大きな収入源になっているのではないですか?」

長老「国の政策でそうせざるを得なくなっているだけだ。現金を得るということは、逆に若者が村を離れるのを促すことになる。」





そうか、と思った。
私が安易に抱いていたエコツーリズムに対する期待はあっさりと打ち砕かれたわけだ。

事実、政府が村の一角につくった“先住民族資料館”らしき建物ではVadda族のひとりが白い石でアクセサリーをつくって売っていたが、彼はちっとも楽しそうではなく、訪れていた団体客相手に笑みを浮かべていたのは地元の旅行会社くらいのものだった、ように私には映った。


例えばVadda族の若者が自らエコツーリズムの運営に立ち上がったりしたら、村の状況や観光に対する何かが変わったりするんだろうか・・・。

何をするにも、やり方次第なんだろうな。



村を離れるとき、彼らがチューインガムのように常に口にしているらしい真っ赤な木の実と、それによって赤く染まった彼らの口元がやけに印象に残った。
私はそれらを、ちょっと怖いと思っていた。