先週から急遽、RQに来ています。
臨時事務ヘルプで約10日間のステイ。
被災地ボランティアの「今」はどうなっているのか?
…と思われる人は多いでしょうけど、これがなかなか上手く説明できなくて、我ながらはがゆい思いです。
被災地自体の景色は去年とあまり変わっていなくて、
たまに社協のボランティアが大勢で清掃作業をしてるのを見かけます。
RQはというと、そうした「いかにも災害ボランティア」の活動は少なくなって、
今は、農地再生(石ころ拾い)・こどもの遊び場管理・夏キャンプの準備などなど、各RQ拠点団体が独自に活動を展開→そこに直接ボランティア参加を申し込む、という流れになっています。
それで、現時点でいう「事務局」とは、宿泊に関する事務・管理の仕事。
去年は毎日100人以上が寝泊まりしていた旧鱒淵(マスブチ)小学校の校舎を、今は1泊1500円で滞在可能にしているのであります。
もちろん、去年の上半期のような体育館でテント張りスタイルではなく、教室でマット&布団で雑魚寝スタイル。
食事は2食、なかなか栄養豊富な食事が出るし、シャワーも完備されているので、まぁ、1500円はおトクでしょう。
で。
事務で来てるのに事務仕事が苦手な私。
料理も苦手。
早寝早起きもツライ。
掃除は一応がんばりますけど…。
…とダメダメだらけの私の元に、「パソコン教室やってくんねか?」という話が来ました。
去年8月まで、ココ旧鱒淵小校舎で避難生活をしていた中瀬町地区の区長さんから。
「いいですよ~!」と水を得た魚のように二つ返事して、早速仮設集会所に飛んでいきました。
(中瀬町地区の仮設集会所)
ちなみにワード/エクセルは全く得意ではないけれど、基本的な操作くらいなら教えられるもんね。
この「基本操作を教える」という難しさを、後にほとほと痛感することになるのですけれど。
♦
それでですね、本題はこれから。
この中瀬町の人たちと、昨日、「ホタル交流会」なるものを開きました。
車で45分ほどの場所にある仮設住宅から鱒淵小に来てもらい、去年を懐かしんでもらいながらホタルを鑑賞しようという企画。
鱒淵の地元の人の提案にRQが協力したという形です。
そして当日。
中瀬町の人達15人を迎えに行くと、皆さんすっかり遠足気分で盛り上がっていらっしゃる。
まず鱒淵小近くにある華足寺(けそくじ)にお参りして、そこの馬頭観音にまつわる話を聞き、去年よく散歩に行かれたという近くの公園に寄ってから小学校校舎へ。
皆さん口々に「なつかしいねぇ~」「ここも来たよぉ」「車だと早いねぇ」などと話していました。
ちなみにちなみに。
この華足寺は、馬が交通手段として貴重だった頃に栄えたお寺。
なんと807年に坂上田村麻呂が建立したのが起源で、明治時代の春の例大祭には、関東~東北から5千頭もの馬が曳かれて来たんだそうです。
地元の人いわく、
「今は馬が少なくなったけども、馬は健康な足の象徴だもんでね、これからは「健足」と「交通」の神様としてアピールしていきたいと思います」とのこと。
何はともあれ、ウマ好きにはたまらん、必見のお寺です。
♦
もうひとつ、この地域で有名なのがホタル。
源氏ボタルが見られる北限の地で、国の天然記念物にも指定されているほどです。
先週がちょうどピークだったようですが、今年は寒かったために数は少なめだったみたい。残念。
(シーズン中は毎日、保存会の人達がホタル数を数えている!)
それでも、中瀬町の人達が川辺に着く頃には雨も上がり、淡い光の粒がちらほら…。
皆さん思いのほか大喜びして、傘でホタルを捕まえる人、ホタルを追いかける人など、同行した私の方が嬉しくなる程の盛り上がり。中には、去年は皆と別の地域に避難していたからホタルを見られなかったという人もいて、「念願のホタルが見れてよかったねぇ」と話していました。
♦
そんなこんなで楽しい時間を過ごした中瀬町の人たち。
帰りの車中も上下(かみ・しも)いろんな話が飛び交い、車が揺れるほど大笑いしながら仮設住宅に帰りました。
その会話の一部はこんな感じ。
(助手席の人)「意味わかるかい?」
(私) 「いや、分かりませんねぇ」
(助手席の人)「ほら、運転手さんが何言ってるか分からないってよー」
(後ろの人)「分からない方がいいっちゃー(笑)」
(助手席の人)「なんて通訳したらいいんか…」
(後ろの人)「いわゆるシモネタってやつよー(笑)」
実際、地元の人同士が方言で喋っていると、聞き取れるのは3~4割程度。
まるで外国語のように聞こえるその会話を、同じように喋りたいなぁ~、一緒に喋れたら楽しいだろうになぁ~と指をくわえる思いで聞くのは、ある意味ヨソモノならではの愉しみです。
なぜって、言葉が分からないと想像力が働くからね。
皆さんの表情、言葉の投げ具合、空気感、そういったものをぼんやり眺めるのは、とても微笑ましくて楽しいものです。
それにしても、4ヶ月以上を一緒に避難生活した中瀬町の人たちは、実に一体感がある。
以前は、町の外れに住んでいた人たちは特に、町内会との接点はあまりなかったそう。しかも新興住宅が多い地域らしく、もともと農業や漁業で共同作業をしていた訳でもありません。
にも関わらず今の状況になれたのは、なんとしても地域ごと同じ避難所に移ろうと努力された区長さん達のおかげでしょう。そして仮設住宅も、集団移転も、「みんなで一緒に」を第一に行政との交渉など進めてきました。
「みんなの顔を見るだけで安心すんだよねー」
助手席に座っていたSさんが、しみじみと言った言葉です。
つらい時こそ、手をつなごう。
臨時事務ヘルプで約10日間のステイ。
被災地ボランティアの「今」はどうなっているのか?
…と思われる人は多いでしょうけど、これがなかなか上手く説明できなくて、我ながらはがゆい思いです。
被災地自体の景色は去年とあまり変わっていなくて、
たまに社協のボランティアが大勢で清掃作業をしてるのを見かけます。
RQはというと、そうした「いかにも災害ボランティア」の活動は少なくなって、
今は、農地再生(石ころ拾い)・こどもの遊び場管理・夏キャンプの準備などなど、各RQ拠点団体が独自に活動を展開→そこに直接ボランティア参加を申し込む、という流れになっています。
それで、現時点でいう「事務局」とは、宿泊に関する事務・管理の仕事。
去年は毎日100人以上が寝泊まりしていた旧鱒淵(マスブチ)小学校の校舎を、今は1泊1500円で滞在可能にしているのであります。
もちろん、去年の上半期のような体育館でテント張りスタイルではなく、教室でマット&布団で雑魚寝スタイル。
食事は2食、なかなか栄養豊富な食事が出るし、シャワーも完備されているので、まぁ、1500円はおトクでしょう。
で。
事務で来てるのに事務仕事が苦手な私。
料理も苦手。
早寝早起きもツライ。
掃除は一応がんばりますけど…。
…とダメダメだらけの私の元に、「パソコン教室やってくんねか?」という話が来ました。
去年8月まで、ココ旧鱒淵小校舎で避難生活をしていた中瀬町地区の区長さんから。
「いいですよ~!」と水を得た魚のように二つ返事して、早速仮設集会所に飛んでいきました。
(中瀬町地区の仮設集会所)
ちなみにワード/エクセルは全く得意ではないけれど、基本的な操作くらいなら教えられるもんね。
この「基本操作を教える」という難しさを、後にほとほと痛感することになるのですけれど。
♦
それでですね、本題はこれから。
この中瀬町の人たちと、昨日、「ホタル交流会」なるものを開きました。
車で45分ほどの場所にある仮設住宅から鱒淵小に来てもらい、去年を懐かしんでもらいながらホタルを鑑賞しようという企画。
鱒淵の地元の人の提案にRQが協力したという形です。
そして当日。
中瀬町の人達15人を迎えに行くと、皆さんすっかり遠足気分で盛り上がっていらっしゃる。
まず鱒淵小近くにある華足寺(けそくじ)にお参りして、そこの馬頭観音にまつわる話を聞き、去年よく散歩に行かれたという近くの公園に寄ってから小学校校舎へ。
皆さん口々に「なつかしいねぇ~」「ここも来たよぉ」「車だと早いねぇ」などと話していました。
ちなみにちなみに。
この華足寺は、馬が交通手段として貴重だった頃に栄えたお寺。
なんと807年に坂上田村麻呂が建立したのが起源で、明治時代の春の例大祭には、関東~東北から5千頭もの馬が曳かれて来たんだそうです。
地元の人いわく、
「今は馬が少なくなったけども、馬は健康な足の象徴だもんでね、これからは「健足」と「交通」の神様としてアピールしていきたいと思います」とのこと。
何はともあれ、ウマ好きにはたまらん、必見のお寺です。
♦
もうひとつ、この地域で有名なのがホタル。
源氏ボタルが見られる北限の地で、国の天然記念物にも指定されているほどです。
先週がちょうどピークだったようですが、今年は寒かったために数は少なめだったみたい。残念。
(シーズン中は毎日、保存会の人達がホタル数を数えている!)
それでも、中瀬町の人達が川辺に着く頃には雨も上がり、淡い光の粒がちらほら…。
皆さん思いのほか大喜びして、傘でホタルを捕まえる人、ホタルを追いかける人など、同行した私の方が嬉しくなる程の盛り上がり。中には、去年は皆と別の地域に避難していたからホタルを見られなかったという人もいて、「念願のホタルが見れてよかったねぇ」と話していました。
♦
そんなこんなで楽しい時間を過ごした中瀬町の人たち。
帰りの車中も上下(かみ・しも)いろんな話が飛び交い、車が揺れるほど大笑いしながら仮設住宅に帰りました。
その会話の一部はこんな感じ。
(助手席の人)「意味わかるかい?」
(私) 「いや、分かりませんねぇ」
(助手席の人)「ほら、運転手さんが何言ってるか分からないってよー」
(後ろの人)「分からない方がいいっちゃー(笑)」
(助手席の人)「なんて通訳したらいいんか…」
(後ろの人)「いわゆるシモネタってやつよー(笑)」
実際、地元の人同士が方言で喋っていると、聞き取れるのは3~4割程度。
まるで外国語のように聞こえるその会話を、同じように喋りたいなぁ~、一緒に喋れたら楽しいだろうになぁ~と指をくわえる思いで聞くのは、ある意味ヨソモノならではの愉しみです。
なぜって、言葉が分からないと想像力が働くからね。
皆さんの表情、言葉の投げ具合、空気感、そういったものをぼんやり眺めるのは、とても微笑ましくて楽しいものです。
それにしても、4ヶ月以上を一緒に避難生活した中瀬町の人たちは、実に一体感がある。
以前は、町の外れに住んでいた人たちは特に、町内会との接点はあまりなかったそう。しかも新興住宅が多い地域らしく、もともと農業や漁業で共同作業をしていた訳でもありません。
にも関わらず今の状況になれたのは、なんとしても地域ごと同じ避難所に移ろうと努力された区長さん達のおかげでしょう。そして仮設住宅も、集団移転も、「みんなで一緒に」を第一に行政との交渉など進めてきました。
「みんなの顔を見るだけで安心すんだよねー」
助手席に座っていたSさんが、しみじみと言った言葉です。
つらい時こそ、手をつなごう。