アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

平和のカタチ

2012-09-01 | こどもたちのアジア連合

Kids'AU(こどもたちのアジア連合) の活動に本腰を入れ始めたのは、今年に入ってからのこと。
“違いを豊かさに”という理念に共感して3年前から関わるようになったものの、それまでは第3者的な気分が抜けなかった。

Kids'AUが活動の舞台にしている北東アジアは、実は私が最も苦手としている地域だった。
旅人や慈善活動好きを魅了するのは、大抵、南の国々。「どんなに貧しくても輝く笑顔」…というようなありきたりの表現は、裸足で駆け回る南国の元気な子ども達に最もよく似合う。

北東アジアというのは、どちらかというと「競争相手」のイメージなのかもしれない。
天候的にも、年の半分近くはグレーな曇り空が広がっているせいか全体として薄暗いイメージがつきまとう。
もちろん、歴史的・政治的なイザコザが与えるイメージが根底にはある。

Kids'AU代表の村上氏といろいろな話をする中で、私はKids'AUに対する信頼と北東アジアに対する認識を深めていった。それに加えて、仲間がいるという有り難さを身をもって感じるようになった。

けれど、何はともあれ私が最も惹かれたKids'AUの面白みは、実はもっと人間の本質的な部分に関わっている。

これは対外的にはまだあまり打ち出していない事実なのだが、
Kids'AU各国の代表は、社会の中で「マイノリティ」に属する人がほとんど。つまり、その国のメジャーな民族ではなく、マイナーな民族出身の人でKids'AUのネットワークはつくられている。
たとえば…、モンゴルの代表はモンゴルでは少数のブリアット族の人、中国の代表はモンゴル族の人、ロシアの代表はアジア系のブリアット族の人、北朝鮮の代表は在日朝鮮の人、日本代表にも朝鮮族の血が入っているし、韓国の代表も、民族的にはメジャーだけれど特異な生い立ちを持っている。

このことが何を意味するかというと、活動をつくり出している人たちが最も「多様性」の大事さを痛感し、アジアの「平和」を希求しているということ。Kids'AUの活動は何の利益にもならないのに、彼らが不思議なほど熱心に活動を続けるのは、そうした自らの視点と体験がもとになっているに違いないと私は思う。


今年のモンゴルキャンプは、だだっ広い草原の真ん中で行われた。

こどもたちは、自然と輪になってサッカーや大縄跳びやバレーボールを楽しんでいた。

村上代表がよく口にする言葉のひとつに、「平和の風景」というものがある。これまで今ひとつピンときていなかったのだけれど、こどもたちが遊び回る草原に佇んだとき、初めて「このことだったのかぁ…」と納得することができた。
それはまるで目から入った幸せな光景が神経やリンパ腺や骨や筋肉を伝って全身に染み渡っていくような感覚で、言葉にするより先に、ただひたすら心地よさに包まれる感じ。そこに濃く鮮やかな橙色の夕日が重なって、なんとも言いようのない幻想的な世界が広がっていた。






こどもの頃Kids'AUキャンプに参加した子が、今では大学生になっている。
今回ボランティアスタッフとして参加してくれた韓国人OBの女の子が言った。
「こういう場所が、常に、アジアのどこかにあったらいいのにと思う」

引率で来られた在日朝鮮学校の先生はこんな風に言っていた。
「居心地がいいんですよ、とにかく、驚きました。無駄にがんばらなくていいというのかな」

“自分は回りの人と違う”と感じる経験は、多分、民族的マイノリティじゃなくても、人生1度はあるんじゃないかと思う。
その時、それを良しとするか、悪しとするか。
徹底的に“良し”とするのがKids'AUで、そこに来れば、どんなに弱気になっていても、“いいんだよ、そのままで”と肩を叩いてくれる、…韓国の子が言う“こういう場所”とは、そんな場所のことだと思う。そしてその場所は、とても居心地がいい。


折しもこんな社会情勢の時に集った、北東アジア各国のこどもたち。
恥ずかしながら中国や韓国に対してカチコチに凝り固まっていた私の頭は、キャンプ2日目には爽快なまでに溶けほぐれていた。韓国の子が積極的に話しかけてきたり、中国の子と日本の子が数字の発音を教え合ったりしている姿を発見して、ほろりと涙がこみあげたりもした。

日本のこどもたちは、何をどんな風に感じただろう。
今はまだ言葉にならないことが、たくさんたくさんあるはず。
それらがカタチになるのは、5年後かな、10年後かな。

いつかの新聞に書いてあった。
“戦争を始めるのは簡単だが、後始末には何倍もの時間がかかるということを、私たちは覚えておいた方がいい”

きっと、その後の平和をつくるのは、もっと膨大な時間と努力が必要になる。
Kids'AUのような微細な活動は、もしかしたら焼け石に水かもしれないけどね。
それでも何もしないでいるよりは、百万倍マシだと信じたい。少なくともこれまでに参加した約500人のこどもたちは、参加しなかった子に比べれば何かしらの気づきを得られたはずだし、私自身に関しても、一人でジタバタとあがいているよりは遥かに大きな成果を残せるはずだから。

物理的に全く壁がない大草原でこどもたちが笑い転げて遊んだように、一人でも多くのこどもが、壁のない大きな心を育んでくれたらいいなと願っている。