今日、「なんで写真を始めたの?」って聞かれて、Kさんのことを思い出した。
あの頃わたしが撮っていた「のりさんとわたし」という作品を褒めてくれたのは、Kさんだけだった。
癌になって、亡くなってしまったけれど。
「君の写真に、惚れたんだよね」
そう言って、照れくさそうに横を向いた。
あれは名古屋から東京に向かう新幹線の中だった。
誰かに理解されよう、とか、これは価値あることだろうか、とか、ましてや賞を狙ってやろうとか、そういうことを考えてるうちは、きっとダメなんだろうと思う。
あの頃のわたしは、Kさんのその一言だけで、充分だった。
その後「のりさんとわたし」はCanon写真新世紀で佳作をとり、一応、日の目をみた。
自分は何をやりたいのか、悶々とする日が続いている。
軽い悶々も含めれば、かれこれ3~4年。いや、4~5年かも。
いまだ、見つけられずにいる。
わたしは臆病者で、中途半端で、求めてばかりの人間だと、「のりさんとわたし」をつくる過程でも、確か思い知ったはずだった。
そのことを、一連の作品の中で表現したんだった。そういえば。
そのためにわたしはヌードになり、カメラを自分に向けて、撮ったんだ。
セルフヌードが流行っていたこともあったけれど、自問自答した結果、やはりヌードの写真は外せなかった。
のりさんとわたしの葛藤の記録を残すことに、とにかく必至だったから。
いま。
わたしはのりさんのヘルパーを外れ、Kさんもいなくなって、それでも一応、社会人ぶって毎日を過ごしている。
カメラは続けているけれど、作品はつくっていない。
カメラは仕事の道具で、趣味や自己表現だとはあまり思っていない。
だけどふとKさんを思い出したら、また、何にもとらわれないで、自分の思うままに、やってみたくなった。
自信はないけれど、もしかしたら、また途中で自信が生まれてくるかもしれないし。
どうせ自由奔放に生きてるんだから、今さら怖がったって仕方ないんだし。
このまま心が無になっていったら、もっと、原点に戻れるような気がする。
Kさん、ありがとう。
わたしの中で生きていてくれて。
(「のりさんとわたし」より)