アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

原点

2013-06-01 | 2013年たわごと

今日、「なんで写真を始めたの?」って聞かれて、Kさんのことを思い出した。

あの頃わたしが撮っていた「のりさんとわたし」という作品を褒めてくれたのは、Kさんだけだった。

癌になって、亡くなってしまったけれど。

 

「君の写真に、惚れたんだよね」

そう言って、照れくさそうに横を向いた。

あれは名古屋から東京に向かう新幹線の中だった。

 

誰かに理解されよう、とか、これは価値あることだろうか、とか、ましてや賞を狙ってやろうとか、そういうことを考えてるうちは、きっとダメなんだろうと思う。

 

あの頃のわたしは、Kさんのその一言だけで、充分だった。

 

その後「のりさんとわたし」はCanon写真新世紀で佳作をとり、一応、日の目をみた。

 

自分は何をやりたいのか、悶々とする日が続いている。

軽い悶々も含めれば、かれこれ3~4年。いや、4~5年かも。

 

いまだ、見つけられずにいる。

 

わたしは臆病者で、中途半端で、求めてばかりの人間だと、「のりさんとわたし」をつくる過程でも、確か思い知ったはずだった。

そのことを、一連の作品の中で表現したんだった。そういえば。

 

そのためにわたしはヌードになり、カメラを自分に向けて、撮ったんだ。

セルフヌードが流行っていたこともあったけれど、自問自答した結果、やはりヌードの写真は外せなかった。

のりさんとわたしの葛藤の記録を残すことに、とにかく必至だったから。

 

いま。

わたしはのりさんのヘルパーを外れ、Kさんもいなくなって、それでも一応、社会人ぶって毎日を過ごしている。

カメラは続けているけれど、作品はつくっていない。

カメラは仕事の道具で、趣味や自己表現だとはあまり思っていない。

 

だけどふとKさんを思い出したら、また、何にもとらわれないで、自分の思うままに、やってみたくなった。

自信はないけれど、もしかしたら、また途中で自信が生まれてくるかもしれないし。

どうせ自由奔放に生きてるんだから、今さら怖がったって仕方ないんだし。

 

このまま心が無になっていったら、もっと、原点に戻れるような気がする。

 

Kさん、ありがとう。

わたしの中で生きていてくれて。

 

 

 

(「のりさんとわたし」より)