ボルネオ→KLに向かう機内にて。
言葉のない空間を彷徨っている。
何と書いていいのか。
心臓の辺りを手探るけれど、とても見当たりそうにない。
しばらく放置した方がいいだろうか。
それとも何か言葉を紡ぐ努力をすべきだろうか。
とにかく心臓の辺りは真空で、涙がこみ上げる前の感じが続いている。
だけど色を付けるなら、寒色ではなく暖色。
とてもあたたかい。
幸せという概念を有形にして、かつ身体で感じられるようにしたらきっとこんな風になる。
わたしは完全に、一線を越したのだと思う。
再び、何をすべきか考える。
後戻りはできない。
このまま前に進むために、具体的に何をすべきか。
選んだ道を振り返りながらこれまで恐る恐る進んできたけれど、もう怖れる必要はないんだ。
全く、怖れる必要なんかない。
ただそれだけのことが、どんなに嬉しいか。
わたしはもう、怖れなくていい。
アジアの戦後史を描く旅エッセイを、来年、なんとしても仕上げようと思っている。
あまりに壮大なテーマで頭がくらくらするけれど、何はともあれ、来年というタイミングを逃すわけにはいかない。
できる範囲で、全力を振り絞る。
そのために必要なものは、お金よりも、英語力よりも、精神力なんだろう。
けれどきっと各国のソウルメイト達が、わたしの弱さをカバーしてくれる。
そう信じられるからこそ、わたしは思い切ってスタートを切れるんだ。
一人ではすぐにくじけてしまうから。
まずすることは、取材地を選定するための勉強。
次に、取材を進めながら企画書を売り込むこと。ちゃんと出口を確保しなければいけない。
そして、既存の旅エッセイをたくさん読んで、自分の書き味を定めること。
そこまでできたら、あとはひたすら書くことに専念すればいい。
幸運にもわたしには信頼できるアドバイザーがいて、心から応援してくれる人たちもいて、かつ、バイト先を相談できたり長期的な仕事を一緒に模索できる人もいる。
こんなに強力な人脈は、未だかつてなかったんじゃないの。
たくさんの人に抱かれて、今のわたしは生きている。
だからがんばれるし、がんばらなくてはいけない。
それって、怒りをエネルギーに替えて闘うのとは全く正反対のサイクルだ。
そんなエネルギー変換がまさかわたしに可能だなんて、数年前までは思ってもみなかった。
人生というのは、まこと不思議だと思う。