プナン族の家族がハンティングに出かけるというので、着いていくことにした。
隣村のPa’ Lunganから戻った翌日のことでいささか疲れていたけれど、又とないチャンスだと思い、自らの体力の限界に挑戦!・・・とはじめから意気込んでいたのなら良かったのだが、「まぁせいぜい1~2時間の道のりだ」と聞かされていた(もしくは聞き間違えていた)ので、ほんの軽い気持ちで同行を決意したのだった。
誘ってくれたのは、ホームステイ先の家主でリアンのお父さん、デイビッド。
「僕は年寄りだから歩くのが遅い。僕と一緒に来れば大丈夫だよ。」
そして私たちはジャングルに分け入り、冒険は始まった。
Bario村を出てしばらく歩くと、だだっ広いバッファローの放牧地がある。そこを横断するように突っ切った先に、突然ジャングルの入り口は現れた。
どんどん狭くなっていくけもの道。
雨が降り出し、カッパを羽織る。
ところどころでは、木が荒々しく切り倒されて道がつくられていた。茶色く濁った川にはただ一本の丸太や竹がかけられていて、下を見ないように真っすぐ前を向き、そろりそろりとバランスをとって渡った。
森の様相は場所によって大きく異なる。細くて低い木ばかりのところもあれば、まさしくジャングルといった雑多で深い森が続くところもある。
ブッシュをかき分け、横たわる大木を乗り越える。けもの道は次第に小川に変わり、聞こえてくるのはビチャビチャという自分の足音だけ。水をしたためた粘土質の赤い土と、白くて砂状の柔らかい土がぐちゃぐちゃになって足元をすくう。もはや、靴や靴下やズボンの裾など気にしていられなくなる。
「もしかして・・・、来ちゃった?私???」
進んでも進んでも更に奥へと続いているけもの道をひたすら歩きながら自分に問いかけた。
“これは・・夢?・・・それとも罰ゲーム? っていうか、マジ???”
彼らが目指した目的地までは、結局5時間の道のりだった。しかも休憩は1回のみという超ハードウォーキングで。(3回の休憩込みで4時間かかったPa’ Lunganまででさえ相当キツかったのに!)
ちなみにプナン族の彼らだけだったら、2時間で到着しているところだという。ジャングルに育てられた強靭な足腰に、乾杯。。。
着いた先は、デイビッドの別荘ほか5棟ほどの小屋が建ち並ぶPa’ Berang (パバラン) という場所だった。
+++++++++++++++++++++++++++++++
プナン族、正確には Penan族の人たちは、家族単位で森の中に住んでいる。
生活の中心は “狩り”で、獲物を求めて移動するのが常だという。
デイビッドによると、プナンの人口は約1万人ほど。Barioなどの村で暮らしているクラビット族が約5~6千人だというから、その2倍近くの人口がジャングルに点在していることになる。
私が体力を押し切って彼らに同行したのは、何を隠そう彼らにインタビューを申し込む絶好のチャンスだと思ったからだ。
木材の伐採企業に抵抗し続けている彼らの言い分や状況について。またジャングルでの生活を貫くポリシーについて・・・。
私が日本を発つ前、インターネットで知り得たニュースには、こんな記事が載っていた。
『2007年3月、マレーシア・サラワク州の熱帯雨林に住むプナン民族は、マレーシアのサムリン社による伐採に抗議するため、再び道路封鎖を設置した。』by ブルーノ・マンサー財団
つまりプナン族の人たちは、1980年代から伐採操業を阻止するための道路封鎖を度々行っていて、伐採企業やマレーシア政府との対立が続いているのだという。
(参考:http://www.jca.apc.org/jatan/trade/malaysia.htm 、http://www.kiwi-us.com/~scc/ )
ちなみにここでいう『プナン』とは Punan族のことで、私が同行した Penan族とは異なる民族らしい。が、いずれもジャングルで狩りを中心に生活していることに違いはなく、伐採による被害を被ってることも変わらない。
彼らの生活圏であり生活の全てでもある熱帯雨林を荒らし、資源を奪い取ろうとする伐採企業。彼らは当然、並々ならぬ怒りと不満を抱いているに違いない・・・と、私は安易に想像した。
そしてその背景にいる私たち先進国の人間に対しても、もしかしたら強い憤りを感じているかもしれない。私たちは何も知らずに、相変わらず輸入材を大量消費しているけれど・・・。
+++++++++++++++++++++++++++++++
翌日の朝。
デイビッドの通訳の元、インタビューは実現した。
答えてくれたのは、一家の主である父親のタマ・ライ氏。
私「伐採企業との対立は、今どんな状況なんですか?」
タ「対立している地域もあるけれど、ここにはまだ来ていないよ。」
私「もしここにも伐採の手が回ってきたら?」
タ「どうしようもない。どう対抗すればいいのか僕たちには術がないよ。」
私「話し合いや交渉はしないんですか?」
タ「しているよ。伐採企業と対立している地域では、開発の見返りに現金を要求しているんだ。じゃないと我々は生活ができない。でも彼らは金は一切払わないんだよ。」
ダムをつくるときでも何でも、立ち退きを要求する場合には金の交渉で決着をつけるのがフツウだ。けれどここでは、かつては各民族が保有していた土地の所有権が、国の政策で一気に国に委譲されたため、定住していないプナン族の人たちは特にとても弱い立場に追い込まれている。
私「そうすると、お金さえもらえれば伐採は許されるということですか?」
タ「そうだね。でも彼らは絶対に金は払わないよ。」
「そうだ、払わない。1万人いるプナン人全てに金を払うなんてことはしないよ。」
デイビッドが口を添えた。
私「では、ジャングルで生活し続けているポリシーは何ですか?なぜ定住せずに、ワイルドな生活を続けるんですか?」
私は、きっと彼らにとっては失礼にあたるだろう質問を、恐る恐る投げかけてみた。
ちょうどこのハンティングツアーに出かける前日のこと、ダイニングで一緒にテレビを見ていたリアンがぼそっとこんなことを言い出した。
「プナン族の人たちは頑ななんだ。時代は常に変わっているのに、彼らは一向に変わろうとしない。国の支援を自ら断っているから健康面や衛生面で未だに多くの問題を抱えているし、教育さえ受けようとしないから交渉の仕方を知らないんだ。僕らクラビット族はいつだって彼らをサポートしようとしているのに、彼らは聞かないんだよ。考え方が古いんだ。」
実際リアンたち家族はタマ・ライ一家を度々食事に招き、古着を分け与え、彼らとのコミュニケーションを図りながらできるだけの支援や助言をしていた。それでも彼らは森での生活を選び、息子たちは学校に行くことを拒み続けている。
タマ・ライ氏は言った。
「変えたいんだよ。今の生活を変えて、便利な生活をしたい。でもどうやって変えたらいいかが分からないんだ。」
先祖代々、何百年にも渡って森での生活を営んできた。
例え有り余る程のお金をもらい「ここに定住すればいい」と言われても、 きっと彼らにとって生活基盤を変えることは、そう容易いことではないのだろう。
「熱帯雨林の伐採に関しては、どの民族も同じように反対しているんだ。ただプナン族だけが、交渉の術を知らないが故に過激な行動に出て、マスコミなんかの注目を浴びてるんだよ。」
リアンの言葉が重く頭に響いた。
変わりたい気持ちと、変わりたくない気持ち、変われない現実、変わることへの怖さ・・・。
プナン族の人たちは、「怒り」や「不満」よりも、もしかしたら何にも増して「困惑」しているのかもしれない。
そして私も同じく「困惑」していた。
ジャングルの中で暮らす彼らの生き方を心から尊敬する一方で、事実、その生活を脅かす側の大量消費国家に私は生きている。熱帯雨林の開発や違法伐採を続ける企業を非難はするものの、何をどうすればいいのか、具体的な行動は何ひとつできていない。
そして何より、企業への抗議活動を続ける彼らに “ジャングルでの生活を変えてほしくない” もしくは “変わりたいなんて思ってほしくない” と思っている自分が、なんだかとても無責任な人間のように思えた。
だけど何となく、ぼんやりと思うことがある。
「困惑」している状態は少なくともマイナスではない。安易に割り切ってしまうよりも、ましてや答えを出すことを諦めてしまうよりも、「困惑」しながら前に進むことは、答えを出すまでの大事な過程に違いない。
彼らがこの先どんな風に自分たちの生活を守り、どんな風に変化を受け入れていくのか。
私も、私にできることを根気づよく探しながら、現実と向き合わなきゃな、と思う。
隣村のPa’ Lunganから戻った翌日のことでいささか疲れていたけれど、又とないチャンスだと思い、自らの体力の限界に挑戦!・・・とはじめから意気込んでいたのなら良かったのだが、「まぁせいぜい1~2時間の道のりだ」と聞かされていた(もしくは聞き間違えていた)ので、ほんの軽い気持ちで同行を決意したのだった。
誘ってくれたのは、ホームステイ先の家主でリアンのお父さん、デイビッド。
「僕は年寄りだから歩くのが遅い。僕と一緒に来れば大丈夫だよ。」
そして私たちはジャングルに分け入り、冒険は始まった。
Bario村を出てしばらく歩くと、だだっ広いバッファローの放牧地がある。そこを横断するように突っ切った先に、突然ジャングルの入り口は現れた。
どんどん狭くなっていくけもの道。
雨が降り出し、カッパを羽織る。
ところどころでは、木が荒々しく切り倒されて道がつくられていた。茶色く濁った川にはただ一本の丸太や竹がかけられていて、下を見ないように真っすぐ前を向き、そろりそろりとバランスをとって渡った。
森の様相は場所によって大きく異なる。細くて低い木ばかりのところもあれば、まさしくジャングルといった雑多で深い森が続くところもある。
ブッシュをかき分け、横たわる大木を乗り越える。けもの道は次第に小川に変わり、聞こえてくるのはビチャビチャという自分の足音だけ。水をしたためた粘土質の赤い土と、白くて砂状の柔らかい土がぐちゃぐちゃになって足元をすくう。もはや、靴や靴下やズボンの裾など気にしていられなくなる。
「もしかして・・・、来ちゃった?私???」
進んでも進んでも更に奥へと続いているけもの道をひたすら歩きながら自分に問いかけた。
“これは・・夢?・・・それとも罰ゲーム? っていうか、マジ???”
彼らが目指した目的地までは、結局5時間の道のりだった。しかも休憩は1回のみという超ハードウォーキングで。(3回の休憩込みで4時間かかったPa’ Lunganまででさえ相当キツかったのに!)
ちなみにプナン族の彼らだけだったら、2時間で到着しているところだという。ジャングルに育てられた強靭な足腰に、乾杯。。。
着いた先は、デイビッドの別荘ほか5棟ほどの小屋が建ち並ぶPa’ Berang (パバラン) という場所だった。
+++++++++++++++++++++++++++++++
プナン族、正確には Penan族の人たちは、家族単位で森の中に住んでいる。
生活の中心は “狩り”で、獲物を求めて移動するのが常だという。
デイビッドによると、プナンの人口は約1万人ほど。Barioなどの村で暮らしているクラビット族が約5~6千人だというから、その2倍近くの人口がジャングルに点在していることになる。
私が体力を押し切って彼らに同行したのは、何を隠そう彼らにインタビューを申し込む絶好のチャンスだと思ったからだ。
木材の伐採企業に抵抗し続けている彼らの言い分や状況について。またジャングルでの生活を貫くポリシーについて・・・。
私が日本を発つ前、インターネットで知り得たニュースには、こんな記事が載っていた。
『2007年3月、マレーシア・サラワク州の熱帯雨林に住むプナン民族は、マレーシアのサムリン社による伐採に抗議するため、再び道路封鎖を設置した。』by ブルーノ・マンサー財団
つまりプナン族の人たちは、1980年代から伐採操業を阻止するための道路封鎖を度々行っていて、伐採企業やマレーシア政府との対立が続いているのだという。
(参考:http://www.jca.apc.org/jatan/trade/malaysia.htm 、http://www.kiwi-us.com/~scc/ )
ちなみにここでいう『プナン』とは Punan族のことで、私が同行した Penan族とは異なる民族らしい。が、いずれもジャングルで狩りを中心に生活していることに違いはなく、伐採による被害を被ってることも変わらない。
彼らの生活圏であり生活の全てでもある熱帯雨林を荒らし、資源を奪い取ろうとする伐採企業。彼らは当然、並々ならぬ怒りと不満を抱いているに違いない・・・と、私は安易に想像した。
そしてその背景にいる私たち先進国の人間に対しても、もしかしたら強い憤りを感じているかもしれない。私たちは何も知らずに、相変わらず輸入材を大量消費しているけれど・・・。
+++++++++++++++++++++++++++++++
翌日の朝。
デイビッドの通訳の元、インタビューは実現した。
答えてくれたのは、一家の主である父親のタマ・ライ氏。
私「伐採企業との対立は、今どんな状況なんですか?」
タ「対立している地域もあるけれど、ここにはまだ来ていないよ。」
私「もしここにも伐採の手が回ってきたら?」
タ「どうしようもない。どう対抗すればいいのか僕たちには術がないよ。」
私「話し合いや交渉はしないんですか?」
タ「しているよ。伐採企業と対立している地域では、開発の見返りに現金を要求しているんだ。じゃないと我々は生活ができない。でも彼らは金は一切払わないんだよ。」
ダムをつくるときでも何でも、立ち退きを要求する場合には金の交渉で決着をつけるのがフツウだ。けれどここでは、かつては各民族が保有していた土地の所有権が、国の政策で一気に国に委譲されたため、定住していないプナン族の人たちは特にとても弱い立場に追い込まれている。
私「そうすると、お金さえもらえれば伐採は許されるということですか?」
タ「そうだね。でも彼らは絶対に金は払わないよ。」
「そうだ、払わない。1万人いるプナン人全てに金を払うなんてことはしないよ。」
デイビッドが口を添えた。
私「では、ジャングルで生活し続けているポリシーは何ですか?なぜ定住せずに、ワイルドな生活を続けるんですか?」
私は、きっと彼らにとっては失礼にあたるだろう質問を、恐る恐る投げかけてみた。
ちょうどこのハンティングツアーに出かける前日のこと、ダイニングで一緒にテレビを見ていたリアンがぼそっとこんなことを言い出した。
「プナン族の人たちは頑ななんだ。時代は常に変わっているのに、彼らは一向に変わろうとしない。国の支援を自ら断っているから健康面や衛生面で未だに多くの問題を抱えているし、教育さえ受けようとしないから交渉の仕方を知らないんだ。僕らクラビット族はいつだって彼らをサポートしようとしているのに、彼らは聞かないんだよ。考え方が古いんだ。」
実際リアンたち家族はタマ・ライ一家を度々食事に招き、古着を分け与え、彼らとのコミュニケーションを図りながらできるだけの支援や助言をしていた。それでも彼らは森での生活を選び、息子たちは学校に行くことを拒み続けている。
タマ・ライ氏は言った。
「変えたいんだよ。今の生活を変えて、便利な生活をしたい。でもどうやって変えたらいいかが分からないんだ。」
先祖代々、何百年にも渡って森での生活を営んできた。
例え有り余る程のお金をもらい「ここに定住すればいい」と言われても、 きっと彼らにとって生活基盤を変えることは、そう容易いことではないのだろう。
「熱帯雨林の伐採に関しては、どの民族も同じように反対しているんだ。ただプナン族だけが、交渉の術を知らないが故に過激な行動に出て、マスコミなんかの注目を浴びてるんだよ。」
リアンの言葉が重く頭に響いた。
変わりたい気持ちと、変わりたくない気持ち、変われない現実、変わることへの怖さ・・・。
プナン族の人たちは、「怒り」や「不満」よりも、もしかしたら何にも増して「困惑」しているのかもしれない。
そして私も同じく「困惑」していた。
ジャングルの中で暮らす彼らの生き方を心から尊敬する一方で、事実、その生活を脅かす側の大量消費国家に私は生きている。熱帯雨林の開発や違法伐採を続ける企業を非難はするものの、何をどうすればいいのか、具体的な行動は何ひとつできていない。
そして何より、企業への抗議活動を続ける彼らに “ジャングルでの生活を変えてほしくない” もしくは “変わりたいなんて思ってほしくない” と思っている自分が、なんだかとても無責任な人間のように思えた。
だけど何となく、ぼんやりと思うことがある。
「困惑」している状態は少なくともマイナスではない。安易に割り切ってしまうよりも、ましてや答えを出すことを諦めてしまうよりも、「困惑」しながら前に進むことは、答えを出すまでの大事な過程に違いない。
彼らがこの先どんな風に自分たちの生活を守り、どんな風に変化を受け入れていくのか。
私も、私にできることを根気づよく探しながら、現実と向き合わなきゃな、と思う。
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