ハナミズキの実 撮影日:2014/09/28 撮影場所:某親水公園の並木
コクトー来日時の芙美子の対応ぶりを記す 典拠は昨日と同様
「コクトーと日本の芸術家達 ジャン・コクトーの日本訪問」(西川正也氏)
なお、同論文の芙美子の対応の様子は、彼女の随想からの引用である
なお、同論文の芙美子の対応の様子は、彼女の随想からの引用である
以下、いつものように超要約記述する
ジャン・コクトーは1936(昭和11)年5月16日~22日まで日本に滞在した
彼はジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周 」を自ら体験しようと意図し
その途中で1週間ほど日本に立ち寄った
相撲・歌舞伎見物、明治神宮や歓楽街などの訪問を通じ、日本と日本人を観察
(旅行記をフランスの新聞に載せることが事前に決まっていたようだ)
彼への対応は文芸家協会や日本ペン倶楽部の面々が行った
中心は、パリ滞在中に既にコクトーと交遊のあった詩人の堀口大学
中央:ジャン・コクトー 左:堀口大学 右」コクトーの秘書(マルセル・キル )←既出訂正
芙美子は花束贈呈ののち、歌舞伎の案内役の一人に加えられる
六代目菊五郎の「鏡獅子」と 「十六夜清心」とを見物する
堀口大学が仏語で彼に説明 芙美子は緊張して一言も喋れなかった
幕間では ロビーで秘書と日本語・フランス語で気楽に喋れたらしいが・・・
その2日後 日本ペン倶楽部の歓迎式典開催 芙美子はコクトーの隣に座る
芙美子の緊張も少しは和らぎ 日本語を堀口らに通訳して貰いながら喋った
パリで彼の映画「詩人の血」を繰り返し観た事など話したのではないか
多分、 そんなことが芙美子へのイラスト・プレゼントに繋がったらしい
コクトーが日本を去ったのは5月22日・・・と翌日各新聞の朝刊が伝えている
~喜劇王チヤプリンと世界八十日早廻り旅行のコクトー氏は
22日午後6時横浜出帆の汽船でアメリカ に向う~
その甲板で記者たちから日本の印象を訊かれ、て三つことを答えたという
~日本へもう一度 しかも最も早く帰って来たい
フランスで考えていた日本が 如何に誤解だったかはっきり解った
日本に就いて軽く考えて来た 今は重い考えを抱いて去ろうとしている~
一見は百聞に如かず ということなのだろうか
あるいは 作家らの説明や応対も誤解を解く一助になったのだろう
また 「詩人の血」を何度も観た芙美子の話も・・・
コクトーがフランスを出て世界を一回り
ふたたびフランスに戻ったのがちょうど80日目だった という
コクトーが観た「八十日間世界一周 」の映画を探したが見つからなかった
代わりにコクトー脚本・監督の「美女と野獣」(1946年)を埋込み
(字幕ボタンクリックし歯車マークからフランス語>>日本語の機械翻訳可)
フランスに人が2人で担ぐ駕籠風乗り物があったことを初めて知った
今日はここまで
明日またお会いしましょう
[Rosey]