遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

詩人あの人この人~林芙美子その13「パリを離れて日本へ」

2023年09月20日 | 読書


1932(昭和07) 29歳
4月8日
 夜、白井が初めて一人で芙美子を訪ねる
 二人でレコードを聴いて親密な時を過ごした・・・昨日はここまで書いた

が、この先は研究者や伝記作者により意見が食い違う
芙美子と白井は関係を続けた 帰国を前に清算した どちらの意見もある
私なら緑敏の身になって後者かな・・・

時代は世界恐慌のさ中 芙美子のパリ生活は食べることにも事欠く有様
日本へ帰りたい と思ってもその費用が無い 出版社に連絡して前借りする

5月11日
パリの銀行で前借の金を下ろし、マルセイユからの三等客室の乗船切符を買う 
船賃は約350円、同世代の働く女性の年収相当 「高っ!」・・・でも見栄が勝つ

5月13日
夕方、マルセイユから船に乗る
船室は4人部屋、相客はいずれも男性で大学教師・音楽家・弁護士 
芙美子、誰にも興味を示さず部屋で寝てばかりいた 

6月15日
船が着神戸港につく そして芙美子は緑敏が待つ落合の家へまっしぐら!
ひさしぶりの東京暮らしは明日以降に書く

今日の最後に、その後の白井晟一の話を
芙美子がパリを去ってしばらくの後、陸路で帰国の途に就く
途中、モスクワを訪れた後、シベリア経由し1933年の初めに日本に帰国した

 白井晟一の紹介サイトがあるので詳しくはこちらを
秋田県湯沢温泉「浮雲」の名は、芙美子の「浮雲」刊行を祝して白井がつけた
右ウィンドウにPhotoが9枚 素人の私が見ても離れの部屋が美しい!

それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

詩人あの人この人~林芙美子その12「霧のロンドン独り旅・パリに戻る」

2023年09月19日 | 読書



1932(昭和07) 29歳
1月 芙美子はフランスの港ダンケルクから船でロンドンに向かう
 ロンドンでは某新聞の特派員楠山義太郎が世話をしてくれた 
 彼は芙美子より7歳年上、海外生活20年の洗練された紳士

【余録】
楠山義太郎は後に政治家になる 顔写真探しまくるが影も形も無し
第25回衆院選挙で和歌山2区から立候補し当選(改進党)
第26~27回も続けて立候補するがいずれも落選
在職中の活動実績はこちら 要約すると実績ゼロ

芙美子は忽ち魅了され 頻繁に会うことになる・・・(力量も見ろや)
という話は芙美子の書く「ひとり旅の記」には何も出て来ない
そりゃそうだ 迂闊には書けない また幾らでも歪曲?して書ける

ともかく芙美子はロンドンの水が性に合っていた
街を見学して歩きながら 日本へかなりの量の原稿も送っている
博物館、イーストエンド、ユダヤ人街、オクスフォード大学、マルクスの墓、
オペラ、芝居、安物百貨店(百均の元祖?)・・・等々

しかし、時代は世界恐慌の真っただ中の頃
ロンドンの街にも失業者、困窮者、戦争による負傷者が溢れ
"世界が飢えている いったい誰たちのために"と芙美子は憂いた

2月下旬
 ひと月ロンドンで過ごした芙美子、楠山らに見送られ再びパリへ戻る
3月初め
 軍縮会議取材でスイスに向かう楠山がパリに立ち寄る
 二人で一緒に食事をしたあと、芙美子は駅まで行き彼を見送る

3月中旬
 芙美子はあるホテルで外山五郎に出会う(前はG、今度はT氏)
 "T氏は近々日本へ帰る由" "二人で遠くの街まで散歩”する
 その2日後、T氏は再び芙美子の滞在先に現れる

 日本へ帰る旅費が不足、辞書など買って貰いたくて来たらしい
 古いレコード三枚,醬油瓶,和仏字典を芙美子は買い、T氏は帰った
 "一人になると、私は笑ひがとまらないほ どをかしくなつてきて、
 笑ひころげるなり。四フランの醬油を巴里で買ふ なぞとは思はなかつた"

3月下旬
 楠山は軍縮会議取材を終えロンドン戻る途中もパリに立ち寄る
 "楠山氏からチョコレート貰う" "主人に済まないことだ、助けてくれ、だ"

4月1日
 芙美子は詩人で作家のフランシ ス・カルコを訪問する
 その時、リヨン大学の留学生・大屋が通訳をしてくれた
 大屋と別れて戻った芙美子、 夕刻に出かけてカフェで食事をする
 "こゝで又O君にあふ。O君、S君を紹介してくれる。S君建築をする人の由” 
 O君は大屋、S君は建築家の白井晟一(せいいち) である

 
白井晟一 1905(明治38)-1983(昭和58) 建築家



白井は京都生まれ。以下、芙美子の在パリ時代と重なる部分の年譜
 1929年? ドイツの大学に留学 美術史を学び、ゴシック建築に興味を持つ
 1931年 画家の義兄近藤浩一路が個展を開くためパリに来て手伝う
                作家アンドレ・マルローらと交流する
 1932年 義兄の再度の個展手伝いのため、再度パリに赴く
                美術評論家の今泉篤男や芙美子らと交流する
 1933年 シベリヤ経由で帰国する

写真を見るとダンディでまさしく芙美子好み、年齢も2歳下!
芙美子は別のところでこうも書く(超要約)
~3人でカフェを梯子、ウオッカを呑み、ダンスに興じて帰宅は午前2時~

4月2日
 大屋が今泉と来訪 3人で中華料理を食べに行く そこで白井も合流
 前日と同じカフェに行き 男3人が明け方近くまでプロレタリア芸術の議論
 芙美子は聞き役に徹する、というより白井を見てはうっとり・・・

4月3日
 白井と大屋は毎日のように芙美子宅を訪れ、夜は出かけているが委細省略
4月6日
 芙美子が、かって詩人・金子光晴、画家・藤田嗣治らが住んだホテルに移る
4月8日
 夜、白井が初めて一人で芙美子を訪ねる
 二人でレコードを聴いて親密な時を過ごした・・・ようだが子細は不明

さて、このあと二人の仲はどうなるのか? 続きは明日に・・・
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

詩人あの人この人~林芙美子その11「パリでの恋愛放浪#3(ひと休み)」

2023年09月18日 | 読書


 自画像1932-3頃

今日は、恋愛は一休み
芙美子も森本六爾の猛攻?に疲れたのかもしれない
あるいはパリの街や文化などが憧れほどに心充たすものでなかったのか

ともかく芙美子が歩いたパリ市内の何か所か見てみよう
現在と地名などが変わっているのか 何か所かピンが出ない場所もあった

芙美子はパリ郊外やフランスの田舎まで脚を運ぶ
植物が好きなので、夫にメンデルの植物研究の本を送って貰っている
もっとも芙美子はひと月ほどロンドンに行き 再びパリに戻った

「フランスの田舎」にこんな一節がある(夫への手紙)
"動かない風景、動かない人の心に飢えていますので、当分、片田舎 ばかりを、
さがして歩いてみたいなぞ考えております。草の葉の蒐集は、かなり相当な
ものになりました"

絵も好きな芙美子はバルビゾーンという村で、ミレーのアトリエ跡に行く
「フランスの田舎」では、"アトリエを見てミレーの晩年の貧しい生活を知り、
馴染んできた絵よりも、それを知ったことに魅力を感じている"と書く

芙美子がミレーのどんな絵を見たかは書かれていない
が、私が見たことのないミレーの絵を一枚


ミレー「吹けよ吹け 冬の風」 (1892)

芙美子はルソーのアトリエにも行くが"紳士芸で好きではない"と素っ気ない

(一休み)は終わり 明日は芙美子を追いかけてロンドンに行こう!
霧の街ロンドンで新たな恋が芽生えるのか・・・神のみぞ知る!

それでは明日またお会いしましょう
[Roasy]

詩人あの人この人~林芙美子その10「パリでの恋愛放浪#2」

2023年09月17日 | 読書


別府との縁が切れると、入れ替わるように森本六爾(ろくじ)が登場する


森本六爾 1903(明治36)-1936(昭和11) 考古学者

森本(以下M,芙美子の真似)は 芙美子(F)より半年早くパリへ来た考古学徒
箔をつけようとパリへ来た Fと同い年 妻あり子供2人いて単身留学中
Mの友人が田島隆純(T) Tは真言宗の学僧でこの時はパリ留学中

Mは同宿の留学生たちと頻繁にF宅に来てカフェやレストランに繰り出す
パリ初めての正月1日は M、T達と東洋びいきのオーダン氏宅に遊ぶ
出るとパリは雪 F・M・T3人でオデオン座のロイド喜劇を観る。

2日 Fのところに 突然G(外山五郎)が訪れた
出かけて「リラ」(島崎藤村が通ったカフェ)で茶を飲む
夕食に安い仏料理を食べ 南アフリカのシネマを観る すべてワリ勘だった

何だよ これは! ヤカンでお湯かけられた怒りはどうした?
いずれにしてもGは最早過去の男なんだろ?
それよりMだ 毎日F宅へ日参している MはマメのMかマジメのMか?

4日 M来訪 ジヤン・コクトオの電話とテレフオンと云ふ本持つて来てくれる
6日 M、Tを食事に招待 手料理を振るまう 食後は3人で望郷の歌を歌う 
7日 M早朝来訪 私が好きで仕方がないそうだ へえ こんな破れた女がね
学者肌の人だが困ったことだ そう思うFだが人間関係をこわしたくない
このあとも出かけてチャップリンの映画を観に行く
8日 朝 この日も一緒に外出してカフェでひと時を過ごす
8日夜 M来訪 これってストーカーなんじゃないの?(Fに代わって)
さすがのFも日記に書く
「不快だ 女のくさったみたいだ 此男とは絶交する必要がある」
10日 M来る Fは「来たら水かけるからネ」と追い返している
11日 家に戻ると Mから鉢植えのリラの花三本・名刺・手紙が届いていた
「此花が御部屋を訪問いたします。どうか水をぶっかけて下さい。出来たら根の方が結構です」
17日 Mは知人を伴って来訪 3人でクリニャンクールの蚤の市を見物

絶交したわけでも無さそうだ 
パリの友達の紹介 街の案内などの親切さ リラの手紙のユーモア
Fにとっても厭わしいだけの存在ではなかったのだろうから・・・

因みにMは「考古学の鬼」といわれたという 
結核で妻に先立たれ 彼自身も翌年同じ結核で32歳の若さで亡くなった 
パリのイラストを彼に捧げて今日は終わりにする。



それでは明日またお会いしましょう
[Roasy]

詩人あの人この人~林芙美子その9「パリでの恋愛放浪#1」

2023年09月16日 | 読書


林芙美子がパリに到着したのが1931(昭和06)年28歳の時
昨日、パリ生活の一端を書いたが、今日は彼女の恋愛を追ってみる
これまた簡単には終わらないと思うので、とりあえず#1とした

殆ど私が知らない名の男ばかり まず一番手は外山五郎(とやまごろう)
彼は4歳年下のアナキスト画家、学校を出て1931(昭和6)年にパリへ遊学
親しくしていた洋画家の別府貫一郎らも一緒だった 

外山と芙美子は、学生時代、ロシア語講習会で知り合っていた
因みに芙美子が好きになる男のタイプは
芸儒家や知識人、育ちがよく貴公子風、美男、年下・・・だそうな
すべてが外山に当てはまっていた 加えて外山は人に冷たくぶっきら棒,
女を寄せつけない雰囲気が なぜか芙美子の気に 入ったらしい 

芙美子は別府と共にパリ郊外に住む外山を訪れた、と彼女は日記に書いている
実は、芙美子に会いたくなくて外山はそこへ引越した 理由は分からない
別府は、居所を明かすなと頼まれていたが、芙美子の懇願に負けたらしい

外山は執拗な芙美子に腹を立て、ストーブの上のヤカンを投げつける
芙美子は足に火傷をしたが、当日の日記には「不快な事があった」とだけ記す
これ以来、さすがに芙美子の外山への熱も冷めた

奇人・変人?の外山の情報は殆ど無いのでこのくらいにする
ここでちょっと一息
北九州文学館というサイトがあり、年2回「文学の栞」発行している
なお、ここの館長今井英子氏は、林芙美子の研究者としても名が知られている

さて、次の登場は、パリ到着以来、何かと世話になっている別府貫一郎
芙美子は、滞在ホテルも一人で探した書きぶりだが、実は別府らが手配した
名前を出さないのは、孤独な一人旅を演出したかった・・・とは平林たいこ説

夫の手塚緑敏に彼らの名を知られたくなかった説もあるらしい
とはいえ、外山も別府も緑敏の画家仲間、彼らがパリに遊学中と知っている
男と女、少しは何かがあっても・・・緑敏がそう思ったかは知らないが
芙美子も、寝ても覚めても貫一郎さん・・・状態にはならなかったようだ

別府は、1967(昭和42)年に石垣綾子(評論家・社会運動家)と結婚している 

別府貫一郎の絵 ナポリ風景

今日はここまで
最後 晩年の芙美子のラジオ番組録音がNHKアーカイブスにあったので紹介
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]